PLAYNOTE 海老沼くん(仮名)と飲んだ

2014年01月05日

海老沼くん(仮名)と飲んだ

[雑記・メモ] 2014/01/05 01:45

今日は、私としては珍しく、ただ「友人と飲む」というイベントを遂行した夜であった。

酒飲みとの印象が強い私だが、意外と人と飲んでいない。打ち上げ、打ち合わせ、顔合わせ。そういったものを除けば、ひたすらに受動態な僕であり、例外を数えても「どうしてもこの人とは飲んでおきたい」というものを除けば、ほとんどひとり酒ばかり繰り返している。

そんな僕が今晩、飲んだのは、大学のサークル時代に、それこそ毎晩のように飲み明かし、語り明かし、一丸となって幾つもの公演を成功に導いた海老澤くん(仮名)との、実に5年ぶりともなる夜であった。海老原くん(仮名)は、某大手コンビニチェーン店のエリアマネージャー的な何かになって、年収で言えば僕の2倍くらい稼いでいる彼である。かにクリームおじさんというアダ名で、私の人生を幾度も騒がせた彼である。

「谷は本当にバイトとかしてないの?」

という問いに、2008年(確か)が最後のアルバイトだ、と僕は答えた。こんなもの、偉そうにブログで書くことではないし、来年には、あるいは今年中には、突然アルバイト生活に復帰する可能性もある私である。しかし、最後のアルバイトであった2008年のパチンコ屋以来、アルバイトはしていない。少なくとも6年は、バイト抜きで家賃を払い、一時は妻も養い、一端の顔して税務署で所得税を払っていた私である。

後進のために言っておくと、演劇で食うのは実に実に大変な仕事だ。運の要素はとてもでかいし、努力ももちろん必要だ。出会いと、それを形に変えるだけの実行力も必要だ。普通に社会人をやるのと同じか、それ以上にはマメで粘り強い精神が必要だ。僕よりも、もっと才能はありながら、食えていない人は大勢いると思う。しかし、僕は何とかそれを実現してきた。全く、運のいい話でもあるし、引き寄せた運を仕事に変えるだけの細かい努力は無数にしてきたつもりでいる。何のかの言って、「演劇以外、何もしない」という生活には、憧れもしたが、やってみると苦痛も大きいものである。食えていない奴は、総合的に言えば、いくら才能があっても僕以上にクズだったり、僕以上に無計画だったり。そういう奴らは、残念ながら、沈没していく。

(本当に残念なことだ。まっとうな社会人感覚のない奴こそが、演劇では生き残っていくべきではないか? そう考えることもある。もちろん、同業者としては、そういうフーテンで無責任な奴は御免だから、宜なるかなというところではあるのだが。だがしかし、SEX PISTOLSみたいな奴らは、現代では生き残れないのだろう)

しかし、まぁ、とにかく、学生時代の傍若無人な演劇の仲間である彼から見れば、ノルマと称してガチで10万15万は余裕で納入して、総動員数せいぜい200人とかの公演をやって、大入り袋を配りながら自腹で朝まで飲み明かしていた7年8年前の僕からしたら、演劇で飯を食い、家賃を払っているというのは、異常なことである。ありがたいことである。作・演出・翻訳としての仕事だけで、何とかやってきたというのは、彼から見れば軌跡に等しいだろう。それくらい、騒動舎時代の僕は、傍目にも意味の分からない演劇活動を多々繰り広げていた。大抵、誰かしら、全裸だったしな。

海老丘くん(仮名)とは、仕事や、結婚や、子どもや、これからの未来のこと、いろんな話をしたが、ギリギリ翻訳の要らないレベルで話ができた。これで彼が、マンションを購入していたり、子どもの養育費のことで頭を悩ませたりしていたら、翻訳者が必要だっただろう。そういう意味で、僕は落ちこぼれである。

彼にはガラガラ笑われつつも、「結婚はいいもんだから、早めにしておけ」という、離婚者に言われたら皮肉なのか本気なのか全くわからないアドバイスを延々しておいた。そうなのだ。僕ら演劇人に限らず、いろんな意味で社会制度は変革を迎えている。男女は同権、景気は横ばい、だがしかし我々は生きていかなければならない。一言で言えば、新しいパラダイムを手に入れなければいけないタイミングにまで、我々現代人は来ているのだと思う。

