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最高

ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場『スカーレット・プリンセス』を観た。今年のナンバーワン候補。エディンバラで観た『COPPÉLIA』かこれか。原作となった鶴屋南北の『桜姫東文章』は常軌を逸した展開で江戸時代に書かれた表現主義かナンセンス文学じゃないかってくらいやばい本なんだが、そういうのをプルカレーテに渡すとこういうとんでもないものができる。時間がないので今日はここまで。

繋がる連想、長崎、福島、ロシア・ウクライナ

今日は午前中嬉しい再会とミーティングがあって、浮かれていたところに旧知の友人の訃報が届き、しばらく心臓の鼓動が止まらなかった。しかし13時から諫早の人たちとのワークショップがあったので、すみませんぶっちゃけ今日は休ませて下さいと喉まで出かけたが、本当に演劇は一期一会でここで会わなければ二度と会えない人もいるのだと思い必死に楽しくワークショップを行った。今回は特に俳優でない人も混じっていたのでとりわけ肯定と承認をテーマにして内容を考えた。演じることは楽しい、しかもそれは無理をすることでも下駄を履くことでも厚化粧をすることでも似合わない服を着ることでもなく、自分のままそこにいて、心を開き、人と繋がる。そして自分にとっては嘘=虚構である台詞や行動を、自分の心と体を使って行う。そういうことを、こういうふうに書くと難しいが、ごくシンプルな簡単なワークを通じてやってもらった。その中で僕は「自分の心に嘘をつくと心が軋む、緊張する、ぎこちなくなる」「だから自分の心の声に耳を傾けることが大切だ」と話したが、今日の僕は非常につらい出来事を隠しながら、ニコニコ笑ってワークショップをやったので、最終的には楽しい時間になったけれども心は軋み続けた。あまりにも疲れたので食事も飲み会もせずに帰らせてもらったが、立ち去りがたく、1時間以上劇場でワークショップ参加者たちと立ち話をした。彼ら彼女らも僕と同じように立ち去り難かったのだろう。その中で長崎の話をたっぷり聞かせてもらった。本当に壮絶な町だ。鎖国と出島、潜伏キリシタン、原爆、これだけでもトピックとして凄まじいのだが、そこに諫早湾干拓事業、雲仙・普賢岳、天草四郎の乱、佐世保米軍基地……。抱え切れない。また来よう長崎。諫早。

「諫早名物といえばうなぎだよ」と言われたので絶滅を危惧しつつうなぎを食べた。同じく地元名物であるくじらも食べた。すごく美味しかったが上記トピックにうなぎとくじらの議論も加わるとなると、本当長崎は、なんてこった、すごい町だな。そこへロシア・ウクライナ情勢の急速な悪化、ドイツ領事館へのミサイル発射に橋の破壊ですか? 戦争拡大の話が繋がってきて、ロシアも北朝鮮も核の使用を云々と聞こえてくる。長崎の地にいてそんな話を聞くのは悪夢だ。耐えられない。どうか全て杞憂でありますように。

午前中のミーティングで「シャンティ」という言葉の意味について教えてもらった。ヒンドゥー語で「平和」という意味で、ヨガなどのワークが終わる際に「シャンティ、シャンティ、シャンティ」と3回唱えるらしい。1回目のシャンティは自分のために。2回目のシャンティは周囲の人のために。3回目のシャンティは、世界に祈りを捧げるために。

シャンティ。シャンティ。シャンティ。from長崎。

諫早独楽劇場にて福島三部作無料上映会に参加し、そして、

今年一番じゃないかというくらい疲れた! というか、観客の皆様マジですごい。朝10時に第一部の上映が始まり、休憩とアフタートークを挟みながら全部終わったのが21:45くらい。12時間いたぞ! しかも全部通しで観たお客さんが20人以上いたらしい。信じられない。生の舞台でも疲れるのに映像で三部作一気見なんて凄まじく過酷なことを皆さんなさっている。

