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カテゴリー: 福島でのこと

いま福島県浜通りが一番面白い、11月2日(水)

6時半起床、8時まで寝床でゴロゴロしつつアイディアメモの整理など行い、銀行業務、役場にて家賃を払う、デスクワーク少々、ウェブ連載の原稿を何度も何度も推敲したのち送付、その後ダルカラ演劇学校の講義準備&教科書執筆。わかりやすくて読みやすい。専門書ほど難しくなくWikipediaよりは整理されてる。そういうバランスを目指して執筆している。読み物として面白いって大事なことだ。たまに読み物として面白い上に勉強になるなんて書物がある。そういうのを目指したい。

午後、新聞取材一件、僕の年末の公演までの足跡を追っかけたいという嬉しいお申し出。企画会議通るといいな。その後雑誌取材一件。演劇雑誌でも福島の新聞でもなく、とあるライフスタイルの雑誌から。県の職員さんも同行されていたが彼曰く僕は双葉町の移住者第一号で確定らしい。ありがたい!

取材後ぐったり疲れて30分だけ仮眠。その後浜通りのアーティストたちが集まるアーティスト・ネットワークの決起集会へ参加。

現地参加27名、オンラインでの参加も加えればもっと。僕は演劇の人間だが映画の人や現代美術の人もいたし、町おこし、地域づくりのNPOや一般社団法人などの他に、アート・ディレクター、キュレーター、デザイナー、プランナー、フォトグラファー、ビデオグラファー、ライター、ディレクター、ヨガの人、シェアハウスやコワーキングスペースの運営、障害者福祉、公共劇場の人、役場の人、内閣府の人……。本当にいろんな人がいた。

福島県浜通り地方というのは原発事故により「全員避難!」と言われて一度もぬけの殻となり、どの町もそこから町を復興するという無理難題にトライしている。なので自然とアーティストやベンチャーの人が増える。今回の議題は「アーティストみんなで連携することでそれぞれの事業や効果を強化・効率化できないか」というものだった。旗振り役を務めてくれたmaruttりかちゃんは本当に賢い女性だ。素晴らしい引き合わせだ。僕もアートで町を立て直そうと考えている若者や同業者たちと出会えて刺激になった。こんなに面白い人が集まっている地域は日本中どこを探してもないだろう。全ての町がフロンティアなのだ。野心家ばかりうごめいている。

興味ある人は是非ご連絡を下さい。このアートネットワーク連携が成功した暁にはマジで福島浜通りが芸術的に言って最も新しい地域になっている可能性が十分にある。そしてそうならなければならないのだ。私は何も「地方にしては面白いよね」なんてレベルのものをやろうとしてるわけじゃない。国内でも最高峰の、そして国際的にも戦えるレベルのコンテンツを発信しようとしている。福島浜通りは大変なビハインド、難しさを抱えてしまった町だ。「それなりに面白い」なんてレベルのものでは戦えない。「世界的なレベルで面白い」コンテンツを作り、発信する。そうでないと勝ち抜けない。僕はそういうものをこの地域に持ち込むつもりでいるのだ。

11月1日(火)、ふたばふたたび

AM9時、銀行業務。また月末締めに間に合わなかった僕はポンコツだ。AM10時、ファミレスで執筆・事務作業など。進行中の企画について進展が見えて嬉しい。AM11時、再来年の執筆作品についてZoom会議。会議は踊り何だかよくわからん着地をする。卵が先か鶏が先かとよく言うが、やはり私は先にテーマを話すということが不毛に思える。「面白い」と思えるプロットや題材を見つけたのちにテーマが出てくる。炙り出されてくる。テーマ優先で書き出すと説教じみた話になりがちだ。あれは6年前だったか、デヴィッド・ルヴォーにアドバイスをもらって以来、社会的な問題について書くことをためらわなくなったが、それでも「テーマ性よりも芸術性」「意味より面白さ」という芸術至上主義を忘れずにいたい。何かを言うために演劇をやるのではなく、演劇をやるために何かしら言う……そう言っていたくにおんちゃんの言葉に僕は今でも深く共感している。