戦前の、殖産興業、富国強兵の時代があって、日本は戦争に負けた。しかしその後、もう戦後ではない、一億総中流、所得倍増、高度経済成長という新たな夢を見ることができた。バブルが弾けて、そして超高齢化社会を目の前にして、我々の世代は何を夢に抱いていいのか、わからない時代を迎えている。正確に言えば、国民一丸となって「これが、これこそが、これからの生き方だ」という杓子定規が通用しない時代を迎えて、「好きなことやんな、ただし茨の道だけどな」という状況に放り出されて、各々が道を悩んでいる時代である。

僕は結構、割りを食ったな、と思っているタイプの人間である。悪いが同世代の誰よりも、人生を楽しんでいる自信はある。いい女も抱いたし、いい酒も飲んだし、普通に生きていては知り得ない世界もたくさん知った。しかし、この先を考えると、なかなかシビアだ。右肩上がりの経済成長をベースに考えていた時代と、右肩下がりが確定の世代を生きている我々とでは、未来予想図も違って当然ではある。そんな中で僕が考えてしまうのは、そんな時代の最中において、演劇が果たすべき役割は何だろうか? ということでもある。

海老口くん(仮名)は、こう言った。

「谷。もうちょっと、わかりやすい話、書いてくれよ」

これには意外であった。時代がこんなにわかりにくくなっているのに、わかりやすい話を求めるのか? いや、同時に、当然だと思う気持ちもあった。時代がわかりにくくなればなるほど、わかりやすい話を人は求めるものだ。僕のルーツはギリシャ悲劇の研究である。ギリシャ時代にあれだけ旺盛を極めた悲劇という形式が、ローマになると一気に下火になり、名作も生まれず、剣闘士とコメディとファルスに取って代わられた。だから、パックス・ロマーナならぬパックス・アメリカーナの時代にあって、わかりやすい物語が喜ばれるだろうということは、わかっていたはずなのだが。

しかし、わかりやすい話とは、何だろうか。それ自体が、もう不可能なのではないだろうか、という問いも、僕の胸には生まれてくる。日本人全員が、富国強兵とか、脱亜入欧とか、あるいは民主主義とか高度経済成長とか、そういう物語を信じたり、あるいは反発したりという時代とは違って、今やもう、価値観の対立など、ないに等しい。「価値観の多様化」という言葉のもとに、価値観がバラけていくばかりで、少なくとも世代や時代が共有すべきストーリーというものは、なくなっている。そんな中で、一体何を物語として紡げばいのだろう?

答えは僕には、恋愛と家族、そして努力と成功というくらいしか思いつかない。そしてそれは、実に旧弊な価値観でもある。そんなものをわざわざ時間をかけてお芝居にしたいとは思わない。だがしかし。全員が共有できる物語がない以上、物語の方から全員に歩み寄らなければならないのかもしれない。なんてことを、考える。

まだ結論は出ていない。出ていないが、この辺の議論は、僕にとっても根の深い議論だ。僕は幼少期、夢を見ろ、個性を大事にしろ、と育てられ、勉強すればいい大学に入っていい生活が送れる、と仕込まれたものの、小学校の中学年になる頃にはバブルが崩壊して、一転して、夢ばかり見るな、個性だけじゃダメだ、勉強していい大学に入ってもいい人生が送れるとは限らない、とつきつけられた、ある意味ではかなりアンビバレントな幼少期を送った世代である。今回『アクアリウム』で話題にしている、1982年前後の世代に社会に無駄に牙を剥いた奴らが多かった、という現象も、このへんに帰納するのではないかと考えてさえいる。つまり、幼少期に夢と可能性について教わったのに、小学校に上がったらその足元をすくわれて、あとは自己責任だ、自分で戦え、と仕込まれた世代である。

世代論は危険だ。常に誤解と嫉妬と怨嗟が混じっている。だからこれについては一旦筆を置きたい。しかし、海老丘くん(仮名)と話していて、我々の世代が幸福を手に入れるのはとても難しいことだと自覚したし、我々の世代が求める生き甲斐とは旧来的な意味とはまた少し違うのだということを改めて自覚もした。

そんな中で芸術家あるいは文筆家に何ができるのか? と言えば、他の人が考えないことについて、ひたすらに考え尽くすこと以外、ないのではないかとも思う。というわけで、延々、この答えの出ない問題を、考え続けることにする。

明日は転居先の契約に行きたい(願望)ので、今日はもう寝る。