PLAYNOTE これが私の生きる道

2015年06月01日

これが私の生きる道

2015/06/01 01:21
DSC_0022r.jpg
池袋駅、東口にて

いけふくろう? いけふくろう? 先取りし過ぎたゆるキャラだろうが!!

こないだ旧知の仲のスタッフと飲んだ。

俺はそのスタッフに、5年前くらいに、こんな話をしたもんだ。以下、5年前の話だ。

おれ「俺は演劇ぜってー辞めねーっすから」
そいつ「馬鹿野郎。そう言ってる奴ほど、辞めるもんさ」
おれ「いや違う、俺は違う」
そいつ「それをあと十年言ったら信用してやる」

今でこそ、演劇を続けているので、そいつと飲んでいられるが、確かに今思うと、5年前の俺の覚悟は「不確定な」ものであったと思う。当時の俺は本気で言っていたのだが、本人の本気とは別に、世界の残酷さは無茶苦茶なタイミングでお前に判断を迫ってくる。

もしこれを読んでいる「俺は演劇で生きる!」と思っている若者こそ考えて欲しいのは、そんな強い思いを抱いている(と思い込んでいる)お前だって、ちょいとした事情で辞めちまうことがごまんとあるということだ。

俺の身近で、演劇やめちった人間の大半は、「まさか、まさか自分がこうなるとは」という人ばかりだ。中には突然、ご両親に病気や不幸があった人もいる。中には突然、結婚したいくらい愛する人ができた人もある。中には突然、演劇に飽きてしまった奴もいる。中には突然、一番信頼している仲間に捨てられた奴もいる。中には突然、自分の可能性を見限ってしまって、そのまま沈没してしまった奴もいる。

人生は不確定の連続なので、「俺は十年後も、〜〜やってますから!!」というのは、遠吠えに過ぎない。継続してきたという「時間」こそ、一番強いことだ。証明だ。逆に、それ以外で思いを証明する術はない。だからただ、大人という経験を盾にするバカものどもにナメられてる若者は、時間という積み木を積んでいく他、己の思いを証明する術はないと、頭の片隅に置いておいて欲しい。時間を捧げられるということこそ、才能なのだから。

以前ちょいと古い話だが、某友人と話していて、〜〜くんの話になって。「〜〜くんは演劇しか生きる道がないから、それくらいのオーラが出てたから」みてーな話を聞いた。実はそういう覚悟を持つことが大事なのかもしれない。俺も今さら、一応明大出だが、あんな三流大学(偏差値的には標準以上だろうが実に品性下劣な大学だ)を出て、職歴なしの三十三歳、もはや戻り道なんかないし、戻るつもりもさらさらない。いつの間にか、そういう状況に追い込まれているし、遊びで演劇やってへんわ! 命懸けやわ! 死ぬまでこれや! こちとら演劇で家賃・税金払って十年、だからこそ真剣になれることだってあるんだ。それが偉いとは言わない。バイトしながら演劇やって、そんじょそこらの演劇屋より素晴らしい演技・演出・脚本する奴だっている。だからあぐらはかけない。作品成果以外に自己証明はあり得ない。しかし俺にはもうこれしかないし、他をやろう、やりたいという思いさえないんだ。

考えていることはと言えば、常に突き付けられる新しい課題に対して、演劇の専門家として、どんな答えが出せるかという真剣勝負が続くだけである。毎日が戦いだ。今日も一日、演劇のことだけ考えて生きていた。KAATペール・ギュント、PARCOマクベス、次のダルカラ、年末のアレ、来年のアレ、あれとかこれとか。おっぱいとかハムスターのこととか、ガンプラのこととかヒップホップのこととか、考えて生きてもみたい。でもそれは、俺の人生じゃない。だろうから、考え続けるしかない。演劇について。

それを俺はしんどいなぁ、しんどいなぁと思いつつ、やめるつもりもねぇから、叡智のすべてを駆使して、最大の演劇的オモシロを探っていきたい。ここにしか私の、最大戦力を費やす場所はない。

俺は演劇狂信者だ。俺は演劇ファナティックだ。片足だけ演劇に足を突っ込んでる野郎どもは全員やっつけてやる。やっつけられたら、やっつけられたら、それはもう、私にセンスがないってだけのことさね。明日も頑張ります。