そして私は一人、他の皆様とは違う苦しみを抱えながら観ていた。というのもこれは演劇のクリエーターじゃないとなかなかわからない感覚かもしれないが、我々は一度たりとも自分の作品に完全に満足したということがない。どんなにうまく行った作品でも「ここは少しテンポが悪いんだよな……でもどう書き換えたらいいのかわからん」とか「ここは今演出するならこんな風にやりたい、直したい」とか「ダメだダメだ、ここはもう何と言うか、若い! もう1年半前だから仕方ないけど今ならこうはしないな、やり直させてくれ!」、あるいは「今演出するなら美術も音楽もステージングも、それに台詞の解釈もこういう風に変えてやるのにな。直したい。稽古させてくれないか? 無理か……」なんてことを延々脳内でやってるわけで、これも非常に疲れる。自分の作品を映像で観るなんてのは、自分の至らなさやアラを拡大鏡で見せつけられてるようなもので、心の中は七転八倒、「今すぐ映像を止めろ! 止めてくれ!」なんて思うこともしばしばあって、しかし周囲は息を呑み、涙すら流しながら観てくれているのでもちろんそんなことはできない。私だけ永遠の責め苦を味あわされている。

実はもうやりたいプランがいくつもあるのだ。第一部はこう、第二部ではこう、第三部ではこう……といずれ来る再演へ向けて蓄えている演出プランがある。それは、時代が変わったので表現を変えたいというところもあるし、少し客観視できるようになったので直したいところもある。そもそも演劇観自体が変化したので変えたいところもある。今すぐにやってもいいんだけれど、そんなことしたらLet it beとYesterdayとHey Judeだけ歌うポール・マッカートニーのコンサートみたいになってしまう。多分彼は一生それでやっていけたはずだが、新譜を作り続けた。僕も新譜も作りたい。でも今ならYesterdayをこんな風に歌うのにな……ということも考えてしまうわけです。

2026年とかにやれたらいいなとは考えている。震災15年目だが報道は大きく減っているだろう。さらにもう全く震災を知らない若者が、もしかしたら第一部の孝とか忠とかをやれる年になってるかもしれない。2011年にまだ3歳だった子は2026年にはもう18歳でしょう、やれる役は結構あるんだよな。そういう全く震災を知らない世代と新たに掘り起こす、掘り下げる福島三部作……というのなら、充実したクリエーションになりそうだ。

それまで、この「早く直したい」「稽古させてくれ」という歯ぎしりをしながら、この感情は取っておく。酒飲んで寝る。集中して観てくれたお客様、そして無償でこんなイベントを企画・開催してくれた諫早独楽劇場の皆様、どうもありがとうございました!

僕はビジホで十分なんです、何ならこのようにサウナでも漫画喫茶でも

この週末は長崎くんちというお祭りと完全にぶつかっているらしく、宿が全然なかったので、あろうことか私は今サウナに泊まっている。だってお前ドーミーインが一泊2万円だぞ。俺はドーミーイン相当好きで都内でも何十回と泊まっているが、2万円は払えん。高級ホテルは一泊10万円する。サウナに泊まれば2700円だ。

うちの親父の口癖の一つに「子供に贅沢させちゃいかん」というのがあった。僕はそれをまともに食らい、かなり質素な幼少期を送った覚えがある。それでも親父の言う「父さんの小さい頃は、すいとんがあれば十分ありがたい。白米なんか滅多に食えなかった」「ラーメンはご馳走だった」なんてのを聞いてると、別に苦にも思わなかった。おかげで僕も今、たまにイベントの主催者側がなんちゃらプリンスホテルとか用意してくれちゃうと恐縮してしまう。いいえ僕は駅前の漫画喫茶にでも泊まるので、その宿泊費3万円、僕のギャラに充ててくださいとかよく思う。それで今回の福岡・長崎旅行では「僕がテキトーにビジホ取るんで、1泊5〜6千円くらいでやりますんで、それだけ払ってくれたら!」なんていい加減な発注で来ておる。そんで今日は宿がなかったのでサウナに泊まった。漫画喫茶でもよかった。いずれにせよ安く上げられる。

