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カテゴリー: 論考・エッセイ

11/15(火)、必ずできる

新国立劇場演劇研修所で教えているシーンスタディが大詰めを迎えている。明日が発表の日。要は本番だ。あるシーンの稽古をしていて「ここは、いつか必ずできる」「なぜなら僕らが日常でやっていることだからだ」という話をした。演劇は人生とか人間を写し取る芸術である。普段着何気なくやっていることを意識的に再現することが必要になる。難しく考えればいくらでも難しくできるが、普段やれてることをやるわけだ。必ずできる。諦めないでほしい。

しかしそれはそれとしてやはりインプットの差が顕著だよなあとは感じた。知り合いの演劇プロデューサーが「演技がうまくなりたければ誰でもできる簡単なことがある。映画を千本見なさい、必ず上手くなる」と言っていた。僕も本当だと思う。良いものの見分けがつかない人が自ら良いものを生み出すことはできない。

半年前とかの家族旅行写真 本文とは一切関係ありません

11/13(日)、戯曲の書き方講座

戯曲の書き方講座。15名ほどが執筆に挑戦し、12名ほどが書き上げた。書き上げる。まずこれが大事なことだ。なので書き上げた人たちはそれだけで拍手喝采、大進歩。どれも良い作品だったが、昼も夜もいくつかどこに出しても恥ずかしくない名作が生まれていた。きちんとブラッシュアップすれば短編戯曲賞くらい狙えるかもしれない。昼の名作は恋の未練から冒頭と最後でまったく意見が変わってしまう人間の愛らしさを描いたコメディ風のスケッチ。夜の名作は80歳前後の女性3人がお茶を飲みながら引っ越すの引っ越さないのとダベる中で家族よりも大事な友情の姿をさみしくも美しく描き出していた。僕にはこういう作品は書けない。書き方の入口や順序、技術や格言はいくつか教えたが、彼らはもうすでにオリジナルな表現を手に入れていたということだ。

ある種の制約を与えるとかえって自由になれる。個性が生まれる。これは創作の不思議である。そして個性は出そうとするとうるさいが、意識せずにただ読者や観客のために書けば必ず個性は出てくる。これも創作の不思議だ。

11/12(土)、エチュード講座

今日はダルカラ演劇学校「絶対楽しいエチュード講座」。

  • エチュードはマジで楽しい。やり方さえ覚えれば。
  • 面白くしよう、展開をつけよう、オチをつけよう、わかりやすくやろう……そういった外からの視点をすべて捨てる。そこがエチュードのスタートラインだ。
  • エチュードも演劇であり、演劇は人間や人生を写し取るものだ。ふだん「面白くしよう」「意外な展開をつけよう」と思って生きている人間はいない。
  • ならどうすればいいか。ただ一生懸命生きればよい。具体的には自分の演じる人物の、目的や動悸を明確にする。相手役との関係を明確にする。これから入る場所の時間・風景・イメージを明確にする……などなど。
  • 異なる「目的」を持った二人の人物が出会う。そこには「対立」や「葛藤」が生まれる。「説得」や「懐柔」「喧嘩」「すれ違い」などが発生する。つまりもうドラマは生まれている

今日もまたいくつかの傑作エチュードが生まれていた。時間さえあればずーっとやってたいし、そこから生まれる作品名とか発想もある。エチュード苦手って人は面白いことしなきゃ強迫神経症にかかってる場合が多い。変な欲を捨てることと、自分と相手を受け入れること、そこから自分でも知らなかったオモシロが結果的に見えてくる。

10年目の双葉町

仮にあの震災の朝に生まれた子どもがいたとして、彼/彼女ももう10歳になる。かなり難しい漢字も書けるし、楽器を弾いたり大人向けの映画を観たり、小さな大人になり始める頃だろう。しかし復興は遅々として進まない。双葉町は未だに人口ゼロ人、誰も帰還できていない。

駅前の一部地域は避難指示が解除されて自由に立ち寄れるようにはなった。「双葉町まちあるきツアー」なんてのがやってたので参加してきた。

駅前に人がたくさんいる! それだけでもかつての無人の荒野を知っている者からすると万感の思い。ここまで来るのに10年かかった。

『ねむのき』ダメ出し・演出ノート公開<後編>

前回(『ねむのき』ダメ出し・演出ノート公開<前編>)に引き続き、現場で演出家はこんなことを話している……ということをご紹介します。今回の記事は6場から後半のダメ出しを一部抜粋でご紹介していきます。前回より短めですが、それでも1万2000字以上あります&本編をご覧でない方にはかなりわかりづらい内容になっていますのでご注意下さい。配信映像や戯曲はDULL-COLORED POP公式ウェブサイトからご購入頂けますので良かったら買って下さい。

有料記事ですが「自由課金で読む」ボタンを押すと無料で最後まで読んで最後に値段を自分で決められるので、気に入った方は投げ銭お願い致します。

『ねむのき』ダメ出し・演出ノート公開<前編>

今回ダメ出しをすべてパソコンでメモに取り、LINEグループで全体に流して一度読んでもらってから、追って口頭で説明するというやり方をしていた。短編連作なのでどうしても個別/細かいのダメ出しが増えるからそうしていたんだが、結果的に「すべてのダメメモが残っている」という面白いことになった。さすがに全部紹介するわけにはいかないが(おそらく数十万字あるだろう)、いくつか抜粋して紹介してみる。

