PLAYNOTE 『河童』考3

2014年07月03日

『河童』考3

[公演活動] 2014/07/03 03:12

『河童』考と銘打ちながら、河童とは関係ないことも書く。

今回上梓したDULL-COLORED POP版『河童』は、現時点で僕が考える「えんげき」の理想のいろいろが詰まった作品だ。

数年前から、僕はとても苦しい。自分の審美眼や思考が完璧主義的になり過ぎていて、並大抵のものでは満足できなくなってしまっている。少なくとも、「自分が見たことないもの」でなければ、満足できなくなってしまっている。そういう意味で、僕は演劇に向いていないんじゃないかと考える夜もある。演劇は積み重ねでしか作れないし、作家にしたって演出家にしたって、毎回「新機軸」なんか打ち出す必要はない。

ピッチャーはピッチャー、ショートにはショート、ファーストにはファースト。同様に、例えば土田英生が岡田利規のようなものを書く必要はないし、岡田利規が三島由紀夫のようなものを書く必要はない。自分の道を行くのが一番、いいのだ。

結局今回の『河童』も、書き上げてみれば、まぁ谷賢一らしい作品に仕上がってはいると思うが、個人的には「今までの自分と違う」「今までの自分がやりたくてできなかったこと」を目指してやってきた。俺は自分を肯定できるが、『プルーフ/証明』や『最後の精神分析』みたいな芝居だけやってた方が、世間的には出世は早いかもしれない。でも、そればっかだと、つまんないのでやらない。自分がつまんなかったら、こんな職業、全くやる意義ないしな。

今回、台本の中で数箇所、とても気に入っている箇所があって、そこは実は迷いなく「すっ」と書けた。一筆書きに近い早さだ。本当に不思議なもので、さんざん悩んで書いたところより、直感で適当にざざーっと書いたところの方が、あとあと気に入ったり面白かったりするものだ。この辺に芸道の難しさがある。自分であることからは逃れられないという難しさが。

芥川の『河童』を読んでいても、同じことを感じる。前々から書いている通り、芥川の『河童』は、芥川龍之介の文筆の歴史を遡っても、実に奇特な、奇異な作品だ。だから「芥川先生! どうしちゃったんすか!」と感じるようなところもあるが、同時に「そうそう、これこそ、芥川」というところもあって、ファンとしては骨の髄まで楽しめる作品でもある。おそらく「そうそう、これこそ、芥川」というようなところは、芥川本人は不本意だったんではないかと思う。前と変わっとらん。いつも通りだ。新しいものなんて一つもない。しかし僕は、そこにこそ「これぞ芥川」と感じ入るところがあったりする。創作は実に難しい。

ダルカラ『河童』、ぜひ今までのダルカラファンのお客さんにたくさん見て頂きたいな。僕はこういう演劇が好きです。そして、『プルーフ』だろうが『Caesiumberry Jam』だろうが『アクアリウム』だろうが『ねこちゃん』だろうが、好きだった人には、きっと「これぞダルカラ」と思ってもらえるんじゃないかと思っている。

早く初日が観たい! できれば稽古したくない! 明日、稽古場行って、「おぉ、もう完璧!」「俺が思ってたこと、全部できてる!」となってたら、どれだけいいか! もちろん無理! なのでコツコツ稽古します。

7/18~、吉祥寺シアターにて。あっ、吉祥寺だわ。忘れてた。