久々にサウナに泊まった……ように見えて、実はちょいちょい泊まっているので、この感じ、僕は割と楽しい。ドーミーインに2万円払うよりは「隣の親父うるせえなあ」と思いながら一泊2700円のこちらの方がよほど良い。親父の教育をありがたく思う。

人間、高級なものに慣れてしまうと生活レベルは落とせない。だが僕は親父の教えてくれた控えめな倹約や、20代に演劇で成り上がろうとして体験したとんでもない貧乏のお陰で、今は何をやっても楽しい。どこでも生きていける。

今の目下の楽しみは、また新しいキャンプ地へ行って、地元のスーパーで買った特売品の一尾300円とかの魚を焼きながら野宿することだ。早くキャンプに行きたい。一泊3万円の宿でコース料理を食うより、キャンプ場のフリーサイトでテント張って、地元の安くて美味しい魚や肉を焼いて食う。これが俺に一番合っている。一番楽しい。生きてるって感じがする。

演劇でちゃんと成功すると、ちゃんと食える。僕はもうかれこれ20年、演劇だけで食っている。そのために演劇に全ての生命をかけてきた。この先もそうだろう。若手の演出家や作家には、ちゃんと言っておきたい。演劇でちゃんと成功すると、ちゃんと食える。だから、演劇を諦めないで欲しい。

長崎原爆資料館がちょっとしんどすぎた日記

自分はかなり旅慣れてる方だが、新しい土地に行った場合の鉄則は、まずは施設の開館時間をちゃんと調べること。その資料館や美術館の開館時間は17時までか、19時までか? 21時までのご飯屋さんと26時までやってる飲み屋。ホテルのチェックインは何時まで。そこを調べる。かつ初めての土地に行く際にはある程度効率は度外視して「本命から攻めろ」が鉄則だ。一番見たいところを最後に回したりすると、途中で旅程が狂って本命に行けなかったりする。

そこで今回の長崎入りでは長崎原爆資料館に真っ先に立ち寄ったのだが、正直、失敗だったかもしれない。展示内容は素晴らしかった。しかしあまりにしんどくて、3時間はゆっくり見れるようにスケジュールを切っていたのだが、1時間見ただけでくたくたになってしまった。

展示は素晴らしい。例えばこんな記述がある。40歳の男性、自分は仕事で隣の諫早市に行っていて助かった。家族は全員亡くなった。こんなものを読むと今、ちょうど同じく40歳である私はすぐさま自分のこととして想像してしまう。さらにその後お母さんと小さな兄弟の話なんか出てきたりすると、うちの妻と二人の男の子のこととして再生されてしまう。その後、原爆の熱戦を食らい焼け焦げた少年の写真を見る。真っ黒に炭化して、顔の造作や髪型などの個性はおろか、表情もわからない。真っ黒な仏様、真っ黒な仏像のようにすら見える。残酷な、苦しい仏様だ。さぞ痛かったろう。苦しかったろう。意味がわからなかっただろう。怖かっただろう……。そしてそれが自分の息子の姿にしか見えない。真っ黒に炭化して個性が消えてしまっている分、本当にそれが自分の息子に見えてくる。まだ6歳の、ひらがなが読めるようになって小学館の図鑑を隈なく読むのとニンテンドースイッチでMinecraftをやるのが大好きなうちの息子が目の前で炭化している。胸が痛い。胸がざわざわして、嘔吐しそうな感じがする。どうしてこんなことが起きているのかわからず、頭の中がぎゅーっとねじれて、自分の顔がぐしゃっと歪む。それは怒りとも嘆きとも違う難しい感情だ。

その後、僕はちょっと泣いた。哲学者のバートランド・ラッセル(ウィトゲンシュタインの師匠だ)とアインシュタインがアメリカの大統領に原爆廃絶の手紙を書いたという展示で泣いた。原子力は確かに人類の叡智、人類を貧困から救い、栄華をもたらすエネルギーになれた可能性だってあったんだ。しかし核分裂連鎖反応の仕組みが発見されてまず最初に行われたのは広島と長崎の何十万という人々を焼き殺すことだった。その後には世界各地で原子力事故を続発させ続けている。2011の福島でさすがに懲りたかと思いきや、今はロシア・ウクライナ戦争でザポリージャ原発が攻撃対象になり、IAEAが警告を出した。さらに日本でも、愚かなことに、40年で廃炉というルールが廃止されて経済のためだけに原発を動かす流れができつつあ流。故郷を奪われた福島の15万人の避難者、難民たちの物語は忘れ去られようとしている。黙殺されようとしている。

