PLAYNOTE 俳優の生理

2012年12月22日

俳優の生理

[公演活動] 2012/12/22 02:22

ぼやくような日記である。

今日の「俺とあがさと彬と酒と」の稽古は、スタッフ見せ通し稽古を行い、そして『ふたりマクベス』の最終仕上げを行った。『ふたりマクベス』については、ニヤニヤできる内容に仕上がってきた。

山崎彬の良さ。キレのある身体と芯のある存在。それはマクベス=王さまを演る上で欠かせないものだ。前々から『マクベス』をやりたいと思っていて、でも20代でマクベスをやれる俳優がそうはいねぇよな、と考えていて、出会った逸材である。まだ底力とか秘めた力とかを開眼させることはできていないが、あっという間にハードルはクリアして、十分にマクベスとしての存在と身体を獲得しつつある。あとは、ジャンプするだけだ。

岡田あがさは、もう、良い。いきなり余談だが、以前、学生時代のとある音響スタッフに、「お前マイナス演劇はゼロだな」と言ったことがある。そいつは田吾作というアダ名がつけられるくらい、日本でも有数にブサイクな顔立ちを持つ中肉中背の男で、どうしようもない貧乏臭さを顔面に漂わせつつ、しかし音響への愛と誠実さについては右に出るものがいなかった。だから彼マイナス演劇はゼロだった。これは、褒め言葉である。彼は、演劇だけで、存在していた。まぁ、いいヤツでもあったんだけど。

岡田あがさの話だった。岡田あがさマイナス演劇は、ゼロどころか、マイナスではないだろうか。確かにあがさは喋っていても面白いし、いい奴だし、いい女だが、彼女が演劇について持っているものに比べたら、そんな人間としてのメリットは、もうどうでもいいくらい小さい。いや、そちらが小さいんじゃなくて、演劇の部分が大きいんだ。いやこれはね、岡田あがさをうまーく料理した、いい作品に仕上がると思うよ。現状、彬の方が落ち着いて、着実に固めている感があるが、その分あがさには余白がある。ドン! と出たときにいきなりマクベス夫人に化ける、そういう余白をたくさん持ってる。現状すでにセクシーだしかわいいしかわいそうだが、まだ彼女の余白はある気がする。

幸せな企画をやっている。俳優にうっとりできる、というのは、楽しい。

そして僕も『マボロシ兄妹』という山崎彬・作・演出の短編に、俳優として出演している。稽古の最中は、もう死に物狂いで、帰宅しても死に物狂いで、冗談みたいに行き帰りの電車で台本を読み、ぶつぶつ呟き、手を動かし、イメージを整理し、やっている。しかし全然、追いつけない。まだまだ山崎彬の世界観をわかりきれていないし、俳優としては当然未熟だ。そこはもう、ガッツと魂と、そう、努力で、何とかするしかない。まだまだ時間はある。

それとは別に、俳優の生理について、たくさんの発見があった。何でこの俳優は役の気持ちについてとか、台本の解釈についてとか、さんざん質問してくるんだろう? とか、どうして俳優は自由にやれと言われると困惑し萎縮するのだろう? とか、演劇における自由とは何だろう? とか、台本を読む・覚える・演じるとはどういうことだろう? とか。それについては会場で販売するパンフレットに掲載するつもりなので、ここには書かないが、延々と続く演劇的日常の中、ある種のアンニュイにおぼれていた私にとって、開眼したり、確認したり、再確認したり、そういう糧を得られている。そんな俺の成長も経験もお客様にはちっとも関係がないので自慢してもしょうがないのだが、嬉しいことは確かだ。残りの稽古も必死に食らいつき、少しでも山崎彬のオッケーをもらうことに執着することを続ければ、もっともとっと演劇は豊かになり、俺の経験と蓄積も豊かになるだろう。

要は、ただまた明日も、ちゃんと稽古しよう、というだけのことだ。必死だから、好きだから、うまくやれるのさ。彬とあさがと、マイナス演劇をしたらマイナスになってしまうような演劇狂どもと過ごす年末。是非観に来てね。