PLAYNOTE 水中生活を終えて

2014年03月23日

水中生活を終えて

[公演活動] 2014/03/23 02:44

もう1週間経ちますが。DCPOP#13『アクアリウム』、岡山・天神山文化プラザにおける49ステージ目の最終公演を終えて、無事に全日程が終了致しました。以下、雑感など。

謝辞

まずは出演者一同、本ッ当にお疲れ様でした&ありがとう。今まで「いい座組」はたくさん経験したけれど、こんなにいい座組はこれが初めてだったかもしれない。

劇団員は言うに及ばず、あの難解で厄介な殺人願望の哲学者を演じてくれた渡邊亮、起爆剤にも鎮静剤にもなる優れた演技実力を示してくれた中林舞、日々進化するパフォーマンスと誠実実直な人柄で作品を新生させ続けてくれた一色洋平、そして若干19歳にして49ステージを走り切り恐らく座組で最も将来有望となったであろう中間統彦。劇団員を入れて10名、稽古開始から4ヶ月半(間に1ヶ月半のオフがあったとは言え実質丸々3ヶ月)、一緒にいて、一度も嫌な思いや「こいつ嫌い」と思わなかったのは、奇跡じゃないよね。一人一人の努力と気配りのお陰様だろう。

東京、福岡、大阪、仙台、そして岡山と、各地に一人ずつお名前を挙げて御礼申し上げたい方はたくさんいる。東京の那須さん、福岡の中原さん、大阪の相内さん、仙台は、いっぱいいるけど、あやぱんとフジコとまゆみさん、そして岡山は才女・菅田さま。あと手塚さん。そして拓さん率いるSTAGE DOCTOR&至福団チーム。竹井ー! と吉村ー! は特記しておこう。何のかので全地方照明を仕上げてくれた大介さんや、4ヶ月半酷使されてボロボロになりながらも最後までセンスいい空間を感じさせてくれた美術・土岐さん。荷返しになってみて改めて貢献の大きさを感じさせてくれたchieちゃんや、全国で目にしても飽きない宣伝ビジュアルを作ってくれた西野さん、そして忘れちゃいけない稽古場付き記者として東京を稽古から本番まで並走してくれた稲富くん。「謝辞」だけで3ページも4ページも使ってしまう本のように、感謝だけでエントリーすべて終わってしまうかもしれない。筆舌に尽くしがたい感謝。

そしてもちろん、お運び頂いた、たくさんのお客さま。本当にありがとうございます。岡山公演で、たった4ステしかないのに、リピーターで来てくれる人が何人もいたようで、どれだけ励まされたかわかりません。

一体、何だったのか

この作品は、僕にとって一体、何だったのか。

出産は、完全な未熟児であった。忘れられないエピソードだが、11月初頭、本当に執筆に行き詰まって、稽古もオフにし、何故か池袋をウロウロしながらブラックニッカの小瓶を持って白昼堂々レロレロになり、公演の端っこに座っていた僕を、田中のり子ちゃんという元reset-N&元乞局の素敵俳優さんが発見してくれたことがあった。「ぜんぜん書けない」とデロデロになっている僕。彼女は、遅筆な作家の面倒をたくさん診てきた人だったので、全く動じず、ネバーギブアップ! がんばれTANI KENICHI! まだ本番まで3週間以上あるんでしょ! と励ましてくれた。

いや実際、あのときは。このまま書けなくって、全公演中止。となると全国各地にご迷惑をおかけするわけで、もう演劇界にはいられないな。足を洗って、一生犯罪者として生きていくしかあるまい。俺もここまでか。長いようで短かったな。お金はいつまでかかっても必ずお支払いします。と、撃沈寸前の精神状態であった。座組にもゴメンナサイゴメンナサイと言い続けておった。前述の通り、本番まで3週間もあるのだから、そこまで思い詰めなくても、と思う向きもあるかもしれないが、遅筆は罪なのである。稽古期間が長ければ、質は上がる。早いに越したことはない、ではなくて、早くなければいけないのだ。

この作品は、ざっくり言えば、現代口語演劇的世界に閉じ込められた若者たちと、70~80年代的演劇世界を生きている部長・菊地の対立によって紡がれている。部長が叫ぶ、次の一言は印象的だ。

(略)……それを何だ、ちょっと人生行き詰まっただけで、死刑にして欲しかっただの、生きることに絶望しただの、わからねぇことを言って刃物振り回しやがって。──空疎に生きてやがるから、空疎な犯罪しでかすんだ。ぐだぐだ言わずに二十四時間働けますかの精神で額に汗して働いて、キューっとビール飲んでクソして寝る。騙されたと思って、やってみろ一回! すげぇ気持ちいいぞ!

