PLAYNOTE 水中を生きる/アクアリウム・プレビュー開幕

2013年12月06日

水中を生きる/アクアリウム・プレビュー開幕

[公演活動] 2013/12/06 02:25

DULL-COLORED POP『アクアリウム』プレビュー初日が開きました。はじめての体験がいくつもあって、とてもここには書き切れないくらい。演劇はじめて16年。まだまだ知らないことがたくさんあるんだな。

以下若干のネタバレ含みつつ今日の日記を。

Twitterを眺めていたら、「よくそこに気づいたな」「つうか、よくその見方ができたな。どうやった??」というつぶやきを発見して、観客の中にとんでもないセンサーを持った奴がやっぱり、いつも、混じっているのだということを思う。井上先生は、どんなに長く舞台をやっても、必ず客席に一人、はじめて演劇を見るお客さんがいることを想像しなさい、なんてことを仰っていたが、私は今回、考えた。きっと客席には、僕よりずっと、この話をわかってくれる人がいる。作者である僕よりも。

ある意味では、枠組みはわかりやすい話なのである。ある登場○物の動きを追えば、すべてがわかる話なのだ(今回は動物も出演しているので、あえて○で囲った)。にも関わらず、まぁこれだけ色々な感想が出てくるというのは、やっぱりこれはナンダコレ演劇なのだな。

このナンダコレ演劇を成立させるには、実はとても正確なボールコントロールが必要そうだぞ、ということがわかったので、明日は正確なボールコントロールのためのお稽古をしようと思う。絶妙なバランスで成り立っているのだ。プレビューとは、磨き上げ、削り上げていく期間なので、まだ大きくどーんと変えたりはしないだろうけど、遠慮なく磨く。

前説で「プレビューだからアンケートよろしくにゃん」と言ったら、どかんと大量にアンケートが集まって、とてもありがたい。今回は作品内容が作品内容だから、全部目を通そう。

まだあと4ステ、かな? プレビューございます。磨き上げ作業、是非ご一緒に。

関係のない話だが。

僕は福島県郡山市の病院で生まれた。母親の実家が、福島にあったから。妹が生まれ、親父がイラクだったかイランだったかに出張に行く際に、1年ほど福島の実家に預けられた。僕はそこではじめて、はじめての言葉を覚えたらしい。

福島県石川町にあるその家は、広い庭を持った木造2階建て住宅で、縁側からは子供が20人は集まってドッジボールくらいはできる広い庭が見渡せた。冬になるとそこは雪で覆われ真っ白になる。庭にはバス停が隣接していて、これも具合のいいことに縁側から見渡せる。子どもの頃、僕は、バスを見るのが好きだったらしい。コンビニなどなかった時代だから、歩いて10分くらいのところにあるガソリンスタンドへ連れて行ってもらって、アイスとかジュースを買ってもらうのを楽しみにしていたらしい。

そんなわけで、僕がはじめて覚えた言葉は、「バス」「アイス」「ジュース」だったらしい。「まんま」より「ママ」より「バス」「アイス」「ジュース」を覚えたそうだ。ぜんぶ「ス」で終わっていることに、特に意味はないだろう。言いやすかったのかな。

その後、小学校高学年くらいまでは、春休み・夏休み・冬休みになると、ほぼ期間中ずっと、福島の田舎で過ごした。だから今でも僕は、あの家のことを「実家」と呼んでしまう。僕の父親が、小5だったかな、割と早くに父親を亡くしていたから、「お義父さん」と呼べる人がいることをとても喜んでいたし、母親も何だかんだで福島の家が好きだったんだろう。

両親が一戸建てを構えた千葉県柏市から、父親の運転する車で4時間か5時間くらいかけて里帰りする。道中、水戸のサービスエリアで納豆を買い求め、玄関を最初にくぐって「ただいま」と言うのは、長男である僕の役目だった。警察の鑑識課に勤めていて、警察署内の剣道師範でもあったというじいちゃんは、僕の届ける納豆と、僕の「ただいま」を目を細めて喜んだ。じいちゃんとは庭にホースで水をまいたり、焼却炉でゴミを燃やしたり、一緒に買い物に行ったりしてよく遊んだ。母親にとっては寡黙でおっかない父親だったらしいが、僕にとってはよく笑う遊び相手だった。ジャイアンツと謡曲が好きで、ビールは飲んでもせいぜい一杯、警察官らしく正義感の強い、ガタイのいいじいちゃんだった。