13時半から新国立劇場演劇研修所にてシーンスタディ。各幕を順番に読み合わせし短くダメ出しや意見交換・ディスカッションをする。今日は非常に難しい話題に触れた。観客を感動させるのは俳優にしかできない仕事だ。演出家はお膳立てしかできない、直接観客を動かすのは俳優だけ、つまり演劇創造の主体は俳優なのだ……という話と、共同創作する以上は全員がシーンに責任を持つこと、時として「私はそれには反対だ」「私はそれをつまらないと思う」と意見表明することの意義を話した。相手が僕のような三下でなく宮田慶子だろうが栗山民也だろうが「私はこう思う」「私は違う」と俳優は話していいし話すべきだと伝えた。もちろん「共同作業」は非常に難しい行為でありこんな簡単な原理原則だけではうまくいかない。お互いの領分・領域を認め合い体重を預け合うような信頼関係が必要だ。経験や現場勘も重要になる。しかし俳優は誇りあるクリエイティブな仕事だということは伝えたい。数年後プロの現場に彼らが飛び込んだときに思い返して欲しい。

18時に稽古場を飛び出し3時間半ドライブして1週間ぶりくらいに福島に戻ってきた。若干の寝不足で途中意識が遠のきかけたため大量のブラックブラックガムを買いコーヒーを爆飲みして常に「ワーッ!!」と叫んだりラジオやナビの音声に「なーるほどね!!」「了解!!」「マジでー!!」などとリアクションしながら運転していた。駐車場で仮眠しようとすると眠れないのに運転していると眠くなる、こういう時はこれくらいしか対策が思いつかない。

双葉につくとあまりの静けさに驚いた。全く人気がない。完全な静寂だ。寂しくも思うが同時に「帰ってきたな」という感覚もある。入居が10/1だったから気づけば今日で入居後1ヶ月が経った。当初はかなり意識して「東京へ行く」「双葉へ戻る」という表現をするように気を付けていた。気を抜くと「東京に戻る」と言ってしまうので。今ではすっかり「双葉に帰ってきた」と意識せず言えるようになった。そして、ちょっと落ち着いている僕がいる。ビジネスパートナーの菊池さんと短く雑談をして別れた。この短い会話も何だか「双葉で友達と会う」という小さな喜びに満ちていた。彼女の話によれば近所に小学生の兄弟を子供に持つ世帯が越してきたらしい。早く彼らの騒がしく遊ぶ声を耳にしたい。

10月30日(日)、本広監督たちとトークセッション

丸ビル1階のイベントスペースというめちゃくちゃ目立つ場所でトークイベントがあり、出演してきた。登壇者は『踊る大捜査線』『幕が上がる』ほかあれもこれも撮ってる本広監督ほか映画界で映画製作および映画祭執行にキャリアのある人たちばかり。演劇畑からは僕だけ出張っていたがこれから映画業界とも仲良く連携してやっていきたいので万難を排して駆けつけた。本広監督はが演劇マニアでもあることは有名だがまだ動員1000人にも満たない頃からダルカラを観てくれている。大先輩ではあるが古い友人と会うような喜びがあった。さぬき映画祭の話を諸々伺ったがいくつかの名案を全て福島で企画しているフェスティバルでパクらせてもらおうと思った。「パクらせてもらいます」と言ったら本広監督も目を細めて喜んでいた。たった1時間半しかないトークイベントだったので話したいことの半分も話せなかったので、言えなかったことを少しだけここに書いておくが、各地の映画祭が成功を収めているように今後はコンテンツ事業が地方の鍵になることは間違いない。人口がどんどん減っていく地方都市が工業や商業で勝ち上がるのは逆立ちしたって無理なのだから、文化芸術あるいは技術を用いてユニークな発信をする他ない。僕はこれは日本そのものにも当てはまると思っている。来たる少子超高齢化&人口減少社会において、規模感やマンパワー、資金力はアメリカ中国インドそういった国々に勝てるわけがない。これもやはり文化芸術あるいは技術の力を伸ばすことでしか戦えないだろう。元々日本が持っている文化芸術そして技術の資本力はすごいものがある。今ひとつそれを伸ばしきれていない現在の教育や政策を見直し、浮世絵が19世紀の美術をひっくり返したように、SONYやトヨタや松下が20世紀の産業を引っ張ったように、コンテンツ力で戦うことは可能だ。そして地方でも最高峰の演劇は作れる、それは……この先はまたいずれ書きます。東さんの『コーダ あいのうた』上映@請戸漁港マジで行きたかったな! あれホントいい映画だったよね。

