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depression expression

以前からTwitterやアフタートーク、ブログなどで公言していることではあるが、僕はうつ病の気があって毎月心療内科の医院に通い、三環系抗うつ薬と安定剤と睡眠薬を処方してもらっている。「気があって」という表現に留めたのは、ガチのマジのバリバリのうつの人に比べると恐らく圧倒的に軽いものであり、大抵の場合は薬と酒で散らせてしまうからだ。本当に重たいうつの場合は、本人がどんなに悔しくっても頑張ろうと思っても、腕どころか指一本持ち上がらない。そういう人を身近で見てきたし、僕自身もそういう状態に陥ったことがあるから「うつは甘え」なんて全く思わないし、僕程度のうつ病人がうつのことを書くことに抵抗もあったりする。

最近、あまり具合が良くない。季節が良くないのだろう。笑うことなかれ、湿度や天気や気温の変化で本当にうつ病は好転も悪転もするのだ。僕の昔の恋人は、秋から初冬にかけてが一番つらそうだった。季節が良くないのだ、きっと。

少しアルコール中毒……あぁいや、アルコール依存症のようになってしまっているのもつらい。物を書くときに一杯きこしめすのが定番になってしまって(この文章もほろ酔いで書いている)、仕事をしようと思うとまず飲まないと使い物にならない。この間読んだアルコール依存症の本に「一部の人にとって酒が覚せい剤のようになってしまう」というようなことが書かれていたが、本当にそうなのかもしれない。お酒をやめなくちゃな、と思うのだが、目の前の仕事を片付けるためにはどうしても必要なので、今日だけ、明日から、と思いながら飲んでいる。

何だ、俺は。大正時代の無頼派か。流行らんぜ、そんなもの、今どき文学的主題にもなりゃしない……とわかっちゃあいるんだが、仕事のために飲んでいる。眼の前の仕事を片付けて早いとこ長期休暇をとらんことにゃあ、治療のしようもないじゃないか。ライトに酔っている、という状態を維持しているのはいわゆる連続飲酒という診断名になるだろう。立派なアルコール依存症の症状の一つだ。読むのも書くのも計算するのにも支障がないから本当に困っている。どうしてこんなにお酒に強く生まれついてしまったのだろうか?

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今は福島3部作の第2部と第3部を書いている。自分にとって本当に大切な仕事だ。その分、手が力んで肩に力が入ってしまう。

「書くことは楽しい」
「伝えたいことがある」

そういうシンプルな欲動を思い出さないといけない。ちょっと複雑になっただけで、やっていることは昔から何一つ変わっていないはずなんだ。みんなに楽しく過ごしてもらって、少し世界の見方が変わるような、背中を軽く押すような、そういう仕事がしたいんだ。

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