PLAYNOTE 現状報告

2013年03月01日

現状報告

[公演活動] 2013/03/01 01:11

うむ。Théâtre des Annales vol.2『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが(略)』の、目下稽古中です。正直に言うと、台本がまだ最後まで上がっておらず、執筆と稽古の板挟みで、苦悩・苦闘しております。今の僕にはっきりと語れることは、「僕はやばいものを書こうとしている」ということと、「満足行くまで書き直し続ける」ということであり、これから帰結する結論は、「やばいものを書く」ということです。

難しいことを楽しく、わかりやすく。

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン。毎日ディスカッションしている。正直言うと、俳優たちがここまでウィトゲンシュタイン哲学を理解・把握して稽古に臨んでくるとは、思っていなかった。きっと僕が解説し説明するのだろうと思っていた。ところが全然そうでなかった。今や対等なレベルで議論ができている。非常にレベルの高い議論が。

これは驚くべきことだよ。哲学科の学生を集めてきたって、こうはいかない。熱意と熱量が、大変高い。俺も頑張らなきゃ。

ウィトゲンシュタインの難解な哲学を、誰にでもわかるように、しかし底の浅いものにしてしまわないように、毎日稽古場で、「5分で語るウィトゲンシュタイン」「3分で語るウィトゲンシュタイン」というのをやっている。だんだん、目に見えて精度が上がってきた。明日もやる。

これは俺だけじゃなくて俳優にもやってもらっている。「語る」ということは、「理解する」ということとニアリーイコールだ。知らないことや、わからないことについて、人は語れない。逆に言えば、知っていることや、わかっていることについては、ちょっと説明が下手くそでも、語ることができる。そして理解が進めば、もっとうまく語ることができるし、語ることで僕たちは、理解を深めることができる。

そして、俳優たちが、自分たちが何を演じているのか理解すること、自分の役が何のためにルートヴィヒに言葉を投げかけているのか理解することは、今回のような戯曲を立ち上げるためには、不可欠である。ノリとリズムとミザンスで作れてしまう演劇もある。だけど今回のこれは、全然違う。「語り得ぬもの」を語るためには、まず「語れるもの」についてはっきり・明晰に語れるようになっていなければならない。

毎日発見があって、面白い反面、方向を間違えるとあっという間に暗い壺の中に逆戻りだ。明日も頑張る明日も頑張る。人間の叡智を、叡智のままに、演劇化したい。間口は広く、奥行きは深く。どっちかだけなら簡単なんだけどね……。よーし!