これが科学か。21世紀の人間の叡智か。

その後平和公園にも行ってこの有名な像も見てきた。みんな知ってるんだろうけど僕は初めて見たから感動した。天高く伸ばした右腕は降りかかる原爆の脅威を表しており、横に伸ばした左手は平和の象徴、そして優しく目を閉じた表情は神の愛・仏の慈悲・戦没者への哀悼・冥福への祈りを表しているらしい。同公園内にはソ連が送った平和の像も展示されており、それを見た女子大生のようなグループ客の女の子たちがツアーガイドの男性に口々にこんなことを言ってた。

「私、これ見て泣きそうです」
「この像を今のロシアの人たち、プーチン大統領に見せてやりたい」
「ほんと、これ思い出せって感じです……。ウクライナの人たちに、ホント……」

それを聞きながら僕は最悪の想像をしたのだが、実際今後も原子力災害はまだあるんだろう。広島、長崎、福島では足りなかったのだ。ビキニ環礁、スリーマイル、チェルノブイリ、東海村JCO原発事故では足りなかったのだ。もっともっと酷い目に遭わないと人類は原子力をやめられないのだろう。

そこまで考えて怒りも湧いてきた。広島でも長崎でも足りない、福島でも足りない? それは、どういうことだ?

今日の午前中は、ららぽーと福岡に建設された巨大νガンダム立像を見てとても楽しい気持ちだったのだが、観光だのなんだのする気持ちがすっかり失せてしまった。

ちなみに↑のνガンダムが出てくる『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』はこういう映画です。

シャア「地球がもたんときが来ているのだ」

シャアは人類に絶望し、巨大隕石を地球に落として地球を無人の星にしようとしています。アムロはそれを阻止しようとしている。

シャア「地球は人間のエゴ全部を飲み込めやしない」
アムロ「人間の知恵はそんなもんだって乗り越えられる」
シャア「ならば、今すぐ愚民ども全てに英知を授けて見せろ」

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年公開の映画)より

福岡・演劇ワークショップ、語る/騙るについて考える

参加者たちと終了後に一枚。諸事情から謎の加工済

今週末長崎で『福島三部作』の記録映像・無料上映会がある。「せっかく九州まで来るならぜひ演劇ワークショップを」と頼まれまして、福岡市内で活動している劇団モノクロラセンが主催し僕が招かれる格好で3時間のプチワークショップを行なってきた。特に公演の前パブでも後パブでもないし内容は自由で良いとのことだったので、じゃあ僕が最近ずっと考えている「語ること/騙ること」に関するWSをしてきた。DULL-COLORED POP演劇学校では「講義」としてある知識やメソッド・演技法を「教えて」いるけれども、これはあくまで「ワークショップ」なので参加者たちと一緒に考える・体験する・楽しむ、そこに力点を置いて、問い掛けや実験をたくさんやってきた。「語る」と「騙る」、その共通点と差異、語源について。「語る」と「騙る」は何が似ていて、どこが異なるのか。この二つがこんなに音が似ているのは偶然ではないのです。そして「語る」と「話す」はどう違うのか? そしてさらに「語る」「話す」「喋る」「伝える」「言う」は、それぞれ随分違うが、じゃあどう違うのか。そして真実を語るエクササイズと嘘を語る簡単なエクササイズを行い、最後には虚構の自己紹介を行った。全く自分のものではないプロフィールを作成し、自己紹介をし合う。そんな虚構の自己紹介でも、みんな共感したり感動したり驚いたり納得したりしていたが、全ての自己紹介が「嘘」なので、私たちは存在しないもに共感し、感動し、驚き、納得したことになる。我々は一体何をしているのか? いや、これこそ言語の力なんじゃないか? 演劇の力なんじゃないか? ……「ワークショップ」なので僕は答えを提示しない。参加者と一緒に「語る」と「騙る」について考えた。

誰しもが苦手意識のある「自己紹介」をちょっとやりやすくするコツも紹介したりして。かなり楽しいワークショップだったから、いずれ東京でもやろうかな。あと福岡は食うもん全部美味しいな!

