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衣裳付き通し稽古

城崎滞在制作、9日目? もう数えてない。毎日24時まで仕事して、7時間寝て、9時から打ち合わせや稽古している。全くイカれた生活で、逆にオーバーワークだ。今朝は9時から仕込み&打ち合わせだったので、8時過ぎから一番近所のこうの湯へ飛び込み、朝風呂キメてきた。こうの湯のお湯は熱い。朝イチで熱い湯を浴びると一気に目が覚め、代謝が回る。今日も元気に働きました。DULL-COLORED POP『丘の上、ねむのき産婦人科』。

今日は衣裳付き通し稽古✕2回! 女性が女性・男性が男性を演じるAキャストバージョンと、女性が男性・男性が女性を演じるBキャストバージョン、どちらも通した。

写真は通しを終え、夜の入浴を終えたきしけん(岸田研二)&大内彩加。ある意味では今回最も男女入れ替え上演の面白さが出る場面を担当している二人だ。仲良くやってくれていて嬉しい。きしけんは福島三部作・第二部『1986年:メビウスの輪』の主役・穂積忠をやっていた。彩加は第一部『1961年:夜に昇る太陽』で三上というデキる女性東電社員をやっていた。今回二人とも全然違う役をやっている。

男女入れ替え通し稽古では面白い現象が観測された。もともとこの男女入れ替え上演では、同じ夫婦やカップルの中で演じる男女を入れ替えることで、異なる性/生を理解する、相手の視点から物事を見る、ということを目指して企画したものだ。女が男の立場・気持ちを演じたり、男が女の感覚・心理を演じたりする。その中で新たな発見があるんじゃないか、という企みだ。

今日全ペア並べて入れ替え上演をしてみると……。結構驚く結果になった。自分の相手役をまるごと演じるわけだから、一番近くでよく見ているので、台詞も動きも気持ちもよく理解しているだろうと思っていた。実際その通り、かなり細かい部分まで俳優たちはコピーしていたのだが……。微妙なニュアンスが、ちょっとずつ違う。その違い方が面白かった。

例えばある男女のシーンでは、男女を入れ替えて上演した際、AがBを完璧にコピーする……というよりは、Aが「Aの目に見えているBの姿」を演じるようになっていた。Bが例えばある種の思いやりを持って明るく喋ったり演じたりする台詞をAが演じる場合、実際以上に明るく・チャラチャラした感じで演じたりしていた。逆にAが感情を抑えつつ冷静に喋ろうとしているシーンを、Bが演じると感情的でヒステリックな方に寄ったりしていた。つまり「自分の目に見えている相手の特徴」を強めに演じる傾向があったのだ。

僕は演出家なので、引いた目線で、客観的に見ているから、どちらかに肩入れしているわけではないのだが、演じるというのはAならAの立場から世界を見るということなので、いくら何度も何度も稽古しているとはいえ、Bをそのままコピーすることは不可能らしい。どうしてもAの目に見えたBの姿を演じてしまう……いや、Aの目には、Aの目に見えたBしか見えないのだ、原理的に言って。そこで私のような観察者が出てきて、いや、Bはもう少し冷静にやっていたよとか、Aはもっと愛を込めて言っていたよとか、微調整のアドバイスをする。

もともとAがBを演じることでBの視点を体験しようという試みだったが、それにとどまらず、AがBを演じることで、Aの目にどうBが見えているか、ということをあぶり出す結果になった。この差異は本番までには修正するつもりではいるが、それでも完璧に同じにはならないだろう。例えば上に写真を載せたキシケンがAを演じる場合、キシケンの目に見えたAを演じるしかないのだし、Bを演じる場合はキシケンの目に見えたBを演じるのである。そしてキシケンがAを演じている場合には、BはBそのものではかうAの目に見えたBを見ることになる。

思っていた何倍も重層的なものが見えてきた。これを稽古で見ている僕は幸せである。また一つ新たな演劇的知見が手に入った。なるほど。

下の写真は俳優たちが作っている街の地図。ちなみにネタバレです。

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