PLAYNOTE 2017年3月、新国立劇場で三島由紀夫『白蟻の巣』演出します

2016年01月15日

2017年3月、新国立劇場で三島由紀夫『白蟻の巣』演出します

2016/01/15 23:31

本日発表になった。2016/17年・新国立劇場ラインナップにて、三島由紀夫『白蟻の巣』演出します。「いつか新国立劇場やるぞ」というのは一つの野心であったし、このタイミングで三島由紀夫をやる意義をとても感じており、やる気満々だ。

上記ツイートにもやる気が溢れているが、満々のやる気が空回って計算を間違えており、「60年前」と書くべきところを「70年前」と書いてしまっている。『白蟻の巣』は1955年の発表なので、60年前が正解です……。

演劇ラインアップ 説明会資料とやらには、こんなことを書かせてもらった。

昭和30年(1955年)に書かれた『白蟻の巣』は、劇作家としての三島由紀夫のデビュー作であると同時に、三島が終生、まさに市ヶ谷駐屯地で腹かっさばく直前まで考え続けた問題をダイレクトに扱っている。──敗戦から10年、これから日本人はどう生きるべきか?

「もはや戦後ではない」という言葉が人口に膾炙したのは翌年、1956年のことだったが、敗戦から70年が経つ2015年の今でさえ、我々日本人はどうあるべきか、新しい答えを見出だせていない。しばらくの間は金儲けに成功してチャラチャラしていられたが、その間、何一つ思想的な進歩はなかったように思う。

『白蟻の巣』を読むと、三島由紀夫に叱られている気持ちになる。そう長くない芝居だが、彼の魂がこもった本だ。全力で立ち向かい、その問い掛けに一矢報いてやりたい。

うむ。ここにもやる気が満ち溢れておる。別に三島は俺のことなんか知らんし、歯牙にもかけまいし、そもそも60年前に書いたもんだから、そんなつもりはないのだろうが、個人的には勝手に、三島由紀夫とガチバトルだと今から臨戦態勢である。

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と言うのも、数年前から、「そう言えば、何で三島って死んだんだっけ?」と考えることが何度かあった。三島の自殺は俺が生まれる12年も昔の話なので、その衝撃は何も知らない。俺が知っているのは文学者としての三島の横顔だけで、活動家としての三島については全く興味がなかったのだ。

しかし、あれほどの美文を残した作家が、なぜ政治的主張なんていうくだらないことのために死んだのだろうと不思議に思えてきた。三島由紀夫は俺にとって、一番好きな作家というわけではないが、文章力だけなら日本文学史上随一だと認める。これほどまでに文学的な高みに立つことができた男が、俗世のこと、しかも俗世で最も通俗的でくだらない、政治的なことのために、死ぬ必要なんかないじゃないか、と。

もちろんWikipediaに出てくる程度の歴史的事実と思想・主張は知っていたが、どうしても理解できなかった。

何度か調べたり考えたりしているうちに、それってつまり、自分は三島由紀夫の全体像を全く理解できていないのだということに気づいた。いや、全体像どころか、三島由紀夫の要諦、命、魂、何でもいいが、彼の文学の核そのものを理解できていないのではないか? 不安は確信に変わった。今まで興味のなかった、三島の思想的な文章にも触れるようになった。

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そんな矢先、新国立劇場からのオファーで「日本の劇」というシリーズをやるから演出して欲しい、つきましては日本の作家で何か……というお尋ねがあって、様々、新劇の作家を読み漁った。ゴーチ・ブラザーズの伊藤達哉さんや、演劇学専攻の先輩、永井愛大先生(我が心の師)にご相談したりして、様々オススメを頂いた。宮本研、秋元松代、三好十郎、村山知義、加藤道夫……と渉猟していって、どれも面白えがピンと来ねえなぁ、お、こいつはすげえ面白えがちょっと“今”上演する意義がわからねえなあ、『マリアの首』俺に寄越せよ小川絵梨子、なんて考えていた頃、「三島はどうですか」と新国立劇場サイドから提案があった。

すっかり忘れていた。そうだよ、戯曲、山ほど書いてるじゃねえか。

ちょうど、上記のような理由で、本当のところ三島由紀夫は何を考えていたのか、何を目指していたのか、ということに興味はあったが、仕事でもねえのに何十冊も読み漁るほどの暇はちょっと用意できない。しかし、『白蟻の巣』という劇作家・三島由紀夫としての出発点を上演するのなら、趣味と実益を兼ねて思う存分調べられる。『白蟻の巣』はいい戯曲だし、いい上演になるだろうと確信しているが、同時にこの上演へ向けての研究を通じて、今まで避けて通ってきた三島由紀夫の全存在、その魂に、体当たりで挑んでみたくなったのだ。

『白蟻の巣』の中に塗り込められた思想は、今の俺が知る限りでは、まさに市ヶ谷駐屯地で腹かっさばく瞬間の三島の思想とダイレクトに直結するものがある。あいつは15年もかけて、こういう思いを温めていたのだ。戦後10年しか経っていないうちに、これからの日本の姿というものを直観して、その正義感を原動力に、文学的想像力を羽ばたかせてこの『白蟻の巣』を書いたのだ。とんでもねえ作家だ。

いろいろと読んでみて、三島がシンプルな国粋主義的愛国者ではなかったということはよくわかった。右翼的な傾向があったことは確かだが、今、一般的に言われるような意味での「右翼」ではなかったということもわかった。その思想の底まではまだ全く到達できていないが、じっくりと声を聞いてみたいと思った。あれほどの文学的才能を命とともに投げ捨てて、腹かっさばいて死んだのだ。不幸にも彼の声は市ヶ谷駐屯地に集まった自衛官たちには、「マイクを持参しなかった」という冗談みたいな理由で文字通り届かなかったが、耳を傾けてみようと思った。

恐らく俺は、彼とは思想的にバッチリ合致することはないだろうが、混迷を極める現代、と言うかこれからの日本を考える上で(マジでこの国はグチャグチャだ)、これほどいい対談相手はいないだろう。

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と、いろいろ意気込んで「白蟻の巣、やりますー」って決めたわけだけど、お芝居自体はややこしいこと考えずに楽しめるスリリングな会話劇に仕上がると思います。

そこが重要なんだ。仕上がりをシンプルでわかりやすいものにするためには、作り手側は困難でややこしいことをたらふく考え抜かねばならない。徹底的に煮込まないと、シンプルな味にはならない。結果的に来年、新国立劇場というお皿に乗せて皆さんのお出しする料理になる頃には、とてもシンプルで奥深い味わいのある、食べやすい料理に仕上げるつもりだが、それまで延々、ややこしいことを考え続けることになりそうだ。

俺は新国立劇場で演出できることが、嬉しいんだ。それは新国立劇場が「えらい」劇場だからじゃない。別にえらくはない。しかしあそこは、国民の血税をじゃんじゃん注ぎ込んで、その分じゃんじゃん面白い芝居を作る責務のある劇場なんだ。日本で一番おもしろいお芝居が上演されているべき場所なんだ。そんなところこで仕事をさせてもらうことは、こいつは演劇人として名誉なことだ。いい戯曲を選ばせてもらったので、必ずいいお芝居にしたいと思います。