GORCH BROTHERS 2.1『MUDLARKS』観劇

毎日ブログを更新するとは言ったが福島のことしか書かないとは言っていない。今日はアフタートーク出演依頼があったので、作:ヴィッキー・ドノヒュー、翻訳:髙田曜子、演出:川名幸宏の『MUDLARKS』を観てきた。めちゃくちゃ面白かったのでご報告します。

アフタートークでも喋ったけれど、これは大傑作と言っていいんじゃないか。俳優3人の演技が余すところなく素晴らしくて、30代の俳優が16か17の少年を演じているんだけれど、これが見える。少年に見える。それも「子供っぽい喋り方をしている」とか「動きが」なんてレベルではなく、目の色で僕はわかった。この子は怒りながら怯えているなとか、この子は本当に目の前が真っ暗なんだろう、ああ、この子は遠い遠い海を見ている。そういうのがわかる。俳優3人は「少年の目線から世界を観る」という難しい仕事を見事にこなしていた。しかも、喧嘩、ドラッグ、非行、貧困、ネグレクト……そういったものにより情緒・感情が乱高下する難しい感情の波を巻き起こし、必死にそれを乗りこなしていた。とてもテクニカルだし、同時に勇気がないとできない演技だ。

演出も見事で、音楽、美術、照明、そういったものの主張が結構強く、見方によっては(人によっては)「ちょっと演出過多」「もう少しあっさりストレートにやってもいいんじゃない」と言いたくなるだろう。僕もそれはわかる。しかしそれぞれの意図は非常に正確だったし、発想も表現も面白かった。かなり台本が難解……と言うか、複雑・高尚・小難しいことは一切言っていないんだけれどあまりにも少年たちの情緒が特殊なので、ついていきづらい本だと思うんだが、演出がちょっと手を添えてくれることで意味や意図が明白になり、見やすくなっていたと思う。たぶん圭史さんとかにやらせたら、地明りだけで突っ走るんじゃないかな。そこは好みだ。川名さんには直接伝えたが転換に当たるシーンがゾッとするほど見事で、それは演出が付け加えたイメージシーンらしいんだけど、あれがあることで戯曲の美しさ、残酷さをぐっと引き上げていたと思う。

そしてやっぱり戯曲がすごいと思うな。あれは書けないよ。追い詰められて路頭に迷い、自己破壊的にどんどんまずい方向へ迷い込んでいく少年たちの心理や言葉を非常にリアルに描いている。アフタートークでも少し話したが、『ケーキの切れない非行少年たち』という本に登場する子供らや、僕が昔の福島や千葉でつるんでいたような田舎のヤンキーたちの荒廃の仕方を思い出させた。闇金ウシジマくんとかにもぶっ壊れた思考・行動の貧困層とかよく出てくるけど、『MUDLARKS』はイギリスのリアルを伝えてくれていたように思う。『リトル・ダンサー』とか『トレインスポッティング』とかああいうイギリス映画の悲しさ、切なさが好きな人は特にハマるんじゃないだろうか。『MUDLARKS』の3人は誰一人クソみたいな現実を抜け出せず、ダンサーにはなれなかった。しかし彼らの心にある美しいものもこの戯曲はちゃんと見せてくれていた。だから結末が余計に悲しい。

同時に、これは、不条理演劇なんだなということも考えた。ベケットやイヨネスコのようにシュールで非現実的なことが起きているわけではないんだけれど、absurd、本当にバカらしい、残酷な、不条理なこと、すなわち人生という舞台の中に閉じ込められた人物たちを描いていた。ヤン・コットという演劇評論家は荒野をさまようリア王は400年前に書かれた不条理劇なのだと言ったが、この『MUDLARKS』も現代の不条理劇だ。おそらく、現実にある不条理劇だ。