山奥で書き物をする10月29日

今度、某ウェブメディアで連載が始まる。さてその第一回原稿をそろそろ……と声をかけられ断頭台に登った。故・井上ひさし先生も「書き出すまではみんな傑作」「構想を考えてるうちが一番楽しい」と言っていた。つまり、楽しい時間は終わりだ。書かねばならぬ。傑作になるか駄作になるか結果も見える。ああ怖い。

左は伊藤さん 右は長男くん

そこで山奥へキャンプに来た。心が弱るとすぐ山奥へ行く。しかしこうして新鮮な空気を吸い、小川のせせらぎを聞き、ビールなんか飲みながら晩ごはんの支度なんかしてるといいアイディアが出るんだよ。なんてうそぶいてたが、車で嘔吐し、森で行方をくらまし、バーベキューの網をひっくり返す長男氏の相手をしていたら、晩ごはんが終わるまで一行も書けなかった。

タコ糸とスルメで「ヤマメを釣る!」と息巻いていたが、何も釣れなかった

夜、息子が寝静まり、バーベキュー焼きながら考えてたことを少しずつ文字にしてみた。ここに日記で書いていることとは全く違う筆致で書きたい。こないだイギリス人の劇作家に福島を説明したときのように、福島のことを全く知らない若い世代や外国人、あるいは未来将来の人が読んだときに、今の福島の問題が克明に伝わるようなものにしたい。また僕に書けるのはやはり「ここに住む私」の実感でしかない。この日記は割とカジュアルにやりたいと思っているのだが(でないと続かない)、連載の方は結構ヘビーな内容でやりたい。書きづらいことや物議を醸すようなことにも勇気を持って切り込んでいかなければ物書きの名折れだ。

というわけで第一回の原稿は、移住の話の前日譚として、僕が初めて双葉町を訪れたときのヒヤリとした体験を書くことにした。近日中に発表になりますのでお待ち下さい。

青春、10月26日(水)〜10月28日(金)

すみません、体調不良でバテたりしてました。体調不良と言っても二日酔いなのですが、一昨日の夜にしこたま飲んで二日酔い……どころか何なら三日酔い、今日の昼過ぎまでずっと具合悪かった。↓にその盛会の様子を示します。

新宿歌舞伎町にある居酒屋「うまいもん 本店」。日本酒三種を同時に楽しめる「利き酒セット」メニューが10種類以上、いやもっとかな? とにかくたくさんある店で、私は午後7時から飲酒し始め、4時間くらいで記憶を失くしているのだが、どうやら深夜2時くらいまで飲んだらしい。日本酒をがぶがぶと。「冷酒と親父の小言は後から聞く」とはよく言ったものでひどい2日酔いに苦しめられることになる。いい大人が7時間も飲んじゃいけない。

なぜそんなに飲んだのかというと、上の写真、ここに写っているメンバーが悪いのだ。店は新宿。しかし集まったメンバーは福島県・浜通りに活動拠点を持つ演劇やデザイン・現代美術のアーティストたちである。「文化芸術の力で浜通りに力を」ということで会議をしていたわけだけれども、こんなに熱心に語り合う夜を僕は久々に味わった。劇団を旗揚げして間もない頃、20代にはそんなことばっかりしていたわけです。終電逃して、一体何の役に立つのか、演劇論や夢、次回作の構想やお互いへのダメ出しなんかを飽きずにずーっとやっていた。そういう青春を思い出す夜であった。

しかし確かにそうなのだ。浜通り、特に双葉町は、これから青春のときを迎える。我々アーティストだけでなく町役場の人や飲食業の人、農家さんもビジネスマンもみんなこれから「さぁ新しく町を作ろう」という大きな仕事に取り掛かる。それは夜明けと言ってもいいし、青春でもある。僕は人生で2回も青春をやれるのかと思うと嬉しい。

