PLAYNOTE 欲望と規律

2017年01月02日

欲望と規律

2017/01/02 23:59

正月二日目にしてだらしねえ一日を過ごしてしまったことを、自分は反省すればいいのか、喜べばいいのか、その間で悩んだ。くだらねえことで悩んでいるように見えるかもしれないけれど、重大なことだ。

何かを成さんと思えば、人生に規律は必要である。我が尊敬すべき作家であり、世間的にはグウタラ意志薄弱野郎の代表格と目されている太宰治でさえ、毎日コツコツ午前中は原稿用紙を埋め、夜はコツコツ酒を飲むという生活を続けていた。うん、後者はイメージ通りだからいいんだけど、前者はちょっと意外でしょう。

太宰治とは水と油、世間に対し堂々と彼のことをDisっていた三島由紀夫も、こんなことを書いている。

今は昭和元禄などといわれているが、元禄の腰抜武士のことを大道寺友山の『武道初心集』はこんな風に書いている。すなわち「不勇者」は、何でもかんでも気随気ままが第一で、朝寝、昼寝を好んで、学問は大きらい。武芸──いまでいえばスポーツだろううが、スポーツをやっても何一つものにならず、ものにならないくせに芸自慢のりこうぶりばかりをして、女狂いやぜいたくな食事のためには幾らでも金を使い、大事な書類も質には入れるし、会社の金で交際費となれば平気で使い散らし、義理で出す金は一文も出さず、またその上からだはこわしがちで、大食い、大酒の上に色情にふけってばかりいるので、自分の寿命にやすりをかけるがごとくなって、すべて忍耐や苦労やつらいことができなくなるような肉体的条件になってしまうから、したがって、柔弱未練の心はますますつのる。これを不勇者──臆病武士と規定している。

ぜんぶ俺に当てはまる。……と、書くことさえ恥ずかしいから、少しは改めなければならぬと思う。「何かを成すためには規律が必要だ」と先に書いたが、むしろ規律こそが何かを成すこととイコールなのだ。習慣と言ってもいい。ひたすら文章を読み書きする規律・習慣が文章家を育てるし、地道なリズム練習が音楽家を形作る。継続がプロの条件なのではなくて、継続することで芸事を生活に密着させ、生活そのものを芸事とすることこそが、プロの技芸を育む。生活の仕方がそのまま、その人間を形作るのである。

だったら毎日、時間割を書いてTo Doリストを上から順番にGTDし、予定されていないことは一切せず、四角四面に生きれば良いかというと、それもちょっと違うだろう。誘惑に負ける心もまた、自分のような職業には必要だ。予定やリストになかったオモシロが目の前に飛び出してきたとき、荷物を捨てて「あっ!」と言って飛びつく力が出会いや変化を与えてくれる。

……だからと言って、正月二日目のグウタラぶりのすべてを許容できるわけではないけれど、自己嫌悪に陥ることもない。三日目をどう律していくかだ。

(2017/01/03 13時30分 追徴課税)