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『白蟻の巣』、兵庫

兵庫県立芸術文化センターにて『白蟻の巣』ツアー公演がスタートした。

西の方のお客さんはいい。反応がストレートだ。笑うときはわっと笑って、集中すべきとこはじっと集中する。この柔軟さは何なんだろう? これだけ均質化したはずの世の中で、関東と関西で未だにこんなに県民性・民族性が違うというのはちょっと不思議なことだよな。

東京から二週間、間があいての兵庫公演。観ていて不思議な感覚に陥った。自分で作ったはずの芝居を観ながら、新たに問い掛けられているような気がしたのだ。

「私がいつ死のうとしたか、わかって? いつまでたってもピストルを持ったあなたの姿が出てこなかった、あのときからよ」

そんな台詞が三幕で出て来る。妻の不貞行為を目撃した百島という若い夫が、何もできずにじっとしている。百島はそうだ、怒るべきなのだ。目の前で犯されている大きな罪に対して怒るべきなのだ。ピストルを持って飛び出していくべきなのだ。

しかし三島由紀夫はこういう厳格な態度を、他者に対してだけ居丈高に主張していたわけではないだろう。彼の人生はあの太平洋戦争と切っても切り離せない。兵役逃れのようなことをしてしまった自分を断罪したいという思いが常につきまとっていた。死人のような生に倦怠しきって意味のある死を求め続けた妙子という人物は三島そのものだし、しかし同時にピストルを持って飛び出していけない情けない男である百島にも己を投影していたはずだ。三島の中でのアンビバレントないくつもの声が、それぞれの登場人物に託されている。

ここから我々現代人は、一体どういう教訓を得るべきだろうか? そう簡単に結論の出せる話ではない。三島は単純な軍国主義舎でも天皇の崇拝者でもない。最近流行りのネトウヨなんかを見たら蛇蝎のごとく忌み嫌うであろう。しかし三島は疎外された孤独というものを心底よく理解していたに違いない。Wikipediaの三島由紀夫の頁にはこんな解説がある。

戦死を覚悟していたつもりが、医師の問診に同調したこの時のアンビバレンスな感情が以後三島の中で自問自答を繰り返す。この身体の虚弱から来る気弱さや、行動から〈拒まれてゐる〉という意識が三島にとって生涯、コンプレックスとなり、以降の三島に複雑な思い(特異な死生観や〈戦後は余生〉という感覚)を抱かせることになる。

「行動から拒まれている」。これは政治的な話ではなく、哲学的な問題である。生から疎外され、行動から拒まれた三島は、自由と民主主義の中での孤独をよく理解していたのだ。……自由とは、手元になければ憧れの対象だが、自由の只中に置かれてみると人間は孤独に苛まれる。何をしてもいい、しかし何もするべきことがないという状況の中で、人はどんどん孤立し孤独になっていく。

* * *

現代を生きている私にも、この孤独の感覚はよくわかる。人は飯を食い息を吸ってさえいれば生きていられるわけではない。人生には意味が必要だし、自分の生命の価値は自分一人では見出だせない。自分より大きなもののために生きなければ、人生は途端に無意味に、無味乾燥になってしまう。大きなもの。それは僕の場合は芸術とか文学とか家族とか、そういうものがあてはまるだろう。しかしそういう大きなものが見出だせない人々にとって、現代はとかく生きづらかろう。なにせ自由なのだから。

民主主義という概念と三島由紀夫の関係についても、きちんと論じてみたいが……、そう簡単に書けるものでもない。○○主義と名前のつくものの中で、民主主義というのは実はとても無色透明なものなのだ。空っぽと言ってもいい。主権在民、みんなで話し合って決めましょう、というルールがあるだけで、何を大事にすべきなのかという理想がまるで欠落しているのが民主主義だ。僕は、何かの理想を共有できる世界が素晴らしいと言いたいのではない。そんなことは今やもはや不可能だ。しかし、共有できる理想がないということは、人は常に孤独の底へ叩き落とされ続けるということでもある。

不尽。

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