大体、これで、解決なのである。それは、太宰治の文学に対して、三島由紀夫が、「あんなもん、早起きして乾布摩擦でもすりゃ治るレベルの悩みだ」と断じたのに近い構造だ。お互いにお互いの悩みと生き方を、理解できないのだ。彼らは。

本当に、観る人によって取り方の違う作品だった。回によっては、終始爆笑で終わるステージもあり、回によっては、沈黙と緊張感によって支配されるステージもあった。物語中盤で再登場する「さかいしんや」の長台詞で笑いが起きるか、静まり返るか。それによってその日のステージの雰囲気が占える、ヘンテコな観劇体験を僕もした。49回。

そして僕自身が変わっていった。はっきりと東京初日の前には、僕は「しんや」の側の人間だった。彼や、彼と一緒に安く貧しい人間関係しかないシェアハウスに閉じ込められている人々の側からお芝居を観ていたが、上演を重ねるにつれ、だんだんと部長・菊地の論理や存在、演劇的な破壊力に魅了されるようになっていった。それは僕が、一つの精神的危機を乗り越えていく系譜でもあったのかもしれない。演劇を私物化するつもりは全くないし、だからこそ執筆中、「しんや」的状況に身を置きながらも部長・菊地のような人物を投入することで物語を相対化しようとしていたのだが、やっぱ、演劇は強いね。演劇は強いんだよ。

部長・菊地・わに・とりと言ったワケワカメなキャラクターたちには、現代口語演劇の教科書的には「やっちゃいけないこと」がオンパレードされていた。誰に向かって喋ってるんだかわからない絶叫や独白。ジャンプして場転。「一方そのころ、○○では」という強引な場転。「そして2週間後」という無茶苦茶な時系列の飛び方。興味のある方は、平田オリザ著『演劇入門』という新書をご一読願いたい。ここに挙げたような例は大体「やっちゃダメ」って書かれてるから(笑)。

※しかし、だからオリザはダメだなんて言いたいわけじゃない。平田オリザはすくいとったのだ。現代の空気感、現代のリアルというものを。あのやり方があまりにも強力だったから、僕ら後進は彼をどう打倒し継承するか、問われ続けている。

そんな要素を抱えた作品と数ヶ月付き合ってみて、僕の中ではいくつか結論めいたものが芽吹き始めている。それは、演劇的演劇 Theatricalism と物語 Drama への回帰の欲求だ。この2つは、もはや新しくない。新しくないが、生き残っている。ご飯とお味噌汁が新しくないように、パンとバターが新しくないように、コーヒーやワインが新しくないように、あるいは言語と性交と酸素が新しくないように、演劇的演劇と物語もまた、時代に関係なく人間が欲求するものなのだ。あるいは人間の条件と言ってもいいのかもしれない。

地方都市のアフタートークで何度か喋ったが、その際、僕にとって重要になるのがわにととりだ。観た人の質問として一番多かったのが、「あいつら何なの?」というものだったし、戯曲構成上は一番うまくいっていない箇所の一つと言えるかもしれない。それは認めよう。だが、あれこそが僕なのだ。そして、あいつらが喋るということこそが、人が生きていくために必要とされることなのだ。猫は喋るし、鳥は歌うし、ミツバチは踊る。そう思える人は幸いである。逆に言えば僕も、最低の精神状態のときには、猫は喋らないし、鳥は歌わないし、ミツバチは踊らない。……以上はすべて、後付けの説明である。観に来てくれた長塚さんが、「わにととりがいい」「何だかわからないけど、谷のフェチズムを感じた。ああいうのやりな」と言ってくれたが、僕も書き出しの頃は同様に「何だかわからない」と感じていた。直感で書き出して、そして直感は後ほど論理で補足されるが、しかし論理は常に言葉足らずである。

