PLAYNOTE 纐纈あや監督『ある精肉店のはなし』

2014年01月04日

纐纈あや監督『ある精肉店のはなし』

[映画・美術など] 2014/01/04 10:49
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今年末に企画されているThéâtre des Annales第3弾の企画会議で「とても良い」「次の題材の参考になるかも」と言われたので観に行った。今どき珍しく牛の飼育から屠畜・解体、そして小売まで、すべて手掛けている大阪の小さなお肉屋さんのお話。ポレポレ東中野にて。

巧妙に隠された屠殺と差別の歴史を柔らかい手つきでフィルムに収めた佳作であった。普段すげー無自覚にお肉食べてる私たちのこと、効率化の先に体温や手触りや生の実感を失ってしまった私たちのこと、消えた家族・地域コミュニティのこと。色々考えた。

生命をいただく

まず冒頭が白眉である。優しく声をかけながら屠畜場まで牛を連れて行く北出さん。そして彼は、長い柄の先に鋭く尖った鋼鉄のヘッドが付いたハンマーを手際よく振り下ろし、見事に眉間のど真ん中を粉砕する。そのとき、観客は問われる。「お前、今、どう思った?」

僕は正直、こう思った。

「えっ、うわぁ。ひでぇ、おいおい、もうちょっと何か……。はっ!」

肉屋のはなしを観に来て、牛が死ぬのを見てうえっと思い、生理的な嫌悪感を示す。観客の大半がきっとそうなのだろうけど、いかに僕らの生活から、死や、殺しや、生命をいただいて毎日「いただきます」してんのか、といったことが隠されているのかを思って、ぞっとした。徹底して、隠されている。

屠殺業の人々は「殺す」とは言わない、鶏を絞める、魚をシメる、と同じように、牛・豚の場合は「割る」と言う。殺すとは言えないね。なんてエピソードが印象に残った。大元で屠殺している人々が、最も生命への感謝と尊敬を抱いているんだな。一転、僕らはと言えば、食い散らかすわ、残すわ、捨てるわ、腐らせるわで、感謝もへったくれもない。

お肉屋さんとベルトコンベアー

このドキュメンタリー映画は、構成においても見事な幸運に恵まれた。ただしそれは映画にとっての幸運であるが。

映画は、前述の北出さんが牛の頭を「割る」シーンから始まる。しばらくして、屠畜場が閉鎖され、飼育から小売まで、というこの店のスタイルは間もなく終わってしまうことがわかる。最近では、ベルトコンベアー方式で牛さん運んでライン工たちの分業による流れ作業での解体が一般的になってるんだそうだ。なので、この「肉の北出」も、運ばれてきた肉のブロックを店先で切り分けて売る、というスタイルの、一般的なお肉屋さんに様変わりするらしい。映画は、最後の一投の頭を「割る」シーンと、牛舎の解体、続いていく日常という描写で終わる。

超消費社会である我々の目からは、「肉の北出」がやっているような、「精算から販売まで」という素朴な商いのスタイルは完全に隠され、消えてしまった。これからは彼らも、トラックで運ばれてきたブロック肉を細切れに切って店先で売るのだろう。そして郊外の工場で、ベルトコンベアーに乗って運ばれてくる牛のカケラにチェンソーやナイフを差し込むライン工たちの数は、(完全なオートメーション化が完了するまでは)増え続けるのだろう。

こないだ行ったBarのトイレに、こんなのがあった。

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"Nothing is particularly hard if you divide it into small jobs."
Henry Ford

「難しい仕事も、小さな仕事に分け分けしてやれば、かんたん!」

さすが自動車王、ライン生産方式の発明者、フォードたんだ! 仕事を小さく分け分けしていくうちに、それぞれの仕事は確かに簡単になっただろう。しかし、簡単かつ効率的になったのと引き換えに、その仕事の意味や重たさや、やり甲斐といったものも、消えていく。運ばれてきたブロック肉を切り分ける北出さんと、北出さんにブロック肉を届けるトラックのドライバーと、ライン工として牛をブロックに切り分けていく工場労働者と、一体誰が、北出さん一家が担っていたような「生命」への尊敬と感謝を担ってくれるだろう?

閑話休題

途中から突如として部落映画みたいになっちゃったのは残念であったが、食肉業と被差別部落の問題が生々しく接点を持っているんだという点が実感できたことと、息子夫婦が差別なんて全然関係ない感じで幸福に結婚していたのを見れたのは、とても良かった。彼らの子どもが生まれる頃には、差別の差の字もないくらい、水平な社会になっておるとよいね。

家族、そして地域との繋がりがたくさん描かれている点も興味深かった。つまりこれは、単なるお肉屋さんのはなしじゃなくって、ちょっと昔の日本の一家とコミュニティを描いたはなしなのかもしれない。確かに彼らはボロ屋に住んでいたが、幸せそうだったし、仕事に充実していた。これから彼らは建て替えた立派な家に住むんだろうけれども、さてどんな生活を送ることになるだろう。

豊かさと効率との引き換えに、僕たちが何を失ってしまったのか。そんなことを考えさせる映画であった。