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カテゴリー: 福島でのこと

東京で会う双葉町の人々

昨日今日と東京で仕事があったので都内にいた。昨日は練馬区内で美容室「NALU HAIR OHIZUMI GAKUEN」をやっている美容師の作山さんにお会いして……と言うか、髪を切ってもらってきた。「思い出の場所っていうと、なんつっても海っすね。いつも駅に着くと友達の車に拾ってもらって、まず砂浜へ行って、語り合って、真っ暗んなって友達ん家に泊まって、次の日も友達ん家に泊まって……実家に帰るのは2日後とか? 早く帰れよって言う(笑)」……こんななんでもない青春の1エピソード話だが、あの浜辺の今の姿を知っている僕にはとても特殊なセリフに聞こえる。

今日は双葉町に壁画アートプロジェクトを仕掛けた「熱燗師」、高崎丈さんのお店へお邪魔してビジョンと夢を共有し合った。双葉の壁画アートは見るとマジで感動しますよ。

僕をよく知る人は「谷は本当に福島のことずっと追い続けてるな」と思うかもしれないが、本格的に取材を始めてからはせいぜい6年くらいだ。移住してまだ2週間。超新人、ほとんどまだ通りすがりと言っていい。丈さんのような双葉に生まれて双葉と繋がり続けている人(僕の一個上みたいだから、41年!)に人や場所・情報を案内してもらって、少しずつ僕も本当の双葉町民になっていくのだろう。双葉町を「震災と原発事故の町」としてではなく「アートやエンタメ、面白いことが次々起こっている町」として知ってもらうことで、悲劇を終わらせる。遠大な夢だが丈さんたちが打ち込んだアートのくさびはすでに町の景色や意識を大きく変えた。演劇にだって何か手伝えることはあるはずだ。丈さんとはうまく手と手を取り合い、人的・物的・場所的リソースを共有しつつ、選択と集中して投資・投下することで、双葉町を明るく面白く発展させたい。

「熱燗師」高崎丈さんのお店、池尻大橋「高崎のおかん」にて

ということを、やろうとしてます。

ごちそうさまでした

犀門といえば新宿演劇人が御用達にしている飲み屋の老舗で、もういつからあるのだろうか、池林房や呑者家・お多幸などと並んで昔からの演劇人の集う店である。そこで谷が誰かとサシ飲みをした……といえば、「まぁあの人だろうな」と特定されかねないくらいのとこだが、二人きりで飲むのは5年ぶり?ともいう大先輩にして盟友と久々に飲んで来た。大した話じゃないので今日はここまで。

ある1日の劇作家のタイムライン

10/1に双葉町に入居してずっと忙しくしているんだけど、僕以外の人にはどんなことやってるのかよくわからないと思うので今日1日のタイムラインを書き出してみた。こんな生活してます。

7:00、起床。昨夜夜中まで旅に連れてきた若い劇作家と酒を飲んでいた。その後意識を失うようにしてリビングのソファで寝ていた。それでも息子を保育園に送る習慣が身に染み付いているので7時には起きる。だがまだ起きたくないので1時間ぐらいゴロゴロしていた。

9:00、部屋の整理・掃除。ゆうべ若い劇作家に「酒代は俺が持つから、1時間一緒に飲んだら、明日1時間一緒に部屋の整理を手伝ってくれ」とアルコール外交を仕掛けていたので、一緒に引っ越し後の部屋の整理などを始める。1時間一緒に作業しただけでめちゃくちゃ片付いた。

10:00、某劇団の制作さん(アートマネジメントの第一人者)とZoom会議、雑談、作戦会議。福島に移住した私と小豆島に移住した彼とで、地域と演劇で何をやるべきか、どういう作戦があるか、来年以降、どうやって協働していくか……というZoom会議。会議と言いつつ、僕が相手の方から一方的に知識やノウハウを盗ませてもらうような豊かな会議であった。来年一緒に福島で最高に面白い演劇イベントをぶちかましたい。彼と。彼の作品は本当に面白かったんだ!

