PLAYNOTE ピンと来た瞬間/ワークショップ前日の雑記雑想

2012年08月09日

ピンと来た瞬間/ワークショップ前日の雑記雑想

[雑記・メモ] 2012/08/09 01:41
Untitled
先日の劇團總會での稽古の様子

10月末小屋入りで11月1日から初日を迎える、今年最大の山場となるであろう公演。について、キャスティングやら企画やら進めている。キャストさんやらスタッフさんやら。諸事情あってまだ決まっていない人もいるので急ピッチで確認など進めているのだが、本当に連絡するタイミングってのはまちまちだ。

オファーのタイミングは、「ピンと来たら」としか言いようがない。そして「ピンと来た」人は大抵の場合、大成功で、考えに考えてオファーした人は、大抵ずっこける場合が多い。これって何だろうな。

この「ピンと来る」感じは、キャスティングやスタッフィング以外でも多々あることで、例えば観劇のお誘いだとか、演出プランを決めるときだとか、選曲だとか、劇場選びだとか、いろんなとこで「ピンと来る」時がある。直感としか言いようがない。こういうとき、いっつも、自意識より無意識、前頭葉より大脳皮質の方が賢いなって考えたりする。

前頭葉、すなわち情報の総合と判断を担当する部位がぶっ壊れちゃった人の中には、日常生活における判断能力を失っちゃう人もいるんだって。「そこで悩んでどーすんの」ってとこで、悩んでしまう。人間はどうやら、膨大な選択肢の中から行動を選びとる際に、いちいち考えてるとキリねーし時間かかってしょうがねーから、条件反射的に「何となくこっち」とか「よくわからんが、これはない」というのを想起してるらしい。

「想起」と書いたのは、厳密には間違いだ。自意識に登っていないのだから、「想」に「起」ではない。「想下起」とでも言おうか。まったく、自意識ってのはちっぽけで役立たずだ。なのに我々は、自分の思考に頼って生きていると思い込んでいる。

~~

明日からワークショップ連続の日々がはじまる。いろいろ、プログラムについて考えているんだが、これもなるべく「ピンと来た」瞬間を大事にしたいと思っている。

明日から始まるダルカラ劇団としてのWS/ADは、全4チームを交互に見ることになる。原則論としては、どのチームでも同じことやった方がいいんだろうし、まぁそうするつもりだけど、原則論に縛られて臨機応変を忘れたらそれは悪平等ということになってしまう。教科書や本や機械より現時点で人間が優れていることと言えば、状況判断や直感ということなのだから、悪平等こそ人間の最大の武器と言えるかもしれない。

~~

最近はあまり、ワークショップをやらないようにしている。ワークショップばっかやってると、演出家でなくワークショッパーになってしまう。ワークショッパーになったり、アクティングトレーナーになったり、先生になったりすると、演出家としての勘が鈍るし、何より演出家としてのエゴが鈍る。エゴをきちんと持つことは、演出家にとっては大事だ。俳優と演出家が本当にイーブンの勝負をするには、演出家が俳優に「どうぞどうぞ」と道を譲らない覚悟を持たねばならぬ。

というわけで、明日からワークショップなのだが、なるべく演出家としてのワークショップをしたいし、自分自身も楽しみたい。スリリングにやりたい。そのエゴが、参加者に刺激を与えるんではなかろうか。

あくまで明日からのDCPOPワークショップ・オーディションは、オーディションを兼ねたワークショップという点が特異である。普通ワークショップをやる場合、ファシリテーターとして参加者に歩み寄り、汲み取り、導き、守る、いろんな配慮が必要になる。自分のエゴや一つの価値観、やり方を押し付けず、参加者の中にあるものを育て、伸ばす懐の広さみたいなものが必要になる。だけど今回のワークショップ・オーディションでは、まぁオーディションも兼ねてるからさ、「この人と一緒に芝居できるかな」というところを見るために、エゴをばちんとぶつける瞬間も作りたいと思っている。

しかし、いつぞや、私の尊敬する先達がこんなこと言ってた。私が思うワークショップの唯一の条件は、参加者が楽しむこと、充実して帰ることだと。稽古ならベチベチにへこんで帰ってもいい、講義ならチンプンカンプンで帰ってもいい。ワークショップは、主体的に楽しめるものでなければならない。楽しさの中に、発見や獲得、成長の種が見つかるのだと。その人は照明家なんだけど、すげー端的にワークショップの本質を言い得ていると思った。

そんな言葉を胸にしまいつつも、スリリングかつエゴイスティックなワークショップを、明日から俺も楽しみたいものだ。「こんな奴いたのー!」「絶対おもしろいやんけー!」みたいな人と、会いたいな。