PLAYNOTE 『河童』雑筆

2014年08月01日

『河童』雑筆

[公演活動] 2014/08/01 02:30
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洋平、梨那、俺

高熱にうかされているようであった数ヶ月を終えて、冗談のように1日だけオフが手に入り、芥川先生の墓参りなぞしてみつつ、振り返ってみた『河童』。まずはたくさんのご来場、どうもありがとうございました。

一体、何だったのか

僕という人間、あるいは作家が歩いてきた、長いとは言えないが、短いと切って捨てるには長過ぎる道程が、色濃く反映された作品であり、表面化したもののみならず、その創作過程における意識の変化においても、最新の私がぎゅっと詰め込まれた舞台であった。一般論としても正直な最新作は、常に自分の原点に舞い戻っていくようなものであるが、この『河童』もその通りであり、裏を返せばこれまでの自分がいかに嘘をついて生きてきたかということを示すようなものであったと思う。

20代前半の芥川はこう書いている。「周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい」。20代前半の彼が、すでにこんな思想に彩られていたことを思うと胸が苦しい。こういうペシミスティックな彼が、戯曲というものをほとんど物さなかったというのは納得できる。演劇とは観客や空間と繋がろうとする芸術である。芥川には狭い書斎が一番よく似合っていた。余談だが彼は、いわゆるナルシシズムというものとは無縁の作家であったように思う。

上演を重ねるにつれ、前半部分の受け取られ方が変わっていく様に慄然とした思いであった。普通、上演を重ねれば精度が上がり、俳優も要領を得て、劇場の一体感はいや増していくものである。ところが今回の『河童』は、上演精度が上がっても、いや、上がれば上がるほど、客席の空気が分断されていくようであり、自分でもその空気の変質に戸惑った。それは稽古の最中にも、例えば堕胎でも自殺でも何でもいい、何かについて言及する度に、その場にいる人間の反応の熱気と冷気ががらりと違う、そういうところからも感じ取ってはいたが、やはり200人弱の人間がいる中で感じる空気の変化・変質は、さながら不気味な怪物のように大きくうねり、大きくうごめく。人によっては笑い飛ばせる問題や、聞き流せる皮肉が、人によっては怒り心頭であったり、不愉快極まりなかったりと、仕上がれば仕上がるほど、客席が分断されていく感覚は、長く演劇に携わってきて初めてのことであった。

書斎に棲む河童と、劇場に棲む河童の一番の違いは、書斎の河童が読者と一対一で現前するのに対し、劇場の河童は観客たちの頭の上に呆然と現れる巨大な影絵のようなものだということだ。奇しくも海外文学に精通した二人、小田島雄志先生と松岡和子先生は、切り口は異なりながらも「寓話文学の強さ」というものに言及してお褒め頂いた。特に松岡先生は、人間でなら生々しすぎて描けない批判・皮肉を、河童という寓話に置き換えたことで成立させている、この着想がまず素晴らしいと賞賛を惜しまず、僕は大変に励まされたものだが、同時にアンケートやネットの感想で罵声や怒号を浴びせるくらいには、寓話化によって緩和されず、批判・皮肉に直撃されて帰ったお客様もいた。

もっとも、劇中の何かの描写に不愉快を感じた人があったとすれば、その人の中には何か僕に親しい倫理観や道徳、正義感があるということだから、本来は仲間であるはずなのだが、僕が本気で人間を下に見、蔑んでいると考えた人も少なくなかったらしい。長く演劇をやってきたが、自分の芝居で途中で客席を立つお客は初めて見た。深く傷ついたし、一生忘れないだろう。

原作と大きく変えたのは、後半にまとめあげた生きる/死ぬの選択問題について、明快に「生きる」という答えを与えたことだった。芥川先生くらい鋭敏な神経と鋭利な才能を持っていれば、僕もこの言葉に手を伸ばすことはできなかっただろう。つまり僕の愚昧さが僕を救ったとも言えるし、もう少し演劇を贔屓する言葉を書くとすれば、書斎で一人きり、河童を生み出した芥川先生と、稽古場でわいわいと、河童を生み出すことを許された僕の違いであったとも言えるだろう。

