PLAYNOTE 新しい生の目標

2014年01月03日

新しい生の目標

[雑記・メモ] 2014/01/03 03:12

2014年あけおめ。年越しも正月も日付が変わるだけ、意味ないよ、とは上演中のお芝居『アクアリウム』の台詞からだが、そのようなニヒリズムに浸るといずれ気が狂うぞ、やめておけ。素直に新年を祝い、浮かれ騒ぎ、愚直に抱負なぞ立てて書き初めでもするのが一番良い。なので僕も愚直に新年の目標を立てようと思う。

去年の目標が未だに机に貼ってある。実にシンプルなもので、「無駄なことをやらない」の一言であった。2012年は、不本意に始まり不本意に終わった仕事をいくつか経験して、そのツケを払うように年末、有意義だが全く金にならない「俺とあがさと彬と酒と」なんていう実験公演を行った。結論から言えば、今の自分に連なる巨大な成果を得ることのできた公演だったが、だからこそ僕は「もう有意義なことだけしていたい」と考えて、こんな目標を立てたのだった。

「無駄なことをやらない」というのも、なかなか味わい深い目標ではあった。シンプルだけど、そんなに簡単な目標ではない。無駄なことをやらないためには、何が自分にとって意味のあることなのか、知っている必要がある。本当に僕らは、わかっているだろうか? 自分にとって、何が意味のあることで、何が無駄なことなのか?

* * *

もうかれこれ7~8年は続けている、花園神社境内内にある芸能浅間神社への初詣を今年も済ませてきた。もうかれこれ7~8年は、同じことをお祈りしている。「いい本が書けますように」。

不思議なもので、「いい演出ができますように」とは、祈らない。本を書くというのは、よく「(アイディアが)降ってくる/降りてくる」なんて言い方をする通り、ちょっと神秘的な行為である。100時間机に向かっても一行も進まないこともあれば、お風呂に入ってたり、テレビを見ていたりしていて「はっ」と思いつくこともある。0を1にする作業である執筆は、僕が書いているというよりは、たまたま僕が書けたというのに過ぎない場合がたくさんあるし、そういう「たまたま」感のあるときほど、いい仕上がりだったりするから恐ろしい。

というわけで、今年もまた「いい本が書けますように」とお祈りしていて、はたと考えた。いい本とは、何だろう?

今、上演中の『アクアリウム』は、物語の終焉ということを強烈に意識して書いた本だった。起承転結させてたまるか、伏線回収してたまるか、ドラマを起こしてたまるか、解決を与えてたまるか、と、ひたすらに「あるべき展開」から外して描いた本であった。状況が犯人探しの様相を呈してくれば、家賃の話になるし、ドラマチックに退場しようとすれば、襟首ひっつかんで強制的に再登場させられる。ドラマチックに、ヒロイックに、話が進みそうになった瞬間に、「そうはさせるか」と惨めな話が、家賃だのシュークリームだの松山千春だの声のでかい2人組だのが襲ってくる。執筆中、「ドラマ」を「ドラマチックに」生きることについて、ひたすらに僕は懐疑的であった。

その魂胆は、冒頭の「しんや」の独白からも明らかだ。

そうだ。もう芝居は、たくさんだ。ここらで一つ、踏ん切りをつけなきゃならない。何をみんな大騒ぎしているんだ。大きな声で、少しでも上手に喋ろうとしている。不自然に見えないように注意して、客席に顔を向けようとする奴もいる。お尻まで台本の台詞は喋り尽くしてしまったのに、何とか続きを考えて、まだ台本が続いているような振りをして、喋り続けている。

いや、違う。まだ台本は終わっていない。まだ台詞の残っている人もあるんだろう。僕は何だ? 台詞はもう終わってしまったのに、なぜか退場を許されず、うろうろさせられて、……。お話はもう終わった。よし、なら一つ、何か気の利いたアドリブでも入れてやろうか。──そんな気も失せてしまった。もしまだ台本が続いているんだとしたら、これから先、何が語られるだろう。まだ何か喋りたいことがある奴がいるんだとしたら、一体何を喋りたい。大した問題のないところに無理やり問題をこしらえて、大騒ぎをして。私たちは、餓えていない、着るものもある、昔の人が見ればみんな王様か殿様の暮らしをして、──いや、問題はあった、一つだけ──、だのに何故だか、奴隷のような思いをして生きている。

やめよう。わかりきったことだ。視点の置き方が、まずいのだ。出番のあるうちに、客席から自分を見るような真似をするからまずいのだ。目の前にうまそうなものがあればよだれを垂らし、美しいものがあれば目を輝かせ、裸の女がいればその気になる。素朴な欲望が必要だ。動物であることを思い出せ。つまらん哲学を振り回さないことだ。

「お話はもう終わった」という彼の言葉は、生きるべきストーリーラインを見失っていた僕自身の胸中とも、目指すべき未来を持たない日本社会そのものの叫びともリンクするものとして僕は執筆したのだった。そんな自分が、今また性懲りもなく「いい本が書けますように」とは、何という自己撞着だろう?

恒例のようにお願いしている「いい本が書けますように」という祈りを通じて、では今、いい物語とは何なのか? という疑問にまたぶち当たった、そんな初詣であった。

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それはそれとして、今年の抱負はきっちり立てた。立てたけど、ここには書かない。○○を楽しむ、という実にシンプルな抱負であるが、これを追求したら僕はもうほとんど生まれ変わったかというくらい、別の人間、別の人格になっている気がする。

本年も、どうぞよろしくお願い致します。