11:00、産業交流センターへ移動し、昼飯食いつつパソコン作業。まだ家にWi-Fiも引かれてないので、家から車で5分の双葉町産業交流センターへ行き、定食屋おらほ家の680円のおそばとアジフライの定食を食べながらひたすらPC作業。滞っていたメールを全て打ち返した。

13:00、南相馬市のデザイン事務所・maruttへ訪れ、作戦会議。『福島三部作』のフライヤーデザインもしてくれたリカちゃんが南相馬市で立ち上げたデザイン事務所marutt。「まるっと」の名の通り、デザインにまつわるあらゆる業務を「まるっと」引き受けてくれるので、今立ち上げ準備中の一般社団法人の宣伝・広報・コーポレートサイトの立ち上げに関して打ち合わせ&意見交換。すごくいいアイディアをたくさんくれたし、浜通りでアーティスト同士を繋げようとする連絡会議に加入することを提案してくれた。僕も地元のアーティストとの連携を深めたいと思っていたし、そうすることでより効率的・経済的な闘い方ができると思っていたので渡りに船だ。りかちゃんはもはや僕の師匠のような感じがする。彼女がリーダーとなって浜通りのアートムーブメントは牽引されていくだろう。

maruttにて自撮り。後ろのスタッフ2人はカレーを食べています。

15:00、地元のホームセンター・ダイユーエイトで掃除用品とか家具とか購入。薪を買ってキャンプしたい衝動をグッと抑えて、事務所の整理・整備に力を注ぐ。今日でだいたいお掃除道具とかアメニティとか揃ったので、グッと運用しやすくなったぞ。

16:00、家に戻ってPC作業。書いても書いても受信トレイのメールが減らない。

17:00、若い劇作家を乗せて車で出発。富岡町へ。

18:00、富岡町の演劇の指導者的立場にいらっしゃる青木先生と合流し、文化の日の発表へ向けた稽古へ参加。80代の先輩とかとも一緒になって「マツリダワッショイ!」と北原白秋の詩を全力で群読してきた。こういう、地域でコツコツ、演劇活動をしていらっしゃる人たちと繋がりたい。さらに青木先生はとても遠大かつ有意義なビジョンを持っていらっしゃるので、微力ながら何でも協力したい。

20:15、双葉町の自宅へ戻り、PC作業&戯曲を一本読む。風呂にお湯を溜めて風呂でも読む。

22:15、ようやく戯曲も読み終わり緊急のメールも書き終わったので、ブログを更新している。これを書いたら酒飲んで寝よう。

明日は8時には起きて、9時から新聞取材を受け、その後書類作成・送付などの業務をした後、東京へ一度戻る。明後日から長崎へ出張なのだが、福島から行くより東京から航空券取った方が5万円以上安いので一度東京に戻るのだ。それから5日ほど博多・長崎に滞在している。9月はほとんど豊岡にいて、9/30からはずっと福島にいるので、いよいよ東京は「経由地」くらいになってしまった。

ブログ更新をテコでも続けている。毎回サポート(送金)してくれる人がいて恐縮している。一度に五万円もドーンとサポートしてくれる人もいた。少額でも必ず毎回100円ずつとか200円ずつとか寄付してくださる人もいて大変勇気づけられている。今、僕が福島でやってることの大半は、いわゆる「初期投資」で一銭の金にもならない。全て持ち出し、やればやるだけ減っていく。しかし、今、これをやらないとダメなのだ。金儲けのことを考えてはいけない。今きちんと地元の演劇人やメディアと繋がり、地域の課題を理解して、その上で「演劇に何ができるか」提案しないといけない。

