PLAYNOTE "T.R"

2015年04月16日

"T.R"

2015/04/16 21:54

来年、手掛ける予定の本をようやく読了した。名前を書きたいが書けない。企画もまだ首がすわらない赤ん坊のようなものだし、仮に確定していたとしても情報公開を待たないと行けない。そんなこんなが多過ぎて、最近はなかなかブログに考えたことを書けない。こういうのって、とても煩わしい。

話に聞いていた通りのプロットだったが、想像していたよりはるかに残酷で、はるかに“道徳的”な話だった。作家は序文でこの作品が発表された時、不道徳・非倫理的だといってどれだけ批判されたか、当時のいわゆる評論家勢がいかに作品を読めていないか、怒りを込めて書いているが、読んでみた俺の感想としてはとてもとっても”道徳的”な話であった。

不倫の恋のために一人の男を殺し、結ばれたとある恋愛結婚の二人。こういう題材自体が当時は凄まじく不道徳だったのだろうが、この二人に作家が貸した運命は実に道徳的な裁きであった。二人は良心の呵責に苛まれて命を絶つ。

自然主義文学というものは、宗教的だったり道徳的だったりしたそれまでの文学を否定し、より科学的に、より客観的に人間を捉えようという流れだった。それは作家自身の序文でも述べられている通りだ。しかし、この二人の登場人物を創造した神である作家自身の道徳観は、とてもキリスト教的なものに思える。それ自体は悪いことではない。作家自身が書いている通り、これは肉体と感覚だけに従って生き、精神や理性を蔑ろにした男女の話である。この二人に罰を与えた、それは作家自身の哲学だろう。哲学のない作品は駄作にしかならない。どんなに通俗的だろうと、作家の血が流れている思考や趣味がある作品は哲学的だ。最近の萌えアニメですら哲学的と俺は思っている。

だから結末や展開より興味深いのは、断片である。見つめる猫や、見つめる痛風の老婆、ベッドの中で高まる熱情。全編を通じて、性と死が、セックスとデスの匂いが漂い続けている。もとより原作をそのまま脚色するつもりはないので、性と死が現代にどう臭うのか。そういうものを書ければ面白くなりそうだ。

人間にとって飲み食いが必要であるように、彼にとっては生きるために女が必要だった。

こういう描写をぶち込んできた辺りは、さすがに読み継がれてきた名作という感があるね。二人に厳しく罰を与え、きちんと神様としての役割を果たして見せた作家だが、あの無学で無知で無教養でガサツでバカで単細胞のスケコマシの心理にああまで肉薄していた。そんな作家の魂が、一番「不道徳」かもしれないやね。