PLAYNOTE KAAT『Lost Memory Theatre』参加中

2014年08月06日

KAAT『Lost Memory Theatre』参加中

[公演活動] 2014/08/06 15:31
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稽古場、足元

KAAT、神奈川芸術劇場、白井晃・アーティスティック・スーパーバイザー就任第一作『Lost Memory Theatre』。記念すべき節目で挑むのは、世界的な音楽家・三宅純の音楽そのものを舞台化すること。音楽・演劇・ダンスを織り交ぜながら描き出すのは失われた記憶の劇場。壁に塗り込められた音楽、鏡に透けるバレリーナの残像、記憶を亡くした俳優たち……。演劇、音楽、ダンスの官能的な交配が始まる。

この『Lost Memory Theatre』という作品に、「テキスト」として参加していて、『河童』終わりからほぼ毎日、KAATへ通い詰めている。何やってんのかというと、稽古を観ながら台詞を書いたり、ボツにしたり、白井さんと作品について語り合ったりしている。

この作品は作り方が相当特殊。インスタレーションのような作り方をしている。

  1. まず、『Lost Memory Theatre Act 1』という三宅純さんのアルバムがある。
  2. これに『Lost Memory Theatre Act 2』、『Stolen from Stranger』という同じく三宅純さんのアルバムからも難局かチョイスして、セットリストが出来た
  3. このセトリを元に白井さんが全体の構成や世界観、設定なんかを作る。
  4. その構成に基づいて、テキストの俺はテキストを書き、振付の森山開次さんは振付をし、ミュージシャンは演奏をし、俳優は演じ、ダンサーは踊る。
  5. それを白井さんが見てさらに提案・変更・調整してく

現場では出演俳優・山本耕史さんや美波さんもあれこれと解釈や動きを提案して、全員のアイディアを吸い上げながら、白井さんが整え上げていく。台本や脚本があって、それを立ち上げていく、というやり方とは真逆の、しかしエチュード・ベースの作り方とも異なる、音楽を元にしたインスタレーションという作り方だ。

なので僕も実にヘンテコな関わり方をしている。6月頭の時点で数万字くらいはテキストを書いてお渡ししたが、現状、ほとんど全てボツになった(笑)。構成も変わるし、音楽や振付と合わせてみたらしっくり来ないということもある。僕に限らず、白井さんだってプランを捨てるし、音楽も一曲丸ごとなくなったりした。振付だって毎日変わっていく。自分に文句のあろうはずがない。

そんな光景を見て、江波杏子さんは言う。

「本当に幸せな現場。私も長くやっているけれど、こういう現場は滅多にありません」

いやー、江波杏子さんが素敵過ぎて、素敵過ぎて、目を奪われっ放しなんだ。発言もいちいち素敵だが、演技と言うか、居方と言うかに、色気と風格があり過ぎて、もう立っているだけで釘付けである。

僕だって「働き過ぎ」と言われるけれど、僕に輪をかけて働き過ぎの白井晃の働き振りが、カッコ良すぎてこれも目が離せない。昼夜となく打ち合わせ・稽古・執筆に引っ張りだこで、しかしいつも優しく寛大である。「この人のために何かしたい」と思わせちゃう、演出家の特殊技能“人たらし”を遺憾なく発揮されておる。彼のキャリアと立場を考えたら、僕のようなクソ若手なんか罵倒し倒して便所掃除でも命じたって良さそうなもんだが、やり取りの仕方がフェア過ぎて逆に俺が恐縮するくらいである。

白井さん「谷さんね、テキスト、ありがとうございました。お預かりして、試させて頂きます。試してみて、もしかしたら少し、カットなんかもさせてもらったりするかもしれないけれど……」
おれ「もちろんです。いろいろ、試しましょう」
白井さん「本当にすみません。」

↓カットになると

白井さん「谷さんね。さっきのシーンなんだけど、やっぱり試してみて、とても良かったんだけど、○○だなと思ったし、音楽があれだけ△△で××でしょう。だからね……」
おれ「わかりました。カットしましょう」
白井さん「うん、ありがとうございます。でも、カットというよりは、一度言わないでやってみさせてもらってね。もちろんどこかで復活させたりするかもしれないし」
おれ「こういうやり方で作ってる以上、覚悟の上ですから。また何か、試しに書いてみます」
白井さん「本当にごめんなさいね。たくさん頂いてるのに……」

もちろん読んですぐボツということもあるし、しばらく試してみて、少しずつカットしていって、最終的に全然なくなっちゃったシーンもあるし(笑)、50行くらいあったのが4行くらいになった箇所もある。しかしちっとも嫌な感じがしないのは、白井さんが真剣かつ誠実に、本当に「試して」くれているからだ。

そして白井晃はこういう。

「舞台上で吐かなくなった言葉でも、一度通過して、俳優の身体の中に残っている。それが世界観や俳優の存在を支えている」

この感じは、僕にはとてもよくわかるのだ。だから、採用されたら嬉しいとか、カットになったら悔しいとか、そんな簡単な話でもない。とても、特殊で、手間のかかる作り方をしている。

* * *

そして出来上がりつつあるこの作品は、結果的にやはり分類し難い作品に仕上がっている。言葉はあるし、演じているが、演劇と言うのは違う気がするし、全20曲近く世界的なプロの手による生演奏があるが、音楽ライブやコンサートでもない、だったら振付作品、ダンス作品かというと、それにしては演劇的だ。境界線上にある作品である。

本番まであと2週間以上あるので、まだまだ変わるだろうし、そもそも劇場へ入って音楽と映像と照明が入ってみないと想像しづらいシーンも多々ある。僕の目には白井さんの演出は、コンセプトの提示と空間演出の巧みさにおいて他の追随を許さない技術とセンスを感じる。演劇職人、白井晃が、ここからどう作品として完成させていくのか、楽しみたい。

では、続きのテキスト書きます。