10/9まで下北沢ザ・スズナリにて

私事ですが10/16の夜7時くらいから双葉町で飲み会やります! 12月の福島公演へ向けてのオーディションの後です。地元の人、役場の人、新聞の人、その他いろんな人が来てくれそう。来る人はTwitterでもメールでもLINEでも一声下さいませ。

ある1日の劇作家のタイムライン

10/1に双葉町に入居してずっと忙しくしているんだけど、僕以外の人にはどんなことやってるのかよくわからないと思うので今日1日のタイムラインを書き出してみた。こんな生活してます。

7:00、起床。昨夜夜中まで旅に連れてきた若い劇作家と酒を飲んでいた。その後意識を失うようにしてリビングのソファで寝ていた。それでも息子を保育園に送る習慣が身に染み付いているので7時には起きる。だがまだ起きたくないので1時間ぐらいゴロゴロしていた。

9:00、部屋の整理・掃除。ゆうべ若い劇作家に「酒代は俺が持つから、1時間一緒に飲んだら、明日1時間一緒に部屋の整理を手伝ってくれ」とアルコール外交を仕掛けていたので、一緒に引っ越し後の部屋の整理などを始める。1時間一緒に作業しただけでめちゃくちゃ片付いた。

10:00、某劇団の制作さん(アートマネジメントの第一人者)とZoom会議、雑談、作戦会議。福島に移住した私と小豆島に移住した彼とで、地域と演劇で何をやるべきか、どういう作戦があるか、来年以降、どうやって協働していくか……というZoom会議。会議と言いつつ、僕が相手の方から一方的に知識やノウハウを盗ませてもらうような豊かな会議であった。来年一緒に福島で最高に面白い演劇イベントをぶちかましたい。彼と。彼の作品は本当に面白かったんだ!

11:00、産業交流センターへ移動し、昼飯食いつつパソコン作業。まだ家にWi-Fiも引かれてないので、家から車で5分の双葉町産業交流センターへ行き、定食屋おらほ家の680円のおそばとアジフライの定食を食べながらひたすらPC作業。滞っていたメールを全て打ち返した。

13:00、南相馬市のデザイン事務所・maruttへ訪れ、作戦会議。『福島三部作』のフライヤーデザインもしてくれたリカちゃんが南相馬市で立ち上げたデザイン事務所marutt。「まるっと」の名の通り、デザインにまつわるあらゆる業務を「まるっと」引き受けてくれるので、今立ち上げ準備中の一般社団法人の宣伝・広報・コーポレートサイトの立ち上げに関して打ち合わせ&意見交換。すごくいいアイディアをたくさんくれたし、浜通りでアーティスト同士を繋げようとする連絡会議に加入することを提案してくれた。僕も地元のアーティストとの連携を深めたいと思っていたし、そうすることでより効率的・経済的な闘い方ができると思っていたので渡りに船だ。りかちゃんはもはや僕の師匠のような感じがする。彼女がリーダーとなって浜通りのアートムーブメントは牽引されていくだろう。

maruttにて自撮り。後ろのスタッフ2人はカレーを食べています。

15:00、地元のホームセンター・ダイユーエイトで掃除用品とか家具とか購入。薪を買ってキャンプしたい衝動をグッと抑えて、事務所の整理・整備に力を注ぐ。今日でだいたいお掃除道具とかアメニティとか揃ったので、グッと運用しやすくなったぞ。

16:00、家に戻ってPC作業。書いても書いても受信トレイのメールが減らない。

17:00、若い劇作家を乗せて車で出発。富岡町へ。

18:00、富岡町の演劇の指導者的立場にいらっしゃる青木先生と合流し、文化の日の発表へ向けた稽古へ参加。80代の先輩とかとも一緒になって「マツリダワッショイ!」と北原白秋の詩を全力で群読してきた。こういう、地域でコツコツ、演劇活動をしていらっしゃる人たちと繋がりたい。さらに青木先生はとても遠大かつ有意義なビジョンを持っていらっしゃるので、微力ながら何でも協力したい。

