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12/3(土)、言い訳はしない

双葉町に移住した10/1から「これから毎日ブログ更新します!」なんて言って、実際2ヶ月ずーっと更新してましたが、途切れました。言い訳はしない。どうもすみません。この10日間くらい地獄の苦しみを味わっていたのです。新作戯曲を書いていたのです。

あらゆる仕事の中で新作戯曲を書くというのだけ圧倒的に特殊なのです。どう違うかと言うと、

  • 翻訳 → 楽しい。だってもうすでにいい作品が手元にあるんだから。英語だけど、書かれている。悩むことはあっても行き詰まることはない。絶望も感じない。スキマ時間にもコツコツ進められる。
  • 演出 → 大変だし、これも脳みそを使うけれども、演出は一人でするものでもない。スタッフに相談したり、俳優からアイディアをもらうこともある。壁にぶち当たることもあるけれど、そういうときは舞台監督や演出助手、俳優に「わからん」「だめだということだけはわかる」「どうしよう」と愚痴ることで突破口も開かれる。
  • エッセイ、評論、書評など執筆 → 楽しい。僕は書くのは早い方なので、一時間もあれば2000~3000字くらいは書ける。エッセイとかでいいオチをつけたかったり、書き出しや終わり方をかっこつけたかったりするときは悩む・止まることももちろんあるけれど、基本的には時間さえかければ必ず書ける。
  • 戯曲 → めちゃくちゃしんどい。執筆期間中は、全く誇張ではなしに、目を覚ます瞬間から眠る瞬間までこのことばっかり考えてる。朝、「むにゃむにゃ……」の段階で「あ、あそこ、こう直せばいいんだ」とか「あー、ここはそう言えば見落としてたな」とか「あのシーンどうしよう」とか考えてる。というか、それをしないと書けない。さらに、それをしても書けない場合がある。1日ずーっと悩んで何も書けないなんてことはざらなのだ。

戯曲執筆だけは、不思議なもので、こま切れのスキマ時間では何もできない。30分×10=300分だが、これだと何も前に進まないのだ。そうではなく「これから書くぞ」と6時間、机に向かったり、ベッドで寝返りを打ったり、散歩したりお風呂に入ったりしつつも基本的には「ずっと考える」ことを続けないといけない。するとあるタイミングで壁が壊れる。光が見える。でもこれも中断してはならないという性質がある。1時間考えて、30分別の仕事をして、それから2時間考えてもダメだったりする。3時間かからないとひらめかないことを思いつくためには、3時間うなり続けなければならない。そして実質書いてる10分とか30分以外の2時間半は、ただウーンウーンと唸ってるだけなのだが、これがないと最後の「書く」につながらないのだ。

『家を壊す』脱稿しました。これから2週間みっちり稽古します。ぜひ観に来て下さい。

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