PLAYNOTE 愉快なメール、充電編と、執筆にまつわる蛇行記録

2012年09月22日

愉快なメール、充電編と、執筆にまつわる蛇行記録

[雑記・メモ] 2012/09/22 00:08

知人の作家なんかとメールのやりとりをしていると、すげぇ業務的な内容のはずなのに、おかしなテンションになっていつの間にかふざけあい合戦になっていたりすることがままある。以前はこゆび侍の成島くんとこんなやりとりをしてブログに掲載したことがあったが、今回は、関西で人気随一のあの人とメールのやりとりをしていて、大変愉快だったので、「あの人」の分は許可とってないので掲載しないが、僕の書いたお返事だけ掲載してみる。

**様

大変愉快なメールを、どうもありがとうございました。
充電。
何と言うか、便利な言葉でありますね。
僕も少し予定があくと、充電、充電、と言って、
役に立つんだか立たないんだか、さっぱりわからん充電作業を繰り返しています。

9月の僕。
**さんがスラムダンクであったのに対して、僕はドラゴンボール完全版でした。
そして**さんがスーパーファミコンであったのに対して、僕はスーパーマリオブラザーズ2でした。
スーパーマリオブラザーズ2に至っては、台本が進まない折などに、
1面ずつクリアして気分転換にしていたら、だんだん上達してしまい、
あの超絶難易度の続編を、無限増殖なし、コンティニューせずという条件で完全クリアし、
ガッツポーズしたのも束の間、「本当に無駄なことをした」と地の底まで落ちる勢いで反省しました。
マリオがうまくなっても、台本は書けない。

いかん、いかん。こんなことではいかん。
文学者たるもの、演劇居士たるもの、何がスーパーマリオだ。ドラゴンボールだ。
亀仙人の教えは尊く、スーパーマリオのスリリングであることはもうとっくにわかっている。
森鴎外がドラゴンボールを読んだか。のらくろくんを読んだか。
岸田國士がスーパーマリオをやったか。スゴロクに熱狂したか。
していない。
しているわけがない!

……と反省してはみたものの、
いやいや、こうしてマリオやらドラゴンボールやら花道やらに心惹かれてしまう、
そんな82年生まれの僕たち、
それもまた人間の真実なのだ、
そこから生まれる言葉や文学や演劇もあるはずなのだ、
目を背けるな、己の愚昧が題材となって生まれる作品もあるはずだろうと、
歯を食いしばって生きております。

余談ですが、
> 思えばバイトをしていた時のあのアイデアの降りようたらなかったな、
これ、すげーよくわかります。
8時間バイトして、生まれたアイディアの数々。
あれは何だったのでしょうか。
思えば拙作、『Caesiumberry Jam』やら『小部屋の中のマリー』やら、
ほとんどが地元のパチンコ屋でバイトしていた4年前、
ジャンジャカピロピロ、周囲がうるさいからわかるまいと、
台詞の原型らしきものをぶつくさ呟いていた悪ふざけから生まれた作品たちであり、
「俺は底辺労働をしている」というルサンチマンから生み出された凶暴な野心のなせるわざなのか、
妙にバイト中には創作熱が高まったのを覚えております。

今でもたまに、何かのついでに折込なんか手伝ったりして、
単純作業の死ぬほど苦手な自分、その淡々たる時間に辟易しつつ、
しかし突然、「あ」、とアイディアが閃いたりして、
やはり「やりたくないこと」をやってる時間も必要なんだなと考えたりします。
それでたまに、変な気を起こして妻の食器洗いなんか手伝ってみて、
「これでアイディア爆発に違いない、へへへ!と思っても、
まぁ、たいてい、何も出てこないのですが。

オチはない。この後は、まじめな業務連絡が続く。ちなみに相手が送ってきたメールには、この2倍くらい、うだうだと最近の充電生活のことが書いてあり、妙な親近感を覚えたものであった。

なんだ貴様、スーパーマリオブラザーズなんかやってるのか、と憤られる方もいらっしゃいましょう。やってました。真摯にノートをとったり、参考書籍を読んだり、散歩したり、酒を飲んだり、歌ったり、いろいろやる中の一つとして、スーパーマリオブラザーズをやる、ということをやってみましたが、これはもう本当にダメ、二度とやらない、と固く誓いました。そもそも、マリオ2をノーコンティニューでクリアしちゃったら、次に目指す頂きなどありません。本当に難しかった。ご多分に漏れず、4-4と8-3、あと8-4が鬼門でした。

ただそこは、勘弁して頂きたい。僕が心から尊敬するある女性作家も、執筆に行き詰まると「ついYouTubeでネコの動画見ちゃう」と言っていたことだし、朝方のケラさんのTwitterなんかを見ていても、執筆中の作家は奇行蛮行を繰り返すものなのだ。僕は普段、ゲームをほとんどやらない人なので、こういう気分転換もいいかな、と思ったのが間違いだった。何の意味もなかった。

執筆なさらない方に喩え話でお伝えするならば、絶対に解けないパズルや、解決の糸口の見えない数式を前に、何のヒントもなく、ただ唸り続ける。そういう感じであります。コツコツやれば、いいものではない。ニュートンがリンゴが落ちたのを見てひらめいたように、わけのわからんところからインスピレーションは湧いてくるのです。

しかしそれももうやめた。もう、今は牢獄、監獄、檻の中にいると心に決めて、ただキーボードやら新潮文庫やら全集やらと向き合い、酒は呑む、煙草も吸う、あと叫んだり踊ったりはする、それでもマリオはやらなくなりました。

気分転換なら外出でもすれば? DVDでも観れば? と思うでしょう。大間違いです。外出なんかしたら確実に1時間2時間潰れる。DVDなら2時間が殺される。そんな余裕はないのです。次の10分で、書けると信じて、部屋にいるのです。だから、3分でできる気分転換にと、マリオをやったり、はてなブックマークを見たりして、それが塵も積もれば方式で膨大な無駄になっている。

唯一の効用は、あらゆる気分転換がムダだとわかったということと、追い詰められた実感、それがあるばかりです。そしてそれはとても重要だと思う。危機感。そしてもう一つ。書けない自分を感じると、自分がひどく無価値に思えて、そこで思考が反転するのです。なるほど、書けない自分はこんなにも無価値なのかと。ならば、書くしかないじゃあないか。苦しいだのつらいだの、知ったことか、なら死んじまえ、書けない谷はただのロクデナシだ。よし書こう。と。

そしてこうしてブログに筆を走らせていると、指に勢いがついて、少しは書けたりするものなのです。これは、経験則。文を書くということを、楽しまなければ、いけない。楽しめなくなりつつあるときほど、楽しまなければならない。小学生に微分積分をやらせるような無理難題に見えたとて、だとしたら、その小学生は微分積分が解けるまで、机に向かい続けるしかないのだ。

いいちこを飲んでいます。