そもそも。この芝居の書き出しからして、こうである。

しんや「そうだ。もう芝居は、たくさんだ。ここらで一つ、踏ん切りをつけなきゃならない。
……何をみんな大騒ぎしているんだ。大きな声で、少しでも上手に喋ろうとしている。不自然に見えないように注意して、客席に顔を向けようとする奴もいる。お尻まで台本の台詞は喋り尽くしてしまったのに、何とか続きを考えて、まだ台本が続いているような振りをして、喋り続けている。」

演劇、物語、そういったものへの疲労と倦怠、そこから出発した僕が、最終的には、演劇、物語、それこそが人が幸福に生きるための知恵なのだよと思っている。それは、演劇、物語、そういったものを否定した水中世界の水中生活を、4ヶ月半もやってみて、ようやく辿りつけた彼岸なのだ。泳いで渡った、場所なのだ。泳いでいない人に、この感覚を伝えるのは、難しい。

以上すべては、上演を続ける中で考えていったことだった。つまり僕もまた、今回は、一人の観客だったわけだ。僕が演出家でいられたのは、せいぜい最初の2週間に過ぎない。そこから先は、応援団か、マッサージ師のようなものだった。俳優がいい状態をキープできるように、演出家らしきことをし続ける。……この辺は詳しく書くと、それだけで原稿用紙20枚くらいにはなる分量の知見が得られたのだけれど、時間もないのでここには書かない。

ただ、書き上げた原稿よりも、稽古場と劇場で俳優たちが立ち上げていくものの中にこそ、演劇の本質があったし、むしろ俳優たちのお陰で「僕は一体、何を書いたのか」ということが明確化していった、ということは、何度強調しても足らない。とても、書き切れない。だって、4ヶ月半、付き合ってたんだぜ。この水中に。それは、僕にしかわからないことだ。伝える努力もしない。なぜなら、伝えたいことは他にあるからだ。……この辺の、「何を伝えるべきか」という点についても、今回僕は本当に考えさせられたが、その真意は、次回作以降で明らかにしていきたい。

Aくんについて

触れないわけにはいかないだろうが、今日は体力の限界を感じるので、触れない。ただ、彼に関する僕の中での「もやもや」は、かなり払拭された。彼は特殊であり特別であり、いいとか悪いとかいう価値判断を超えて異常であり、全く我々が影響を受けるべきでないレアケースである。ということを、胸を張って言えるようになったというだけでも、僕の中では大きな前進だ。

Aくんを演じてくれた様々なゲスト俳優、……これはゲストにやらせる役じゃないだろう、という声を「そうだろう、そうだろう、だから面白いのさ」と思ってほくそ笑んでいた僕だが、やる側は大変だったであろう。結果的に、すべてのAくんを愛せたし、本当にいい俳優に集まってもらえた。福岡の鶴賀さんとか岡山の三村さんとか、本当に1週間限りのお付き合いであったが、いい人と巡り合えて本当に良かったよ。

不尽。書かない。

49ステージを終えて

本当に疲れた。若い演劇人なんかにはよく、一公演終えると燃え尽き症候群になって、しばらく沈没してしまう、何も手に付かない、なんて傾向がよくあって、そういうのを見たり聞いたりする度に、「まだまだ修行が足らんな、ほれもっとこっちへおいで、演劇の無限地獄さ。そこまで来れば、燃え尽きることにさえ慣れてきて、すっくと立ち直れるようになる」と思うのだが、今回ばかりは、燃え尽きた。岡山から帰ってから5日間、ものの見事に誰とも喋らなかった。喋なかった、と言った方がいいかもしれない。

こうして文章が書けている、ということ自体が、奇跡のような回復なのである。カニカマに救われたのだ。だがまだグロッキーな僕である。ゆっくりこの地上の重力に慣れるように、歩き始めなくちゃね。