僕の中で遠いようで近い2人の人物がいて、1人が芥川龍之介、もう1人がウィトゲンシュタインである。ウィトゲンシュタインは自殺念慮と闘いながら『論理哲学論考』を書き切り、哲学が自分を救わないことを悟った後、宗教的生活に自らの生のすべてを投げ出した。60代前半まで生きた彼は、後期哲学でこんなようなことを書いている。前記の自分の哲学は、凍り付いた大地のようだ。美しく整っているが、つるつるして滑って、歩けない。どこにも行けない。もう一度、歩ける土地に戻るべきだ。──案外、芥川も60まで生きていたら、あのような端正だが歩けない氷の大地を離脱して、不完全だが足をおろせる緑の土地に自分を連れて行くことができたかもしれない。

舞台『河童』という作品は、ほとんど僕の哲学的思考を代弁しているように思える。演劇である必然性や、あるいは演劇がこれからやらなければならないであろう仕事についての思弁。と同時に、自分の志向性や、演劇、文学に向ける信念。自分が今、置かれている環境や、これから置きたいと思っている環境。ここには書き切れないそういったすべての結実として生まれた舞台『河童』は、正しく自分自身へのデグウから生まれたものであり、分断された自己のキメラであるのだからグロテスクで当然である。

社会批判として受け取られることの多い、と言うかそういう受け止められ方しかしなかった前半のいくつかのエピソード、男女関係、生活苦を歌うアイドル、立場に攻め立てられつつ筆をふるう国会脚本家なんかは、特に自分自身をよく投影した部分であった。もちろん、同時に社会批判でもある。これほど複雑に利害関係の絡まった現代に、国会がまともに機能すると思う方が愚かなのだ。この辺は、1エピソードだけでも十分一本書くに足りる主題であるから、いつか書こう、と言うよりは、いつか書かねば、書く時間を作らねば、いつまでも僕の中にくすぶり続けるだろう。

生きるということ

劇中でも示した通り、なぜ生きるか、なぜ生きなければならないのか、あるいはなぜ死ななければならないのか、という問題は、上述の哲学者の言葉を借りるなら、語り得ずただ示されるだけの問題であり、言葉によって解決しない問いである。生きている人間は、生きることのメリットや死ぬことのデメリットを何らか感じているから生きているだけであり、死ぬことを選んだ人間は、生きてあることの絶望が生きてあることの希望を上回ったから死ぬだけである。生きる、死ぬ、ということだけを抜き取って、どちらに意味があるとかないとか語れない話である。

生きる意味を了解していない人間に生きる意味を与えることは、目の見えない人に青空の美しさを伝えるのと同じくらいに難しい。自殺を引き止める言葉の大半が無意味なのは、このような理由による。

「あなたが死んだら、私は悲しい」
「あなたがいると、私は嬉しい」

そういう言葉が自殺を引き止めるのに有効だと紹介されることが多々あるが、そんなに簡単なら年間3万人も死にはしない。何にせよ、コミュニケーションの問題なのだ。どこかで覚えてきた言葉を引っ提げて自殺者の前に立ってみよ。人生のどん底まで悩み抜いた自殺者を前に、己の底の浅さを開陳するだけである。本当に死を止めたければ、ノウハウやTipsや豆知識は役に立たない。真剣に、全身全霊を持って、その相手とコミュニケーションを取ること以外、策はない。そしてどれだけ真剣に、全身全霊を持って相手に当たっても、止められないこともあるのが人間であり、自殺である。

※1 そんな中、劇中で人間・A氏が「生きてみないか」という言葉に行き着くことができたのは、完全にオリジナル・キャラクターであった河童のキチガイ・ピップくんとの出会いの為であった。彼は死んだが、彼のような人間性の塊のような河童が死ぬことを通じて、Aは変わった。劇中で「肉まん」に仮託したものは、僕の中では次の新作の主題である贈与論(モース)、そして関係性の動物としての人間理解(後期ウィトゲンシュタイン)と深く結びついている。あのキュウリを投げてた河童の中に、モースとウィトゲンシュタインが生きていたというのは意味不明もいいとこだろうが、次のお芝居を楽しみにしていて下さい。

