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just a minute

仕事でせかせか、うろちょろして、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、してはいるけど、ここ3日ほどほとんどまともに人と話しておらず、おかげで精神が随分立ち直って来た。思えば去年の9月くらいからかな、ずっと現場続きで人付き合い、人見知りのくせに人に対してストロングスタイルの私は常に精神をすり減らし続けており、すっかり心がガサガサになっておった。私は演出の他に作家も翻訳家もやるのだが、このメリットは「作家・翻訳家期間は人と会わなくて済む」という一点に尽きる。人から聞いた話だが、ストレスの大半は人間関係、人疲れらしく、しかも演劇屋なんてのは毎月のように知らない人と出会って仕事を共にし、しかも仕事を共にするということはどこかで「俺とてめぇ」のスタンスで魂をぶつけ合うような会話をせねばならぬもので、我ながらデリケートにナイーブにできている自覚のある私は他者に対して悪辣なダメ出しをすることに耐えられず、言い方を随分工夫したりして、それでも伝わらねえ場合は大声も出すがなるべくマイルドにクリープを入れて生きており、それがまた自分を疲れさせる要因にもなる。演出家は我儘だけ言ってりゃいいんだという原理主義的な思想の人もいるだろうが、恐らくそういうタイプの演出家は時代の変化と共に撃滅した。もう灰皿投げてちゃ続けてられない。ただね、ただ、いつでも灰皿投げつけてやるんだとそれくらいの気概は持ち続けなけりゃならないし、そこにこそ、そうその熱にこそ演出家の特権的地位を保証するものがある。俺の方が面白く本を読んでおり、俺はお前よりこの芝居のことを考えていると三千世界に向かって絶叫できる覚悟がなければなかなか演出家なんてものはつとまらないものなのだが、一部のサイコパススレスレのパワフルマインドを持っていらっしゃる先輩演出家方と違って至極まっとうな平衡感覚を持ちごくごく平凡な一般家庭に育った私は絶叫は半年続かない。あのオガワエリコでさえ「疲れたから私ヨーロッパ行ってくるわ」と消えたこともあったからまぁみんな悩みつつやってんだろうが、とにかく普段は「作家・翻訳家期間」が定期的に訪れて全く人と会わず水だけを飲み太陽光で光合成をしてひそやかに根を伸ばす雑草のように精神体力を回復していた私にとって半年間現場続きというのはなかなか疲弊する期間であったことは確かだ。だからここ3日ほどまともに人と話していないことによって私の精神は随分とまともさを取り戻しつつある。しかし私が病んでいる疲れている証拠として今私はミスチルを聴いている。僕だって小中学生の頃はミスチルやスピッツやZARDを聴いて育ったのでありたまにはそれらを聴き返し何だか妙なリラクゼーションを得ることがあるのだ。バカにしているような書き方だが『深海』『ボレロ』の頃のミスチルの暗さは今でも私は結構好きだ。そこから櫻井氏異常な勢いで生命力を取り戻しネアカなポップソングを意図的に作り出すように生まれ変わっていきそれは今でも続くミスチル人気に繋がる素晴らしい回復だったのだろうと思うが私は今も昔も根暗だしウンコと手斧を全力で投げ合うアナーキズムに憧れて生きているような男なので暗い音楽がやっぱり好きなのである。何の話をしているのか全くわからなくなったし、この改行一つない文章を読んで大半の人間が読書を諦めてくれていることを心から願っているが、言いたいことは一つだけ、少しだけ時間をくれとその一言に尽きるのだ。私は精神という金属疲労で心が折れかかった自覚をきちんと持っているから、3日の静養でやや回復を自覚し得たとは言えもう少しじっとしていないときっと廃人になってしまうだろうとそんな風に己の状況を診断している。しかし今上演中の演出作ハイライフのこともあるので明日と明後日は劇場へ行き人と関わりかかずらう仕事という名の日常を生きなければならないしそこで果たさねばならない役割や使命ということも自覚はしているのできちんと明日は起きて元気に出かけていくつもりであるが、4・5月は膨大な打ち合わせに加えて書かなければならない現稿の量も半端じゃない、その中には自分の全生命を掛けて書くような新作も含まれている(しかも2つも)のでここで焦ってジンカン(人間)に出掛けて行っては骨折が進むからじっとしていることを自分に命じたい。己の心の主治医は己しかいないのだ。人に厳しくありたいし人に優しくありたい。そのためには自分に厳しくありたいし自分に優しくありたい。ちなみにマラソンを再開した。一年ぶりくらいになるのでほんの5キロほど走っただけで全身筋肉痛があっさり訪れ時間の経過の無情さを感じ己の老いをも自覚したがとにかく再開した。まだ発表にはなっていないが私にとって走り続けることは本当に大事なことなので走り続けたい。人生なんてどうでもいいが次の作品をきちんと書きたいし仕上げたい。親は死んでも子は育つとはよく言ったものだが、俺が死んでも地球は回るし元気に走り回っていてもやっぱり同じように地球は回る。そして俺は地球そのものの父であり宇宙全体の母なのだ。

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