自分のやりたいことは、自分の劇団でちゃんとやります。福島で立ち上げる一般社団法人 福島ENGEKI BASEは、演劇を使って、地域のやりたいこと・役に立つことをやる組織だ。誰かのためになることをやる、そのための一般社団法人。まずはきちんとリサーチから。

maruttから見える田園風景 めちゃくちゃ綺麗でずっと見ていられる
maruttのマスコット猫ちゃん 寝てた

bipolar unconditional ideas

僕は旅行好きで学生時代はバックパッカーみたいな貧乏旅行も多数していて、おそらくもう10~15カ国くらいは回ってると思う。こないだも40歳のオッサンなのにスコットランドで一泊1500円の相部屋ドミトリーに泊まったりしていた。そういうところの方がビジホとかより全然楽しい。

現地に行く/いることでしかわからない、感じ取れない、気づけないことが多々ある。こうして福島双葉町に入居してみて、すでにいくつものBrilliantなアイディアが閃いた。列挙すると、

・駅西の公共スペースを使ってレジデンス&クリエーションのトライアルをやる ・双葉町の浜辺(伝承館のあるあたり)で『わが町』を3/11に上演する ・準備中のレジデンス&クリエーション施設には昼はカフェ夜はバー(あるいは赤ちょうちん)を併設し、双葉町初の演劇の稽古場兼飲み屋を作る

レジデンス&クリエーション施設の本拠地は別途賃貸か新築で作ろうとしてるんだけど、町役場のMさんに相談したら最高の場所を紹介してくれた。これならもう来月にも誰か招聘して無料で稽古&宿泊してもらえる。やりたい人、いませんかね? 若手演劇人はもちろん対象なんだけれども、僕より先輩のベテラン、例えばチョコレートケーキの古川さん&日澤くんとかすごく合うだろうし、さらに先輩だけど鴻上さんとか愛先生とか大先輩格の人に来てもらうのもいいななんて思ってる。『わが町』はやりたくてずっと権利元と交渉したりしていたんだけど、本当にやる。もう権利は押さえたから今から誰も手出しはできない。そしてその最高の上演場所が手に入りそうだ。La Mama ODAKAと一緒にやるが、双葉町の町内で是非やりたいと思っている。南相馬市で観る『わが町』と双葉町で観る『わが町』は、おそらく全く感触が違うだろう。そして今は飲み屋が一軒もない双葉町に、一番早くオープンした飲み屋が実は演劇人が作ったものだった……なんてのは面白いんじゃないかな? 役場の人たちも5時に仕事が終わって、本当なら一杯飲んでから帰りたいだろう。稽古場の隣にカフェがあり、夜になるとバーか赤ちょうちんになってる……なんてのは面白いし、うまく雇用を生み出し、かつスキマ時間を有効活用できるだろう。

人の役に立つことをする。という視点で言うと、演劇をやりつつ飲み屋を作れば、より多くの人の役に立てる。今日このことを相談していたビジネスパートナーのK女史も「お芝居が始まる前、ちょっと早く来て、併設のカフェでコーヒーを飲みながら開演を待つ時間は必要」「終わったあと、今はコロナで難しいけど、食事しながら、飲みながら、誰かと感想を言い合う。これがなきゃ」と言っておった。全くその通りだと思う。演劇とは、我々クリエーターにとっては作品・芸術・言葉や表現であるが、観客にとっては体験であり行楽であり、デートであり交流であり非日常体験なのだ。

一度やると決めた以上は、そこそこ、まぁまぁ、を目標にせず、やたらでかい実現不可能な夢を描くべきだ。福島三部作だって「一万人入れるぞ!」とか大言壮語を言ったおかげで、色んな人が支援してくれて、本当に一万人を入れられた。さらに岸田・南北なんていう二大戯曲賞を受賞できた。だから僕が作ろうとしている福島の演劇拠点は、「多分これくらいならできるだろう」と現実的な落とし所で終わらせず、躁病的で、実現不可能かもしれない、本当の理想を描くところからスタートしたい。

よし。カフェと飲み屋もやろう。20歳のとき僕がイギリスで観て憧れた、地元に密着し地元を盛り上げていたあの劇場、あれをやろう。イギリス留学の成果が20年越しに実現する。

あ、ダルカラ演劇学校・11月分が募集開始になりました。年内最後なので是非!