20:15、双葉町の自宅へ戻り、PC作業&戯曲を一本読む。風呂にお湯を溜めて風呂でも読む。

22:15、ようやく戯曲も読み終わり緊急のメールも書き終わったので、ブログを更新している。これを書いたら酒飲んで寝よう。

明日は8時には起きて、9時から新聞取材を受け、その後書類作成・送付などの業務をした後、東京へ一度戻る。明後日から長崎へ出張なのだが、福島から行くより東京から航空券取った方が5万円以上安いので一度東京に戻るのだ。それから5日ほど博多・長崎に滞在している。9月はほとんど豊岡にいて、9/30からはずっと福島にいるので、いよいよ東京は「経由地」くらいになってしまった。

ブログ更新をテコでも続けている。毎回サポート(送金)してくれる人がいて恐縮している。一度に五万円もドーンとサポートしてくれる人もいた。少額でも必ず毎回100円ずつとか200円ずつとか寄付してくださる人もいて大変勇気づけられている。今、僕が福島でやってることの大半は、いわゆる「初期投資」で一銭の金にもならない。全て持ち出し、やればやるだけ減っていく。しかし、今、これをやらないとダメなのだ。金儲けのことを考えてはいけない。今きちんと地元の演劇人やメディアと繋がり、地域の課題を理解して、その上で「演劇に何ができるか」提案しないといけない。

自分のやりたいことは、自分の劇団でちゃんとやります。福島で立ち上げる一般社団法人 福島ENGEKI BASEは、演劇を使って、地域のやりたいこと・役に立つことをやる組織だ。誰かのためになることをやる、そのための一般社団法人。まずはきちんとリサーチから。

maruttから見える田園風景 めちゃくちゃ綺麗でずっと見ていられる
maruttのマスコット猫ちゃん 寝てた

綺麗です

入居から3日が経ち、すでにいろんな人を家に招いているが、みんな口を揃えて言うのは「思ってたよりキレーですねー!」。

……何だろう僕は福島に住むと言ってあばら家と言うかボロ屋と言うか、廃屋みたいなとこを借りてるんでると思われているんだろうか。そんなことはないのです。↑に貼ったような住宅に住んでいます。3LDKです。しかも一階の土間・共有・LDKスペースがあるからもっと広く感じます。これでも東京で1DK、いや1K借りるより遥かに安いです。僕が初めて一人暮らししたのは、杉並区の方南町、ドンキのすぐ裏のトイレが斜めについている1Kでしたが、あそこよりさらに8000円くらい安いです。

今日は家具の搬入などをして、さらに、一般社団法人「ふたばプロジェクト」のS事務局次長とKさんと知り合いになった。見つからないと思っていた双葉町内の空き家が、Sさんの尽力により見つかるかもしれない! ドラマが大きく動いた瞬間である。役場の人でさえ絶望気味であった「空き家ないかもしれない問題」に対し、地元の空き家バンクの主張が「え? この、誰も、物件を買いたいとも思っていない双葉町で、やりますか? AIRを? 誘客を? ……私にやらせて下さい!」みたいな。すげえ味方を見つけたんだが、これも地元で這い回らなければ見つからなかったご縁だ。来る前は「物件は見つからない」と言われていたからね。

昨夜は家族を東京へ送り届け、今日はさてまた福島へ行って家具とか運び入れよう! という日だったので、誰でもいいから一緒に行かねえかと募集をして、実際に全く会ったことない人と一緒に福島まで来た。現地でNHKとか新聞取材を受けながら「こちらの方は?」と聞かれて「今日会った人なので知りません」と言ってもウケるし、嘘ついて「別れた妻の弟で、義理の弟です」とか言ってもウケたのだが、同時にご当人がちゃんとした演劇人だったので、ここで一緒に何かやれるかもしれない、彼が活躍・活動するための手伝いが福島でできるかもしれない……という話に発展している。縁は奇なもの味なもの。だし、やはり私は運を持っている。「劇作家です」と聞いたから車に乗せたのだが、戯曲賞の最終候補になるような人だった。

