PLAYNOTE 水底で消える/『アクアリウム』明日プレビュー初日

2013年12月05日

水底で消える/『アクアリウム』明日プレビュー初日

[公演活動] 2013/12/05 03:12

マジで8000文字くらい書いてたのに、間違えてリロードして全部消えちまった。俺の文章。結構いいこと、書いてたんだけどな。登山家、湘南の海、「病みつき」、演劇への愛、水底を歩く感覚、その他もろもろ。

だけど、消えちまったもんを嘆いていても仕方がないし、消えちまったもんはもう二度と同じようには書けない。だから新しく書き出すことにしたんだ。『アクアリウム』、明日プレビュー初日です。

大事なことなのでもう一度書こう。消えちまったもんを嘆いていても仕方がないし、消えちまったもんはもう二度と同じようには書けない。それは文章に於いても演劇に於いても同じことで、何か失ったものがあるとしたら、新しく始め直すすかないのである。

平たく言うと今日のGPでとあるシーンが大失敗しており、あーあー、となってドン引きし、さてどうしようか、という話の中で、僕が選んだのが、あえて稽古も返しも具体的なダメ出しもせず、俳優とそのシーンについてのイメージだけ共有して、ほったらかす。ということだった。

もちろん、一度成功しているシーンなのだから、同じことを真似て描き直すことはできるだろう。でもその風景は生きているか? もちろん死んでいる。僕は今回、ただ自然に生きてる人間をしか認めたくない。吉田拓郎がむっちゃくちゃ深いこと言ってるぞ。あのグラサンハゲ。

「俺は人間として、自然に生きているのさ」

自然に生きてるってわかるなんて、なんて不自然なんだろう?

団塊世代にはお馴染み、『イメージの詩』ですね。吉田拓郎は途中から堂本兄弟の世話役みたいな感じになっちゃったけど、さすがあの時代を歌で戦い抜いた漢だけあり、たまにびっくりするようなフレーズをぶち込んでくる。演劇に翻訳したら、こうなるかな?

「俺は役として、自然に生きているのさ」。
自然に生きてるってわかるなんて、なんて不自然なんだろう?

凄まじい自己撞着を孕んでいるが、自然に生きるためには、自然に生きようとしちゃあいけない。少なくとも、自分が自然に生きてるよねって確認しながらやったりしてたら、それはもう自然ではないんだな。

基本的に賢い人しかいない座組なので、明日にはあのシーンも生き返ってるだろう。いや、むしろ、もっと深い水底を目指さなければならない。一度、深い水底を歩いてしまった僕たちは、もう浅い水底を歩くことで満足なんかできない。そう、登山家が、次々と高い山に魅了されていってしまうように、水底を歩く旅、僕たちは下へ下へ潜り続け、そのためにたくさん、たくさん、呼吸をする。少しでも不自然に歩いたら消えてしまうかもしれない水底を、歩いているということすら忘れるくらい、ただ自然に歩かされる。

もうこれ言葉遊びの領域だね。こういうのは、哲学者か演劇学者にお任せして、僕はただ、明日の稽古と本番を考えよう。プレビュー初日。開始5分で「これは、とんでもないものを観に来たな」というくらいには、引き締まってきました。『アクアリウム』。是非、この水底、ご一緒に。

僕は今回、未だかつてないほどに、真剣に生きている。深い深い水槽なのだから、ゆっくり、たっぷり、呼吸をして、眠ろう。