明日から入居なので家族で福島へ来ているが、実は単身赴任であること

ニコニコとマシュマロを焼く妻と無力にもおぶわれる次男氏(1歳)

10/1からマジで福島へ移住します。住民票も移します。数十年ぶりに福島県民になる私です。よく聞かれる質問で「ご家族はどうされるんですか?」というものがあるが、お返事は簡単で「家族は東京に残ります」ということになる。なぜか。

保育園がないんです。

私の移住する福島県双葉町は、もうかれこれ11年半、原発事故の影響で帰還困難区域、帰ってはならぬ、居住してはならぬという土地でした。11年半、誰も住んでいなかった凄まじい町です。晴れて今年の8月30日に避難指示が解除され、ようやく住めるようになったけれど、戻ってきた住民は(僕もさっき聞いて驚愕したんですが)わずか30人ほど。元は8,000人いた町が、今は30人。しかもそのうち20人は町役場関係者すなわち行政職員だというから、要はほとんど誰も帰ってきてないわけです。

11年半無人で、今は人口30人。そういう町ですから当然、コンビニ一つありません。病院もない。スーパーもない。図書館すらないわけで、これは違憲状態ですらあるはずです。「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」はずですが、何もない。すると当然、保育園なんかないんです。だから家族を連れて来れない。

今僕が住んでる東京都練馬区ですら保育園の獲得時には大戦争で、今の保育園を何とか・ようやく・ギリギリでゲットできた。だから簡単に保育園辞めますなんて言えない。しかも上の子と下の子で別の保育園を指定されたのでめちゃくちゃ不便している。それでも保育園がないと、僕か妻かどちらかが、仕事をやめて家事育児だけに専念するしかなくなる。保育園がない町では、子育ても無理だし、男女共同参画も無理なんです。

そして双葉町には保育園も幼稚園も一つもない。小学校も中学校も高校ももちろんない。となると残念ながら今時点では、ファミリー世帯の移住は無理という結論になります。だから僕の住民票だけ移すことにしました。妻子全員のを移すと通える保育園が根絶してしまいます(これは非常に切実な問題です、保育園落ちた日本死ね)。

私のようなヘンテコ演劇アーティストが移住して暮らすことは十分できる。むしろ創作に集中できていいかもしれない。しかし保育園がない、求人もアルバイト募集も何もないこの町へは、とてもじゃないけど家族ごと引っ越しては来れない。僕が単身赴任をするという事実自体が、いかに福島の浜通り・双葉町に課題が山積しているかという一つの指標にもなっているわけです。これを解決しないと、子育て世代、ファミリー世代は入って来ない。

ここをなんとか、人が暮らせて、子供を育てられる街にしたい。さぁ大変だぞ!

とは言え僕だけ単身赴任するにしても、家族は家族なわけですから、是非とも近隣の住民にうちの家族を紹介したいと思ってみんな連れてきました。妻子も応じてくれて今日は港で魚をたくさん買い、バーベキューなんかしたりしました。しかしこの町の人口は30人にも満たない……となれば、そもそも紹介する人がいるだろうか。

長男は自然に触れて大変楽しんでおりました。あと恐竜の公園でエキサイトしていました。それだけでも僕としては嬉しい。せっかくの土日有給を潰して福島に帯同してくれている妻もありがたい。しかし5年か10年か、時間が経てば、家族でも住める町になるのだろうか? 双葉町は。そういう大きなプロジェクト、問題に、私たちは直面している。

なんて、それもこれも全て「東京に電気を送るため」に生まれた問題なんですがね!