なので飲み過ぎた。2回目の青春だからと言って、愚かしさまで繰り返す必要はないのだが。初めてお会いする方もたくさんいたが「マジで福島浜通り、喧嘩してる場合じゃないよね!」と意見が合った。演劇、美術、デザイン、映像、それぞれのアートが手を取り合えば、さらなるシナジー(相乗効果)が生まれる。

新国立劇場・演劇研修所での授業にはちゃんと行っている(2日酔いでも行く)。「まずは徹底的に、戯曲のわからないところ、知りたいところを掘り下げよう」「自分の好きなとこ調べてきておくれ」と生徒に振ったら、ある生徒が劇中に出てくる飲み物を試作してきてくれた。素晴らしい仕事だ。その飲み物はちょっとトリッキーな書かれ方をしている上に、日本語に訳語が存在しない単語が使われていたりするのでイメージが掴みづらい。おまけに100年前の飲み物だからもう手に入れることもできない。そこで「近いもの」を「近い食材」を使って自作してきてくれたというわけだ。

信じられないだろうけれどもこの台詞、「ストローベリー・ソーダ」は正確にはソーダじゃないし、「クリーム・ソーダ」は日本のものとは色も味も全然違う。そして最終的に注文する「ストローベリー・クリーム・ソーダ」は「ストローベリー・ソーダ」とも「クリーム・ソーダ」とも違うものなのだ。わかるか、そんなもん。でも僕らは上記の写真のように実物でイメージを掴んだので絶対に間違えない。この3つの飲み物の「違い」がわかることで、エミリーがジョージを、そしてジョージがエミリーをどう思っているのかが読み取れる。

こういう小さな調べごとをするのは大変だけれど、きちんとやっておくと必ず演技に生きる。本当に楽しくやろうと思ったら楽をしてはいけない。むしろつらい、面倒な仕込みをたくさんして、苦しい苦しい時間をたくさん味わうことでしか、本当に「楽しい」演劇体験はできない。それは演劇屋でもラーメン屋でもビジネスマンでも同じだろう。

ま、なんかそういう標語を意識高い系のラーメン屋でこないだ見たのでそのままパクって書いただけです。意識高い系のラーメン屋はどうしてすぐポエムを壁に書いてしまうのか。カレー屋とかうどん屋で見たことないからラーメン屋特有の現象な気がする。

二日酔いも治ったので明日もバリバリ働きます。

福島県庁&へたれガンダム

毎日ブログを更新するなんて言って昨日も更新してないじゃないか、というご批判は甘んじて受けます。またしても山奥で電波の入らないところへ行ってしまい、今日は朝から晩まで大忙しで全く更新する暇がありませんでした。今日は県庁へ伺い「なぜ演劇が福島の復興の役に立つのか」ご説明差し上げておりました。

すさまじい逆光 福島県庁

自分の作品は勝手に作るのでほっといてもらっていいんだが、今計画しているアーティスト・イン・レジデンス事業、来年夏の開催を目指している舞台芸術祭、そして演劇公演を使った文化発信と誘客、この3本柱を達成するには広く県民の理解が必要になる。今んとこすべて自己資金=持ち出しでやってるが、それでは10年20年と続く事業にならない。やがては賛助会員を募って資金を集め、事業化して収益も生み、県や文化庁の助成金だのみでない運営ができるようにという形を目指しているが、そのためにもスタートアップの段階では各自治体・市町村との連携や協力が重要になってくるわけで、県のえらい人たちにビジョンとプランを熱弁してきた。ハコモノではなくソフト、演劇というコンテンツとアーティストという人間の力を使って人流を生み出す。持続可能なスキームを作り上げ、何なら僕が死んだ後でも勝手に続いていくようなサイクルを作り上げる必要がある。福島の人たちに「なるほど、演劇があると町が楽しくなる、盛り上がるな」「地元のお店にお金も落としてくれるんだな」「それに、震災の悲劇の町としてではなく、楽しい町として見てもらえるかもしれないんだな」……とわかってもらえるまでは僕の自己資金と人脈をフルに使ってワイワイ頑張るつもりだが、僕という個人に属人的な事業にしてしまうと長く続かない。きちんと持続可能な事業形態を作り上げる必要がある。1~2年のうちには達成したい。やれると思っている。