今は彼と飲んでいる。あとは、まだわからない。さて、また明日。

bipolar unconditional ideas

僕は旅行好きで学生時代はバックパッカーみたいな貧乏旅行も多数していて、おそらくもう10~15カ国くらいは回ってると思う。こないだも40歳のオッサンなのにスコットランドで一泊1500円の相部屋ドミトリーに泊まったりしていた。そういうところの方がビジホとかより全然楽しい。

現地に行く/いることでしかわからない、感じ取れない、気づけないことが多々ある。こうして福島双葉町に入居してみて、すでにいくつものBrilliantなアイディアが閃いた。列挙すると、

・駅西の公共スペースを使ってレジデンス&クリエーションのトライアルをやる ・双葉町の浜辺(伝承館のあるあたり)で『わが町』を3/11に上演する ・準備中のレジデンス&クリエーション施設には昼はカフェ夜はバー(あるいは赤ちょうちん)を併設し、双葉町初の演劇の稽古場兼飲み屋を作る

レジデンス&クリエーション施設の本拠地は別途賃貸か新築で作ろうとしてるんだけど、町役場のMさんに相談したら最高の場所を紹介してくれた。これならもう来月にも誰か招聘して無料で稽古&宿泊してもらえる。やりたい人、いませんかね? 若手演劇人はもちろん対象なんだけれども、僕より先輩のベテラン、例えばチョコレートケーキの古川さん&日澤くんとかすごく合うだろうし、さらに先輩だけど鴻上さんとか愛先生とか大先輩格の人に来てもらうのもいいななんて思ってる。『わが町』はやりたくてずっと権利元と交渉したりしていたんだけど、本当にやる。もう権利は押さえたから今から誰も手出しはできない。そしてその最高の上演場所が手に入りそうだ。La Mama ODAKAと一緒にやるが、双葉町の町内で是非やりたいと思っている。南相馬市で観る『わが町』と双葉町で観る『わが町』は、おそらく全く感触が違うだろう。そして今は飲み屋が一軒もない双葉町に、一番早くオープンした飲み屋が実は演劇人が作ったものだった……なんてのは面白いんじゃないかな? 役場の人たちも5時に仕事が終わって、本当なら一杯飲んでから帰りたいだろう。稽古場の隣にカフェがあり、夜になるとバーか赤ちょうちんになってる……なんてのは面白いし、うまく雇用を生み出し、かつスキマ時間を有効活用できるだろう。

人の役に立つことをする。という視点で言うと、演劇をやりつつ飲み屋を作れば、より多くの人の役に立てる。今日このことを相談していたビジネスパートナーのK女史も「お芝居が始まる前、ちょっと早く来て、併設のカフェでコーヒーを飲みながら開演を待つ時間は必要」「終わったあと、今はコロナで難しいけど、食事しながら、飲みながら、誰かと感想を言い合う。これがなきゃ」と言っておった。全くその通りだと思う。演劇とは、我々クリエーターにとっては作品・芸術・言葉や表現であるが、観客にとっては体験であり行楽であり、デートであり交流であり非日常体験なのだ。

一度やると決めた以上は、そこそこ、まぁまぁ、を目標にせず、やたらでかい実現不可能な夢を描くべきだ。福島三部作だって「一万人入れるぞ!」とか大言壮語を言ったおかげで、色んな人が支援してくれて、本当に一万人を入れられた。さらに岸田・南北なんていう二大戯曲賞を受賞できた。だから僕が作ろうとしている福島の演劇拠点は、「多分これくらいならできるだろう」と現実的な落とし所で終わらせず、躁病的で、実現不可能かもしれない、本当の理想を描くところからスタートしたい。

よし。カフェと飲み屋もやろう。20歳のとき僕がイギリスで観て憧れた、地元に密着し地元を盛り上げていたあの劇場、あれをやろう。イギリス留学の成果が20年越しに実現する。

あ、ダルカラ演劇学校・11月分が募集開始になりました。年内最後なので是非!