PLAYNOTE ラーメン屋とラーメン屋台を取材してきた

2014年09月27日

ラーメン屋とラーメン屋台を取材してきた

[雑記・メモ] 2014/09/27 00:38

次回作『トーキョ・スラム・エンジェルス』にはラーメン屋が出て来る。いわゆる「昔ながらの中華そば」というのを出すラーメン屋が。なもんで色々、本やネットで取材は続けていたんだが、今日は実際に話を聞いてきたので備忘録のためにまとめておく。以下ネタバレ。

ネタバレだけど、気にしない。だって、お芝居にするときは、もっと面白く書いているからね!

今までの取材

今まで主に活字・映像で行っていた取材により、今の俺は、居抜き店舗を発掘してラーメン屋を開業する流れと大まかな予算を掴み、ラーメン屋の哲学や名言に触れてきた。

ちょうど昨日『カンブリア宮殿』で放映された、全国に300以上の店舗を持つ巨大ラーメンチェーン店・日高屋を一代で築き上げた神田正会長の特集は、出色だった。村で一番の貧乏だった家に生まれて何をやっても続かなかった神田会長が、はじめて商売の実感を感じたのが、出前を届けた先でお客さんから手渡された小銭だったという。以降、自分で店を構え、5坪の店からスタートして300件以上の巨大チェーンに成長させる。駅前のラーメン屋台とおでん屋台からインスピレーションを受けたというエピソードや、社員への徹底的な「ありがとう」の姿勢、未だに社用車も持たず貸しビルに本社を置く徹底した倹約精神など、圧倒される内容であった。

神田会長のエピソードは、言ってみれば昔ながらの「正直者が報われる」タイプの寓話である。そんな寓話が目の前に存在しているということに、村上龍も圧倒されていた。神田会長の話しぶりは、一応、話すこと、伝えることを専門にしている僕の目から見ても完璧なものであった。不器用だけど愚直なまでに正直で、謙遜家だが夢を語る彼の姿は、本当に感動的なものだった。

以下、番組とは別だが、神田会長のお言葉。

  • 「働いた分が現金になる分かりやすさに惹かれた」
  • 「弁当のおかずに時々入る福神漬ですらおいしいと感じた。学がなかったので、信頼できる人をパートナーにして彼らに頼った。貧乏だったからこそ、自分なりの工夫をしてきました。その結果、逆転の発想と言われるようになったのです」
  • 「実は出店地と業態開発などの重要な事項はまだ私が判断しています。それは、多数決は無責任を生むと思うからです。「それでは会社にならない」と言う人もいるでしょう。でも、誰の分析と判断で決めたかが曖昧になることの方が、大きな問題を生むと思うのです」
  • 「当たり前ではなく、ありがとう」

ラーメン屋を営むTさんの話を聞いてきた

さて、うちの劇団・DULL-COLORED POPが世界に誇る四十路のオカマ・塚越健一の実家は中華料理屋だ。前々から何度も親父さんの料理と商売にかける情熱を耳にしていたので、捕まえてラーメンの作り方から生活まで、余さず聞いてきた。

塚越自身が調理師免許を持つ腕前の料理人であるから本当に詳しくて、シャンタンスープの作り方から、醤油だれの配合、味の決め手、麺の製法まで、事細かに教えてくれた。

特にシャンタンスープのエピソードには唸らされた。鶏ガラは下茹ででをしてから水に晒してタワシでこすり、アクや血合いを落として骨をハンマーで割る。そして6〜8時間、こまめにアクをとりながら火にかけ続ける。ただし絶対に沸騰はさせない。沸騰すると白濁してしまうからだ。

「濁ったスープはラーメンじゃねぇ」

そう言って寸胴鍋をひっくり返し、手間暇かけたスープをオシャカにしてしまうこともあったそうだ。

「スープがダメなら営業しない」……。

出来上がったシャンタンスープと独自調合の醤油だれの配合は、微妙に変える。一度として同じ味はない。客や季節、天候や時間に合わせて微妙に配合を変えるのだ。工事現場で汗だくになった肉体労働者に出すラーメンと、クーラーに冷やされながらデスクワークを続けたサラリーマンに出すラーメンでは、微妙に味加減が異なる。夏と冬でも違うし、もちろん天気や温度・湿度にも合わせて変える。「料理の塩梅は耳かき一杯分でまるで違う」。その時、その人にとって一番うまいラーメンを提供する。そのことしか頭にはない、いわゆる「職人」である。