RT、いいね、その他SNSでの拡散、あるいは投げ銭などご支援心から待望・感謝しております。前回の記事では本当に驚く様なご支援を頂きました方がいました。心から感謝します。

豊岡演劇祭のこと

これから私の人生の第二章と言うか、新たな挑戦が始まる。すでに様々な困難に遭遇しており、さてどうしよう、打開策は何だと考えたとき、トンチンカンに聞こえるかもだけど「ブログを毎日更新すること」じゃないかと思えてきたのでこれから毎日更新してみる。何を今更そんな15年前のテキストサイトみたいなこと言ってんだと思われそうだが僕もコツコツWeb日記を書いてReadme!のランキングを上げていた世代だ(もはや誰にもわからない話)。原点に戻る。そこに活路がある。かもしれない。Twitterはもはやまともに議論できる場所ではなくなってしまったのでほとんど何も書けないし、古風だがブログをコツコツやってみよう。

先週まで兵庫県の豊岡演劇祭を視察してきた。これから福島に移住して現地で演劇をやるにあたって、平田オリザと青年団そして豊岡市の人々がどのように「地方と演劇」のニューバージョンを切り開いているのか知りたいと思った。

8月に行ったエジンバラフェスティバルは「まぁ10日もいれば十分だろう」と思ってえらく後悔したので、今回は演劇祭の期間中ずっといた。9/15~25までいて主要な演目は全部観た。トータル20本観たので地上で五番目くらいには豊岡演劇祭を見尽くした人だと思う。

豊岡演劇祭は初年度(2020年)でもコロナの打撃を食らいつつも7500億円だったかな?の経済効果を上げたらしい。使った予算を大きく上回る経済効果をもたらし、地元に5000泊とも言われる宿泊客需要・観光業需要を盛り上げたとか。豊岡市はもともと城崎という超有名温泉観光地があり冬はカニがめちゃくちゃ旨くて神鍋高原でスキーができて……と観光都市で有名なのだが、9月は特に客が少なく民宿や旅館も閉めてしまうところが多かった。だからこの9月に演劇祭をあてたらしい。この目論見はかなり成功しており今年2022年は1万泊もの宿泊需要の増加が予想されているとかで、実際僕が行ったときは本当に宿が取れなかった。それでヘンテコなラブホテルの跡地みたいなとこを借りてひどい目にあったりもした。俺がではなくそこに泊まった後輩がだ。今回、ダルカラに出てくれた若者たちをごっそり連れて行ってやったりしていたので大量に宿を確保する必要があったのだが、豊岡の温泉宿は1泊2万も3万もするのでとても借りられない。そこでヘンテコなラブホテルの跡地を借りたらすごいとこに遭遇してしまって……。話が逸れたからやめる。

途中で帰った人もいるので最後にいたメンバーとだけ記念撮影した。若いうちになるべく演劇祭は観ておいた方がいい。

撮影のときだけマスクを外した人がいました

演目では市原さんのは圧巻だったし、多田さんのハッピーハッピーな巡回演劇が最高だった。青年団の『日本文学盛衰史』は僕の視点が変わったのか初演よりもぐっと面白く切実に見えた。『銀河鉄道の夜』も初めて観たので、ああオリピーは昔っからずっとこのことについて書いてるんだな……やっぱり漱石先生と似ているな……なんてことも考えた。あと『新・豊岡かよっ!』がめちゃくちゃ面白かった。地方都市で地元とやる演劇ってこれが正解なんじゃないか。うまく地元をまとめよう・繋がろうと思ったとき策士策に溺れるでいろんな作戦を考えるが、シンプルに「演劇をする」ということで繋がる、そうだこれこそ基本かつ最強の戦術なんじゃないか?ということを思い出させてくれた。CoTiKのことも思い出した。

