PLAYNOTE 落語という話芸をWSでやってみて

2012年06月11日

落語という話芸をWSでやってみて

[演劇メモ] 2012/06/11 00:57

はいどうもこんばんは。睡眠薬がわりにトリスとブログを大活用している、酔いどれ劇作家、谷賢一です。今日は何故か妻が早々に寝ちまったので、一人で原稿書きながら、少しばかり日本一の安ウイスキー・トリスを傾けていましたが、まだ眠くない、でも明日は重要な打ち合わせ、なので早く寝ようと思ってブログなぞ物してみんとせむニャンニャンであります。

5月・6月の劇團總會で、落語を題材にWSというか発表というか、やってみて。

もともとDCPOPって第1回公演から「現代口語の会話の中にムリヤリ独白をぶち込む」みたいなことをやってきて、『モリー・スウィーニー』や『Caesiumberry Jam』をご覧になった方々はわかる通り、「客席に向けて語り掛ける」というスタイルにとても興味のある私なのです。

それともう一つ、最近かなり意識的に目指しているのが、「その場で言葉を生み出す演技術」みたいなもので。もちろん芝居なんで台詞は決まってるんですが、行間どころか文字間、「……だからさ」の「……」に当たる部分で、いかにして俳優が「その場で言葉を捻り出してる感じ」を出すか、みたいなことが、ここしばらく気になって仕方がない私なのです。

俺の芝居はやたらまどろっこしい台詞とか飛躍した台詞とか出てくるけど、それは単なる飛躍ではなくて、そこで人物が足掻いた結果の飛躍なのですね。「どうやったらこのモヤモヤを相手に伝えられるか」といって四方八方に手を伸ばし七転八倒を繰り返し、そうしてようやく辿り着いた「……だからさ」。つまり「だからさ」より「……」が大事だし、「……」で何を語るか、何をあがくか、が重要なわけです。この辺は永井愛先生からの影響も強い。詳細は長いから書かない。

要点をまとめると、「客席に語り掛ける」「その場で言葉をひねり出す(ような演技術)」について、ここ一年くらいうんうん唸り続けてきたわけですが、そのどちらの要素も、超でっかく入っているのが、落語だなぁと思ったわけです。

落語は、まぁ通人さんには釈迦に説法、何を今さら当たり前のことを、と思われるのを承知で書けば、実は噺家と言うのは、決まりきった台本を演じているわけじゃなくって、その日その日、その客その客に合わせて、喋り方や台詞を全然変えているんですね。話の大筋や、サゲや殺し文句、決め台詞なんかは別として、全く同じ台詞を言う噺家というのはほとんどいない。その場で客席の温度や反応、層やテンションを感じて、伸ばしもすればつまみもする、押しもすれば引きもする、そういう中で、その場で言葉を生み出す芸能なわけであります。そして当然、客席に向けてダイレクトに語り掛けている。観客の存在を、全く殺していない。

だから僕が、未だにモノローグのある芝居にきゅんきゅんしちゃうのとか、これからもそういう芝居やっちゃうぞー、みたいに思っているとしたら、落語は実は非常に学ぶべきところの多い芸能な気がしておるわけです。

僕が思うに、モノローグというものは大分して、

  • 独り言 …… 「なんで俺はあんなことしちまったんだ!」
  • 独白 …… 「俺の心はサソリでいっぱいだ!」
  • 地の文 …… 「そこでマクベスはふと考えた」
  • 語り掛け …… 「その時、僕は、こう思ったんです」

に分けられる。例文は超適当なので、あんまり参考にしないで下さい。ただ、モノローグ、といった場合に、訳語は最低、4パターンは考えられる。上のリストで言うと、上に行くほど自然主義的で、下に行くほどパフォーマティブな感じがします。

落語では「地の文」と「語り掛け」が登場します。俺の芝居では「独り言」(『ヌード・マウス』ではこれでした)、「独白」(『Caesiumberry Jam』は半独白・半語り掛け、もっと古い作品だとド独白あり)、「語り掛け」(『モリー・スウィーニー』に顕著)なんかがよく出て来るし、これからも使うと思う。最近、「地の文」ってスタイルを使いたいなぁと、こないだ三条会なんか見ていてすげぇ思ったんだけど、もうちょっと考えます。

何にせよ、落語における「語り掛け」と「その場で言葉を捻り出す力」の修練というのは、実はとてもDCPOPの演劇性に近いのじゃあないか、なんてことを、今日劇団員どもが戦々恐々と高座に上がる様を見ていて、感じた私なのでありました。

モノローグに限定したワークショップとか、稽古とか、やってみたいけど、俳優にとってはあんまり持ち帰るものがないだろうから、やってない。モノローグ出て来る芝居とか、ほとんどねぇし。ただ、俺は未だにそこら辺の可能性を信じている、と言うと大仰だけど、面白いと思っているので、いつかきちんとやりたいな。

寝ます。