いやぁ。職人てのは、恐ろしいねぇ。我々、演劇屋も、毎日同じステージを目指しながら、だからこそ毎日少しずつサジ加減を変えるものだ。俳優は、相手役の反応や客席の空気を感じて演技を少しずつ変える。照明や音響のオペレーターは、今じゃパソコンのオート操作でボタン一発「ぽん」と変えられる変化を、敢えてマニュアルのフェーダー操作で行う場合もある。制作は、客の入り状況に応じて客席の配置をアレンジしたり、ほんの少しの椅子の位置をズラして少しでも見やすくしたりする。

え、演出家は何をするかって? ……演出家だけは、はじまっちゃうと何もできないので、指をくわえて見ているだけだ。基本的には。僕なんかはこすっからい、肝の小さい奴なので、客席に座りながら姿勢や笑い方を変えたりすることはある。今日はウケてる、一緒に笑おう。今日はカタいがみんな楽しんでる、少し笑って周囲の客の笑いを誘おう。今日はすごい集中力だ、自分も背筋を正して微動だにせずこの空気に乗っかろう。などなど。
(まァ、こういう小心な調整をしているから、僕はまだまだなのであるけどな。ぜんぶ俳優とオペレーターに任せるのが本当である)

ラーメン屋台で聞いてきた

今ではすっかり見かけなくなったラーメン屋台。Google先生に聞いてみると、新宿や池袋ではまだ目撃情報はあるし、俺も何度か見かけてる気がする。しかしこういうのは、どうでもいい時には目に入るくせに、いざ探すと見つからない。地元・池袋の町をぐるりと回って、ようやく一軒発見し、ラーメン一杯食いながら、お話うかがってきた。

池袋駅の東口五叉路からサンシャインの方へ歩いて行って両側2車線のサンシャイン60通りを渡った第四銀行の前の路上に、池袋最後のラーメン屋台の姿はあった。

「昔は池袋だけで7~8軒あった屋台だけど、今じゃウチくらいになっちゃったねぇ。……みんな? 辞めちまった奴もいるし、(首に手を当てて首吊りの様子を示しながら)こうなっちゃった奴もいるよ」

屋台が減った理由だが、別に法規制が変わったとか、警察の摘発が厳しくなったとか、そういうんではないらしい。お客さんが減った──。本当にそれだけ。

屋台というのは移動型の店舗だから、止まって営業していると警察に「移動して」と言われることがあるそうだ。道路交通法違反である。以前なら週末の夜なんか、敢えて切符を切られながら「あとで移動するから」と居座って、居並ぶ客にラーメンを出し続ける、なんてスタイルの営業をしていた店も少なくなかったという。違反の切符を切られても、食ってるお客を追い出すわけにもいかないし、次々とお客が来るから罰金を払ってもお釣りが来るという算段だ。

今はすぐに移動する。そんなに客が来ないからだ。

「駅前近くなんかだと、今じゃ10分か20分したら警察が飛んできますから商売になりません。監視カメラがあるでしょう。すぐですよ」

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屋台の調理台

屋台には、調理台に埋め込まれるような形で2つの鍋がセットされている。今どきもう見ない古いラジカセから、AMラジオの音が響く。屋台の木肌は、5年や10年じゃない、長い年月を感じさせる。ホワイトボードが一つ、ぶら下げられていて、「ラーメン 600円」とメニューは一つだけ。ご店主いわく、場所や時期に応じてメニューを増やすことはあるそうだが、基本的にはラーメンだけの一本勝負らしい。

まずご店主は丸められた麺の束を一つ、ご店主から見て手前側の鍋の蓋を開け、放り込んだ。続いてラーメンどんぶりを調理台に置き、細い口のついた保温ポットのようなものから醤油だれを適量注ぐ。長ネギと包丁を取り出して、鉛筆を削るような仕草で細かく切り落とし、そのまま丼の中へ投入。次にもう一つの鍋の蓋を開けて、湯気の中から例のシャンタン・スープをお玉でひとすくい、ふたすくいと丼へ入れていき、スープが完成。最初の鍋から麺を取り出して簡単に湯切りをし、スープの中に投入、ノリとメンマとチャーシューを載せて、昔ながらの東京ラーメン・屋台版の完成だ。