おそらく来月半ばくらいには僕たちのプランとビジョンをすべてオープンにできると思うので、それまで待っていて下さい。あっ!と驚くすごい話がたくさんあって、マジで福島楽しいんじゃない?と思わせてやります。

閑話休題。福島県庁は県北、福島市にあるのだが、同市内にはこんな観光名所がある。お台場には等身大ユニコーンガンダムがあり、横浜には動くRX-78初代ガンダムがいて、博多にはRX-93νガンダムがいるのだが、福島にもガンダム立像があるのだ。

これだ。

通称「へたれガンダム」。一度見たい是非見たいと思っていたが車じゃないと行けないところにあるので、今回はじめて見に行くことができた。

凄まじい逆光の中、ピース
後ろ姿 そしてよく見ると……
これは! テム・レイの回路だ!
逆光を浴びて立ち尽くすガンダム
シュール

県中心部から車で20分くらいかな? 見れてよかった。めちゃくちゃセンスいい。ちなみに奥には野菜の無人販売所がありました。

きゅうりとなすが安かったよ

10月21日(金)、住んでみてわかること

今日も双葉町の自宅で起きて、朝6時半、奇妙な感覚に囚われた。さびしい。家族と離れてさびしいとか周りが静かでさびしいとか、そういう感覚とも違っていて、例えるなら地球で最後の一人になった人間はこういう感じを味わうんじゃないか? そんな感じだった。たった一人でぽつんと惑星にいるとしたら、その生命に意味はあるのだろうか。私という現象を誰も観測していない。私はそれは、なぜだかすごくさびしい気がする。もちろん一人ぼっちでも愉快に楽しく生きていくことだってできる。ゲームをやったり映画を観たり本を読んだりできる。近代文明社会ツール使用禁止だとしても、川で魚釣りしたり獲物を捕まえて食べたりするのは楽しそうだ。でも、俺は楽しい、しかしそれでも俺を観測していない、と考えると、やはり非常にさびしい気がする。なぜだろう? もちろんこの双葉町には今は30人も人が住んでいる。無人ではない。しかし妙な空虚さや不安を感じた。移住してきたこと自体が大きな間違いではないかとさえ思ったくらいだ。こういう感覚は住んでみないとわからない。僕以外の皆さんは、今どんなふうに感じているだろう?

もっとも、そういう感覚はコーヒーを淹れてラジオを点けた午前8時くらいには消えていた。温かい飲み物と人の声の力はすごい。田舎ではたまに携帯ラジオをぶら下げて散歩中もずっとラジオのお喋りを聴いている老人と出くわす(大抵がキャップをかぶっており、グレーのジャンパーを着ている)。やはりラジオは心の隙間を埋めるのに最適のツールなのだろう。なんて風にラジオありがてえラジオありがてえrfcラジオ福島さまさまだぜと思いながら双葉町産業交流センターにあるおしゃれなコワーキングスペースへ行き仕事をしていたら、なんとラジオ福島のいわき支社長さんに「谷さんですか!」と発見され声をかけられ、会話が弾んだ。「福島三部作、観ましたよ、アリオスで……。戯曲も買って、読ませて頂いて……。あの、白い、コピー用紙の……」。而立書房から出た書籍版ではなく劇場で売っていたコピー用紙版を買ってくれていたなんて、ガチの方だ。彼に限らずいろんな人が声をかけてくれて大変嬉しい。頑張ろう双葉町。このさびしさに負けない。

夜は用事があるので東京の家に一時帰宅した。写真は連れ帰った途端、さっそく次男坊にボコボコにされる弊社理事の伊藤さん。

10月19日(水)、イギリス人の目から見た福島

廃墟と化した双葉高校。庭はまだ除染されていないらしい。

イギリス人の著名な劇作家が福島に来るというので一日アテンドしていた。

「津波で3万人亡くなった。原発事故で15万人避難した」
「Fuck off ! Fuck!(意訳:マジかよ? 冗談だろ?)」
「僕の住む双葉町は11年半無人だった」
「Fuck off」