ばあちゃん、こちらはまだ存命中だが、タバコをスパスパ吸い、お酒も飲み、豪快に笑う人だった。そこそこ広い居間のある家だったので、近所のおばあちゃんたちやらお母さんたちやらの溜まり場になっていた。いつも居間には誰か知らない人がいて、ばあちゃんとどうでもいい世間話をしていた。女の人が4人くらい集まっていて、1人が「じゃあ帰る」と言って帰ると、「あの人は○○なんだってな」「だからケチなんだよ」「わはは」みたいな会話が繰り広げられたりしていて、大人の女の人は怖いと、小学生ながらに思ったのを覚えている。

この家にはひろしくんというお兄ちゃんが住んでいた。僕は長男だから、お兄ちゃんのいるはずがない。ひろしくんは、ちょっとここには書けない事情で預けられていた、僕のいとこ、じーちゃんばーちゃんの孫にあたる人だった。僕より随分年上だったので、小学生の頃はよく遊んでもらった。賢一、カブトムシとれるとこ教えてやる。賢一、ガンプラ作ろう。賢一、ゲームやろう。野球やろう。ひいあんちゃん、と呼んで、後をとことこついてって、とてもよくなついていた。僕が小学校高学年くらいになると、自分の部屋に何だか不良っぽいものを置いたり、バイクに乗るようになったり、隠れてタバコを吸ったり、お酒を飲んだりしていた。部屋に入ると、コーラの缶と煙草の空き箱が、壁一面、大量に並べられていた。何だか集めていたらしい。当時の不良は、煙草の箱とコーラの缶と、あとアメリカの車のナンバープレートを集めるのが流行っていたらしい。僕はそれを「全然わからないな」と思って見ていた。ガンダムの方が全然カッコよかった。

この雑記には終わりがない。いや、もう終わっている。いくらでもディテールは書き加えることができるが、とても「物語」にするつもりはない。何故ならそれは、物語になることを拒否しているからだ。僕が一年の約1/6を福島で過ごしていたからといって、あれは厳密には僕の実家ではないし、僕が離乳後に祖母に育てられたからといって、僕は母親の愛情に飢えたりはしていない。あえて言うなら、「バス」「アイス」「ジュース」というくだらない言葉を最初に覚えた子どもが、今は文字を書く仕事をしているというところにダイナミズムがあるくらいか。あるいは正義感の強い警察官であった祖父から受け継いだ、この正義の魂について書けば物語になるだろうか。しかし、それは物語になることを拒んでいる。漠然とした印象と情景の点描が、僕の瞼の裏には蘇ってくるだけだ。

裏山には牛小屋が一軒あって、そこを通り過ぎるとき、いつも大仰にでかい声で「ボォー!」と吠えられるのが怖かった。夜は虫の声やら蛙の声やら、怖かった。柏の家にはお化けは出そうになかったが、福島の家には大量に出そうだった。幼稚園生くらいの頃に、ひいあんちゃんにカップやきそばを運んでこいと言われてひっくり返し、右手と左手皮膚がお互いにくっつくほどの大火傷して、ぎゃあぎゃあ泣き喚いた。じいちゃんの背中にぶら下がるのが好きで、よく肩を外していた。一人だけ、福島で年の近い友達がいたのを覚えている。離れに「ばっぱ」と呼ばれていた曾祖母が住んでおり、遊びに行くと必ず缶詰の果物だのクッキーだの駄菓子だのをくれた。祖母は曾祖母を笑っていた。離婚してしまった妻を紹介しに福島まで行ったとき、「こんな小せえ嫁さんで、ちゃんと子ども産めんのか」と不思議がっていた祖母は、だがしかし、もう彼女よりもさらに小さく縮んでいた。おまけに祖母は妹が大学へ進んだとき、報告したら、ばかやろう、さっさと結婚して子ども産め、とも言っていた。祖母は三人しか子どもを産んでいない。2人目とはとある事情で縁切りしている。

庭には確か、もう動かない古いアメリカの車が一台、止まっていて、とても怖かった。庭の砂はさらさらとしていて、全力で走るとよく滑った。

『アクアリウム』、ご来場お待ちしております。