PLAYNOTE DULL-COLORED POP vol.14『音楽劇・河童』、7/18~!

2014年07月02日

DULL-COLORED POP vol.14『音楽劇・河童』、7/18~!

[公演活動] 2014/07/02 12:07

音楽に、悪い芝居の岡田太郎。振り付けに、冨士山アネットの長谷川寧、元快快の中林舞、ゲキバカ/梅棒の伊藤今人、そして世田谷シルクの堀川炎。原案・芥川龍之介、というゴージャスな布陣の中で、作・演出致します。今度のDULL-COLORED POPは皮肉たっぷりの音楽劇。河童。

以下詳細。

DULL-COLORED POP vol.14『音楽劇・河童』

2014/7/18(金)~7/27(日)
@吉祥寺シアター

これはある精神病患者、第23号が誰にでも喋る話である。

「──人間! 馬鹿で、浅はかな、いやらしい、うぬ惚れきった、残酷な動物ばかり! その点、河童たちの社会は、合理的、先進的、人間的……、ィャ河、童、的、な、素晴らしいところ。(苦笑し)まだ疑ってらっしゃる? 私はこの目で確かに見ました。河童たちの暮らす国、完璧に幸福な理想郷を!」

吉祥寺シアターの大舞台、所狭しと踊り狂う、20万匹の河童たち! 人間とは真逆の常識に生きながら、「完璧に幸福」に生きている河童たちの生活とは? 芥川龍之介が晩年に、その絶望と苦痛を裏ッ返して描いた怪作『河童』を下敷きに、現代社会の矛盾と行き詰まりを揶揄嘲笑するDULL-COLORED POP渾身の音楽劇。

音楽担当には、アマヤドリやクロムモリブデンへの楽曲提供で活躍中の悪い芝居・岡田太郎を招聘。さらに、独特の個性を爆走する4人の振付家、伊藤今人(ゲキバカ/梅棒)、中林舞、堀川炎(世田谷シルク)、長谷川寧(冨士山アネット)が参加、四者四様のアプローチで舞台を人間で彩ります。

「ク、狂ってるのは俺じゃない、お、お前らだ! クァッ!」

作・演出
谷賢一(DULL-COLORED POP)
原案
芥川龍之介
音楽
岡田太郎(悪い芝居)
振付
伊藤今人(ゲキバカ/梅棒)、中林舞、堀川炎(世田谷シルク)、長谷川寧(冨士山アネット)
出演(50音順)
東谷英人、大原研二、中村梨那、百花亜希、若林えり(以上DULL-COLORED POP)、天羽尚吾、一色洋平、井上裕朗、今村洋一、岩瀬晶子(日穏-bion-)、内田悠一(レボリューションズ)、港谷順(劇団→ヤコウバス)、小角まや(アマヤドリ)、澄人、平佐喜子(Ort-d.d)、ドランクザン望、ナカヤマミチコ(アロッタファジャイナ)、浜田えり子、東ゆうこ、三津谷亮、山中一美

ご予約・詳細は、河童特設ウェブサイトからどうぞ。

作品について

芥川龍之介の『河童』を原案に、「もし現代をベースに翻案したら?」というところからスタートしたこの企画。何度も何度も芥川先生の遺作たちと話し合いながら、とてもオリジナルな着地を見せました。

完全に自己を告白することは何人にもできることではない。
同時にまた、自己を告白せずには、いかなる表現もできるものではない。

(芥川龍之介『侏儒の言葉』より)

たとえば河童・原作に出てくるクラバックという音楽家などは、間違いなく芥川龍之介自身を告白したものであろう。

「批評家の阿呆め! (略)僕はロックに比べれば、音楽家の名に価しないと言やがるじゃないか?」
「僕はロックを恐れている」
「ロックは僕の影響を受けない。が、僕はいつの間にかロックの影響を受けてしまうのだ」
「ロックはいつも安んじてあいつだけにできる仕事をしている。しかし僕はいらいらするのだ。それはロックの目から見れば、あるいは一歩の差かもしれない。けれども僕には十マイルも違うのだ」