彼は知的だし国際情勢にも敏感で福島のこともよく知っていた。しかし私たちの常識は彼にとっての常識ではない。

「ここで作られた電気はすべて東京へ送られていた。地元・福島では使われていない」
「それはロンドンと北部の街の関係と全く一緒だ。政治・経済的にロンドンが全てを支配している。ロンドンに住む裕福でリベラルな人たちの決定に地方は振り回されている。ケンイチはなぜ福島へ移住したのか?」
「それは怒りだ。この町やこの辺りに住む人々が受けた仕打ち。今日、風景を見てくれて実感してもらえたでしょう。こんなことが許されてはならない」
「日本に来ていろんな人の話を聞いたが、自分の行動動機に怒りと言った日本人を初めて見た。日本人は調和、同調、ハーモニーを大事にする民族だと聞いた」
「その通りです。昔からそう言われます。一人では稲作はできないからだという説明がよくなされます」
「今日見た光景は本当にweirdだった(weird:奇妙な、不思議な、異質な、恐ろしい等)」

そういえば先ほど「亡くなった」と書いた。しかし英語での表現は”Thirty thousand peaple was dead.”だったはずだ。訳するなら「3万人死んだ」が正しい。僕は日本語を書くときとっさに「死んだ」という表現に耐えきれず「亡くなった」と言い換えた。英語でなら”dead”と言えて日本語では「死んだ」と言えない。英語でもpass awayという婉曲表現はあるが、津波で3万人がpassed awayしたという言い方はなんだか不自然な感じがする。

その夜、ちょうどその前に読んでいた本の影響もあって、記憶の連続性ということについて考えた。連続性こそが命なのではないか。例えば私は40年分の人生の記憶を持っている。間で5年抜けていたりしない。忘れたり、眠ったりはする。しかし連続している。15歳のときにロックンロールを聴いてエキサイトした自分と40歳でしみじみとロックンロールを聴いている自分はずいぶん変わってしまった。ほとんど別の人間である。しかし連続していることを私は記憶している。だから同じ人間だと言い張れる。しかしここ双葉町では11年半分の記憶がごっそり抜け落ちてしまった。この町は震災前後で同じ人間だと言えるのだろうか?

おそらく言える。しかしその11年半の喪失を今後どう埋めていくか。

彼の名前をここに書いていいかどうかわからないので、後ろ姿だけ。

1日飛ばした?

ブログ毎日更新するぞ!なんて言ってさっそく一日飛ばしたじゃないか?と一部の人はニヤニヤしているだろうが、昨日は全く電波の入らないところにいたのでブログどころかTwitterもLINEも何も見えない。なので許してね。先月からキャンプにハマり、着々と「キャンプギア」(キャンプ道具のこと)買い揃えているが、やっとちゃんとしたテントを買った。これまではホームセンターで2980円で売っていた子供のおもちゃのようなテントで寝ていた。これはこれで楽しかった(十分寝れた)んだが、さすがに狭すぎるし、どうやら自分は飽きずに今後もキャンプをしそうだということがわかったのでオモチャではないテントを手に入れた。「きっと使うだろう」と高い買い物をして全然使わない……という類の無駄遣いに自分は我慢がならないので、こうしてしばらく安いもので繋ぐことがよくある。電波が入らないことによってある種の恐怖症から解き放たれることができる。僕はスマホ中毒、ではないんだが、通知一つ見逃して大変な稽古的遅滞や経営的打撃を受けることが多いので、スマホの通知を常に気にしている。支配されていると言っていい。こうやって流石に山奥で電波から遮断されてしまえば、ようやく自分は自由だ。じっくり本を読んだり書いたり、考えごとをしたりすることもできる。

明日は12月に福島でやる公演のオーディションだ。普段以上に書類審査を厳しくやったが(オーディション参加者に無駄な交通費をかけさせては悪いので)、おかげでぎゅっと濃密な人が集まった。夜には双葉町で懇親会もある。