演劇における声の表現力の可能性について思う。かつてご一緒した名優・木場勝己も「俳優は声です」と言っていた。昨年、舞台『デジモン』でアニメのプロの、と言うかベテラン・大御所の声優さん達と仕事をさせてもらって、声がただ人物の感情を表すだけでなく、その人物の置かれている状況や体勢、時間さえも表現し得ることを実感した。「体勢って何?」と思われるかもしれないが、声でそのキャラクターの姿勢を表せるし、緊張している・弛緩しているということを表現できるのだ。時間と言うと余計に超常現象めいているが、良い俳優は語り方次第で、流れている時間がリアルに流れている時間なのか、心象風景としての時間なのか、区別して演じ分けることができる。聴いていると、その違いがありありとわかる。
月: 2018年5月
『バリーターク』観劇。良い不条理演劇は良い音楽と同じで、抽象的なのに曖昧なところが全くなく、音符(=言葉)の一つ一つの意味が手に取るようにわかる、そんな印象を与えるものだ。本作もその通り、モチーフ全てが鮮烈にしてクリア。生と死という主題を率直に語り、問い掛けてくる。見事な作品。
— 谷賢一 (@playnote) 2018年5月5日