今じゃ天才、大作家と思われている芥川龍之介も、当時はコンプレックスを剥き出しにしていた。この「ロック」とはおそらく志賀直哉のことだろう。芥川は彼に劣等感を感じていた。

同様に今回の『音楽劇・河童』も、僕自身の告白が多分に混じっている。うかうか迂闊に見ていれば、くだらない、バカバカしいやり取りにしか見えないものの中に、一番の告白を込めたつもりだ。アオリ文なんかには「現代社会を揶揄嘲笑する」とあるが、それは単に現代社会を上から目線に批判するという意味ではない。むしろ現代社会を揶揄嘲笑する自分自身を、揶揄嘲笑しているのだ。

河童たちの国を描く、というスタイルをお借りできたことは、本当に幸運だ。ずっとやりたかったことなのだ。僕は真面目な話を真面目にすることを好まない。それは政治家や評論家に任せておいて、僕は真面目なことこそ、不真面目に、あるいはポップに書きたい。今は稽古に集中している。河童を育てている。

音楽と振り付けについて

僕のパソコンを起動させて、いつも物書きに使っているxyzzyというエディタを開くと、冒頭のページにこんな目標文が書かれている。「周りを巻き込め」。自分一人の脳みそで戦おうとしないで、いろんな人の脳みそを借りる。今年の自分の目標だ。音楽家と振付家たちの脳みそを借りれたことは、実にありがたい。

観に来たらびっくりすると思う。こ、こんなに振り付けって色々できるのか! それぞれが実に個性的なので、これらを観てるだけでも楽しいだろう。僕も楽しい。稽古場は毎日、ダンススクールのようになっている。筋肉痛の悲鳴があちこちから聞こえてきて、「みんなごめん」と思っているが、明らかに見どころの一つなので、もう頑張って頂くしかない。

音楽とダンスの力を実感する。自分はストレートプレイの人間だが、だからこそ音楽とダンスにはいつも嫉妬し続けている。今回も、「ありがとう」「おもしれぇな」と思いつつ、「ちっくしょう……!」とも思っている。舞台上から流れてくる肉体のエネルギーが、否応にも僕の精神を違う世界に連れて行ってくれる。ホント馬鹿馬鹿しい振付もあったりして、河童を音楽劇にするという一見無茶苦茶な取り合わせに、今はとても感謝している。

俳優たちについて

初絡みも多く不安もあったが、みんなとても積極的に戦ってくれていて、これからの追い込みが楽しみだ。設定として、「人間とは違う、しかし高度な文明を持った」河童たちを演じることになるので、苦労も多いし、こっからがまた大変だろう。河童という人間とは違う思考様式を持ったキャラクターたちなので、役作りやテキスト解釈も一筋縄ではいかず、考え続けていると時に袋小路に迷い込んだりもする。

そういうときこそ、身体と直感に相談する。直感とは当て勘ではない。経験の集積が無意識に導き出してくれる最適解だ。僕はどうしても理屈っぽい方なので、直感的に稽古していきたいね。

昨日、とあるシーンの稽古で、俺も生まれて初めてやったヘンテコにして残虐な稽古をしたら、『アクアリウム』ちびっこ刑事としてお馴染みの一色洋平が、ボロボロ涙を流しながら絶望の台詞を語り出した。素晴らしい瞬間であった。そのあとコンビニでお菓子を買おうとしたら、手が震えて買えなかったと言っていた。大変に残酷な時間でもあったが、前述の通り、この戯曲に登場する河童の大半は僕自身の告白でもある。そして元々、芥川先生の告白でもある。少し重い荷物を肩に乗せなければならない。

* * *

芥川龍之介は、『河童』を脱稿してから半年で死んだ。確実に死を意識して書かれたテキストである。僕は、去年は少し考えたが、今のところ自殺の予定はない。その違いは、作品にも色濃く反映されていると思う。

あー。すごくいいお芝居にしたいなぁ! ぜひ観に来てね。