他にも素晴らしく面白いものがいくつかあったが毎日更新しようと思うと長文書いてたら続かないのでもう終わりにする。観た公演や参加したイベント全部書いておこう。坂口修一リーディング公演『お父さんのバックドロップ』、カミーユ・パンザ演出『思い出せない夢のいくつか』、岩下徹×梅津和時 即興セッション『みみをすます (谷川俊太郎同名詩より)』@永楽館、劇団 短距離男道ミサイル『BNN』、青年団『日本文学盛衰史』、山海塾『降りくるもののなかで―とばり』、ルサンチカ『Good War』、『新ハムレット』、Platz市民演劇プロジェクト『新・豊岡かよっ!』、ヌトミック『ぼんやりブルース 2022』、小川未明『花咲く島の話・船の破片に残る話・強い大将の話・ある夜の星たちの話』(観る予定だったが台風のため公演中止、残念!)、ON-PAM、しんしんし『しんのいし』、烏丸ストロークロック『但東さいさい』@久畑 一宮神社、ノイマルクト劇場+市原佐都子/Q『Madama Butterfly』、Mi-Mi-Bi『未だ見たことのない美しさ ~豊岡ver.~』、小菅紘史×中川裕貴『山月記』@玄武洞、劇団あはひ『光環(コロナ)』、豊岡物語プロジェクトB、多田淳之介『スーパーハッピーYBランド2022~チルチル&ミチルのハッピーツアーズ~』、青年団『銀河鉄道の夜』。

谷賢一、福島県・双葉町に引っ越します

一年以上準備していたんですが、ようやく正式に入居許可が届いたのでお知らせします。私・谷賢一は、2022年10月1日から福島県・双葉町に引っ越します。東京での演劇活動も継続しますが、住民票は福島県双葉町へ移し、今まで以上に「わがこと」として福島と原発について考えていこうと思います。

少し経緯や、夢について書きます。有料記事ですが最後まで無料で読めますので、是非お願いします!

双葉町とは

福島県双葉町。『福島三部作』の舞台になった町で、大熊町と同じく福島第一原発の立地自治体として知られています。そしてこの町は、震災から11年半、ずっと人口がゼロ人でした。11年半、誰も帰れなかった。この悲劇が想像できるでしょうか。今年の8月30日、ようやく一部地域(全部ではない)で避難指示が解除され、新たな一歩を踏み出したところです。

左はGoogle Mapより 右はWikipediaより

私はもともと母と祖父母がお隣の浪江町の出身で、私自身は郡山市生まれ・石川町育ち。双葉町とは特にご縁はなかったのですが、三部作の取材を続けるうちにすっかり愛着が芽生えてしまい、2019年に三部作が完成した後も、数ヶ月に一度は必ず様子を見に行っていました。どうしても放っておけない、常にずっと気にかかる町です。要は好きになっちまった。

しかし同時に、住民の95%が帰還できない、町の面積の90%が立ち入り禁止という、異常で残酷な、許してはならない、あってはならないことが起きている町でもあります。震災と原発事故はまだ終わっていない。

10年目の双葉町

仮にあの震災の朝に生まれた子どもがいたとして、彼/彼女ももう10歳になる。かなり難しい漢字も書けるし、楽器を弾いたり大人向けの映画を観たり、小さな大人になり始める頃だろう。しかし復興は遅々として進まない。双葉町は未だに人口ゼロ人、誰も帰還できていない。

駅前の一部地域は避難指示が解除されて自由に立ち寄れるようにはなった。「双葉町まちあるきツアー」なんてのがやってたので参加してきた。

駅前に人がたくさんいる! それだけでもかつての無人の荒野を知っている者からすると万感の思い。ここまで来るのに10年かかった。

データで語る重要性~「なんとなく」危ないと語ることの「とてつもない」危なさ~

福島のことを話していると時々、こんなような言葉に出くわします。

「とは言っても、やっぱり危ないんでしょ?」
「統計には出ないレベルで健康被害が出てるんじゃない?」
「除染したって言っても、本当はガンが、奇形が……?」

いずれも「データや統計はない」が「危ないだろう」、あるいは「データや統計自体を信じられない」というような意見です。一見、良識的にも見えるこういった言葉が、実は「やっぱり福島の野菜はちょっと」「住んでたらガンになる」等の風評被害を後押ししていること、そしてそれが実は人の命さえ奪っていることを、多くの人に知ってもらいたいと思い、この記事を書きました。

『戯曲 福島三部作』が、「脱原発を目指す文学者の会」文学大賞を受賞しました