稽古場で演出家と俳優は、こういうことを喋っているんだな……という一例としても面白いだろうし、演出家や俳優を目指す人にとっては何かの参考になるかもしれない。また『ねむのき』を観てくれた人にとっては裏話というか、作り手側の思いやこだわりが透けて見えるところがあるだろう。配信映像と見比べたり戯曲と読み比べたりしても面白いかもしれない。

エッセイ「劇を観るとはどういうことか」

昨年コロナでとある芝居が飛んだ際、某出版社から演劇論の依頼があった。「谷さんにとって、劇を観るってどういうことですか?」と尋ねられた。ああ、これは今まさに答えるべき質問だと思った。

ちょうどダンカン・マクミラン作『エブリ・ブリリアント・シング』という非常に不思議なお芝居をやっていた。セットも何もない芝居で、観客と一緒に世界を作っていく。観客が舞台上に登ったりするので、演劇的時間と日常的時間が常に隣り合うスリリングな上演だった。そして私は今まで様々に「演劇はどのように始まるのか」実験してきた。それらを合わせて一つの試論としたのである。しかし不幸にもご担当者がちょっと体を悪くされたそうで、掲載されないまま一年近く経ってしまった。

今日までスズナリで『丘の上、ねむのき産婦人科』を上演していた。明日から大阪in→dependent theatre 2ndに小屋入りする。そしてコロナが猛威を奮っている。こういう状況だと改めて「劇を観るとはどういうことか」、なぜ/どこが映像を観るのとは違うのか、考える。今日も観客が集まってくれた。おかげで演劇ができている。今、紹介することに価値のある原稿だと思ったので公開した。

一応課金記事としましたが、無料で最後までお読み頂けます。約1万1000字。

有料記事のテスト

codocというサービスをWordpressに導入し、有料記事を作成できるようになったのでテストで更新しています。以下、ヘンテコなものばかりなものの、テスト用にいくつかのコンテンツを埋め込んでみました。テスト価格100円です。『ねむのき』宗教的にすら見えるアップの光景、ボツ衣裳など、ビジュアルイメージができるまで、美術の資料など、ゆるキャラギャラリー、うちの次男がはじめてハイハイした瞬間

小劇場劇団がKindleダイレクトパブリッシングで戯曲を出版する方法(コスト・初期費用・在庫リスクゼロ)

現在公演中のDULL-COLORED POP公演『丘の上、ねむのき産婦人科』では、公演のオンライン配信があるだけでなく、戯曲(上演台本)および公演パンフレットがAmazon Kindle=電子書籍で出版されています。頑張ったらできました。タダで。

KDP(Kindle Direct Publishing)というサービスを使っているんですが、コストゼロ、初期費用ゼロ、在庫リスクゼロで出版&販売できます。必要なものはすべてフリーでダウンロード可能。データ作成の手間も想像の1/10くらい簡単でした。「台本を出版したいけど、お金が」「在庫リスクが」という小劇場劇団にはうってつけのサービスです。今回、公演開始前に販売をはじめたことで「新作なのに台本を読んでから観る」という選択肢を観客に提供できたこともよかったです。台本以外にも、うちの劇団がやったように公演パンフレットの電子書籍版を販売したり、エッセイ、小説、写真集、様々なコンテンツを発信できます。

そのやり方、恐ろしく簡単なので、ここで軽くシェアします。いろんな劇団が導入できる。何なら学生でもできます。

1.Wordで台本を用意する

別にWordじゃなくてもいいんだけど、一般的に一番使われているであろうWordで説明します。まずは普通にWordで台本を書く。この際、フォーマットや文字サイズ・余白なんかはそんなに気にしなくて大丈夫です。テキトーでOK。あとでKindle化されるときにアプリが調整してくれます。僕は普段書いているフォーマット、そのままで出版できました。

僕の普段のフォーマットはだいたいこんな感じ。Wordの画面のスクリーンショットです。こうして縦書きで書いておくと、出版時に「縦書き(右から左)」を選ぶとKindleでもちゃんと縦書きにしてくれます。やっぱり台本は縦書きですよねえ。

データで語る重要性~「なんとなく」危ないと語ることの「とてつもない」危なさ~

福島のことを話していると時々、こんなような言葉に出くわします。

「とは言っても、やっぱり危ないんでしょ?」
「統計には出ないレベルで健康被害が出てるんじゃない?」
「除染したって言っても、本当はガンが、奇形が……?」

いずれも「データや統計はない」が「危ないだろう」、あるいは「データや統計自体を信じられない」というような意見です。一見、良識的にも見えるこういった言葉が、実は「やっぱり福島の野菜はちょっと」「住んでたらガンになる」等の風評被害を後押ししていること、そしてそれが実は人の命さえ奪っていることを、多くの人に知ってもらいたいと思い、この記事を書きました。