PLAYNOTE 母の日を

2014年05月12日

母の日を

[演劇メモ] 2014/05/12 03:01


今日5/11は私の誕生日だが、そんなことよりも、母の日である。もともと、誕生日を祝うのって、変だよね。本人、何もしてないんだから。両親に、とりわけ母親に感謝する由はあっても、俺は何もしてない。ただ、生まれてきただけである。産んでくれてありがとう、はわかっても、生まれてきたぜヤッホー、は、意味がわからない。

そして今日は同時に母の日なので、花を買って約一年ぶりに実家に帰ってみた。実家は千葉県北柏という、常磐線各駅停車・千代田線の田舎である。さすがに完全サプライズではお袋も気を揉むだろうと思い、「明日、現場が千代田線沿いだから」「晩飯は食べて帰るから、残り物でいいよ」などともっともらしい嘘をついて帰省したが、見ての通り、写真の通り、ここ数ヶ月で食った物の中で一番うまいものを食わせてくれた。人におごってもらった寿司よりも、自分で奮発して食った肉よりも、もちろん美味しかった。

僕は母に、散々な迷惑をかけてしまった。演劇屋なんていうヤクザな仕事を選んだ時点でもちろんそうだし、早々に離婚をしてしまったこともそうだ。もともと、教師には楯突いても、「親への反抗期なんてカッコ悪い」と意識的に親孝行を心掛けて生きてきたつもりだったが、現状を見るに、私はとても親不孝者である。

なのでこうして久々に帰郷した夜には、母の話に耳を傾ける。実際、面白い話もたくさんある。それは、愉快という意味ではなくて、演劇的に面白い、すなわち人間の哀愁と不条理を理解させてくれるエピソードの多いことが、勉強になる。年を経ると、こういうことが起こるのか。家族とは、夫婦とは、親子とは、親戚とは。様々な「現実」が見えてくる。

母も珍しい話し相手を見つけて、あれやこれやと話してくれる。中にはもうほとんど文学的主題と言い得るような話もある。いや、実際、面白くなくたっていいんだ。たまにこうして話を聞いてやる、それが何かの役に立つなら、せめてもの親不孝への償いになるかもしやないじゃあないか。

作家・演出家・翻訳家として生きる、僕の人生は複雑である。しかし同時に、母の人生もまた、僕のものと同じかそれ以上に複雑である。そして何も言わないのに、手料理を作って待ってくれている母と、誰にも喋れない愚痴や苦悩を打ち明けてくれる母を、僕はとても大切に思う。献身と忍耐、という意味において、母は僕なんかよりよほど立派な人である。

書きたいことはたくさんあるが、母と長話をしてしまって、明日の現場に響きそうな僕であるから、もう眠る。どうしたらこの恩を返せるだろうか? 母に限らず、いや母が一番なのだが、自分に携わってくれた全ての女性に、僕は、一生返せないだけの恩と感謝を感じている。

来年も、きっと母は元気だろう。しかし、再来年は? 再々来年は? その先は?

ジョン・レノンの『Woman』と、タイマーズこと忌野清志郎の『デイドリームビリーバー』を聴いて、猛省と感謝の中に眠る僕である。