正確に測ったわけではないが、その間、およそ1~2分だろうか。とにかく手際がいい。気がついたらもうできている、という感じだ。徹底した効率化、高い回転率。

「おでんの屋台はベンチを出すでしょ。だからお客さんが長くいる。そこはラーメン屋台との違いだね」

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屋台ラーメン

味はあっさりとした、やや塩気の強い醤油スープ。お酒の後のシメの一杯に合わせての調整だろう。細い縮れ麺だから、湯で時間が短く、スープが気持ちよく麺に絡む。散らしたネギがいい塩梅だ。スープについて尋ねると、やはり豚骨や魚介の脂っこい、どっしりしたスープはお酒の後のシメには重い。こういうアッサリがいい、今じゃ出す店少なくなっちゃったけどねと笑っていた。

話題はチェーン居酒屋の台頭から税金の話、煙草の話などあちこち飛んだが、親父さんなかなか物知りで、さすがの屋台歴を感じさせた。聞けばラーメン屋台というのは、例えば池袋に7~8店あった時もみんな仲間、グループの一員で、一緒になってやっていたという。それが一人減り、二人減り。

仕入れも変わった。かつてはお馴染みの肉屋に行けば、鶏ガラや豚骨なんかを格安で分けてくれていたそうだが、そういう店もすっかり減って、今じゃ仕入れは業務用スーパー、要はハナマサで仕入れているんだとか。僕が住んでる池袋五丁目の話をすると、あそこの商店街も昔はすれ違うのもやっとなくらいに人で溢れ返っていて、肉屋だけでも3~4軒はあったそうだが、今じゃ1軒だけ。大きく仕入れて大きい店で売る大型店の効率には、小売店はやはり勝てないとこぼす。

ご店主「和民さんだとかが出来て、個人の居酒屋も、あの値段に合わせなきゃならなくなった。そりゃ厳しいですよ」
俺さま「こうして話しながらラーメン食うのは、やっぱいいもんですよ。僕もたまに和民とか、ああいう店で飲みますがね、こんな風に店員さんと雑談するでもない、挨拶するでもない。酷い時は目も合わせない。ああいうのはやっぱり、おかしいと思いますけどね」
ご店主「壊れちゃったんだよねぇ、この国は。──壊れちゃったんですよ、どっか」

せっかくあれこれお話うかがったので、「どこにも出しませんから」と念を押してお名前を尋ねたが、頑として教えない。そんなら店の名前をと尋ねたが、屋台のラーメン屋には屋号のないとこが多い、うちもない、とのこと。あんまりにも教えてくれないので犯罪でもしてたんじゃないかと疑ったが、確かにどこにも屋号はない。

ご店主は帽子をかぶった総白髪、60台中盤だという。木場勝己を細面にして、恐ろしさと男前度を半分にしたようなご尊顔であった。何故か「SESAMI STREET」とプリントされた帽子をかぶっていたので、僕はこっそり心の中で彼のことを「セサミおじさん」と呼んでいた。この年で屋台を引き続けているのはお仲間のうちではご店主だけになってしまったそうだ。

「うちらは(屋台)引いて歩かなきゃいけないでしょう。長くは続きませんよ、そりゃあ」

落語『時そば』にあるような、人情のある夜鳴きそばの風合いを残した、池袋で恐らく最後のラーメン屋台だ。ラーメン一杯、ずるりとすすり、親父さんにお願いして煙草を一服させて頂き、時間にして20~25分、たっぷり話を聞かせてもらった僕は、再会を約束して、店を出た。

まとめ

巨大チェーン店、個人店舗、都心のラーメン屋台と書き連ねたが、結構な量になってしまった。もちろんまだ、書き切れていないネタもあるが、それはお芝居のためにとっておく。

とにかく色々、ラーメン屋について調べてみて感じるのは、味は店それぞれ、そして店のスタイルは人それぞれ、経営者や店主の人柄が色濃く出るなということだ。ラーメンマニアがラーメン屋をハシゴして回るのは、そんな理由もあるのだろうか。

また、いずれの店にしても、一人のお客からもらうラーメン一杯の値段という奴を、本当に大事にしていると感じた。ここは読み通りで嬉しい限りだ。巨大チェーンに成長した日高屋でさえ、会長自ら店舗で毎日食事をしながら、客の会話や注文に耳をそばだて、メニューを開発してきたそうだし、上述の2つの個人ラーメン店のご店主は、よりダイレクトにフェイス・トゥ・フェイスの小売業をしておる。

ラーメン屋には人が出る。そして、人を見ないとラーメン屋はできない。強引にまとめると、そんなところかしら。演劇屋としても大変に勉強になった。