※2 もう一つ、肉まんはイエス・キリストとも僕の中では繋がっている。周知の通り、芥川の絶筆はイエス・キリストの生涯を扱った『続・西方の人』であり、芥川は最後まで宗教に惹かれつつ、全く帰依できなかった悲しい人だ。芥川はキリストをジャーナリストになぞらえて語ってしまうくらい、宗教に向いていない人間だった。僕もキリストは信じられない。しかし興味があるのは芥川と同じである。

※3 肉まん=贈与論/後期ウィトゲンシュタイン/イエス・キリストなどと大まじめに書いているが、個人的には「肉まん」という単語が未だに面白くてたまらない。なぜ「まん」だけ平仮名なんだろう、とか、「にく」って響きが面白すぎて椅子から転げ落ちそう、とか。

河童のこれから

随所で公言していることであるが、是非またリニューアルして再演したい作品である。一生、河童とは付き合うことになるかもしれないし、そうであって欲しい。

これからのDULL-COLORED POP

今回、関わってくれた人が多過ぎて、1人ずつ名前をあげて書いているとえこ贔屓になってしまうので、書けないし書かないつもりだが、私のこれから、劇団のこれから、一人ひとりのこれから、ということについて考えることの多い時間であった。

次回作『漱石』は、しっとりとした会話劇になるだろう。今回のような演劇的大騒ぎができる作品じゃないのは残念だが、その分きっちり言葉と空間をかたどっていくという意味では、やるべき仕事は多い。何よりもまず、リライトを目指して読み始めた漱石関係の書籍のために、あ、これはリライトっつーよりほぼ書き下ろしだな、というくらいに書き換えなければならない予感も感じていて、そこも難産になりそうである。しかし書き換えた方が面白いし誠実なのだから、やらざるを得ない。

周囲を見渡して、劇団という形で存続している自分と同世代の劇団がほとんどない、という状況の中、劇団を維持していくということの難しさを肌身に感じている昨今でもある。幸い、今回は百花にせよ若林にせよ中村にせよ、大原にせよ東谷にせよ、そして福本にせよ、僕の期待を上回るパフォーマンスをしてくれて、劇団活動再開の2011年から換算して3年、ようやく「劇団」になってきたな、という実感が感じられたのは喜ばしい。と同時に自分の至らなさや反省点も多々あるし、ぶっちゃけやっぱり劇団は時代遅れだよねと言われることも多い。維持していく気満々ではあるが、前途多難、たくさんの山と谷を超えなければならなさそうだ。

最後に、芥川龍之介について

太宰、漱石と日本文学の権威をあれこれつまみ食いして、それっぽく書き換えて作家を気取っている私ではあるが、やはり芥川龍之介は頭一つ抜けた、特別な存在だ。太宰は飲み友達になれそうだし、漱石は木曜会に参加させてもらって弟子入りしたいが、芥川龍之介だけは何か不可侵な、畏れ多いものを感じる。生きていて、知己があったとしても、「先生、こんにちは。ご無沙汰しております。これ、つまらないものですが、ツアーのお土産です」なんつって、軒をくぐれない感じがある。

今回、折にふれて「芥川先生」という書き方をしたことが多々あったが、本当は「芥川龍之介」という呼び方が一番しっくり来る気がしている。先生、なんて親しい関係は、とても彼とはとれそうにない。僕の頭の右後ろを、ふわふわと漂いながら追いかけて来る青い影、振り返る度に消えてしまう気配のようだ。彼の小説からは生きた人間の吐息が聞こえる。しかし彼自身は、とても生きていたことが信じられない、ある意味では死んで当然というくらいに、奇っ怪な存在に思える。それくらいに鬼気迫る、異常な作家であったと思う。

できれば生きているうちに幸せになって欲しかった。しかし、何を彼に与えたら幸せにすることができたのか? まったく見当がつかない。名誉でもなかろう。名声でもなかろう。金でも女でも、暖かい土地でも美味い酒でも、おいしい食事でもなかろう。知性と誠実さの袋小路に自ら歩みを進めて行って死んだような人だ。彼の魂の孤独には、つける薬はなかったかもしれない。