PLAYNOTE ぼやき2012/06/10

2012年06月10日

ぼやき2012/06/10

[雑記・メモ] 2012/06/10 02:38

久々にPLAYNOTEを書いて寝ようと思う。

実は俺は高校2年生くらいからずっとインターネットに文章を書いている。日記みたいなことを始めたのも高校3年生くらいからだ。今も探せばログが残っているかもしれない。自作のPerlスクリプトで日記用のCGIを書いて、毎日書いていた。せいぜいが10人とかしか読まない文章をずっと、毎日。

今思えば、ああいう文章が今の自分を鍛えたのだ。アクセスログが10人増えれば大騒ぎだったし、がくりと減れば原因究明に余年がなかった。人にウケる文章を書く、という至上命題を追求するうちに、なるほど、自分にしか書けない文章を書けばいいのだな、と気がつき、そしてへんてこなものばかり書くようになった。

PLAYNOTEという名前にしてからも、もう7年が経つけれど、随分こいつは遠くなってしまった。もうアクセスログなんか1ヶ月に1度開けばいい方だが、月に何万何十万アクセスがあるブログに、書き散らかすというのはなかなか難しい。他にもいろいろ、文章を書くということについて、考えていることはあるけど、やめとく。

* * *

自分の周囲が交通渋滞している。主に俺の思考回路が交通渋滞している。

今は何をやっているのかというと、主に今年の下半期~来年の年末にかけての準備をしている。今日、明日に控えた劇團總會のための資料を作ろうとして、向こう1年半のスケジュールを確認してみたが、今のうちに新作のプロットを3本くらいは仕上げておかないと、来年死んでしまうだろう。貴重な休暇だが、ある意味では毎日が締切日だ。

あとは稽古をしている。劇団14歳という企画の本番まで、稽古があと4回くらいだ。いろいろ鬱憤も溜まっているが、10代中盤の俳優たちは意欲的で輝かしい。一番、教えたいことが、なかなかうまく伝わらない。それは、芸道の厳しさ、呵責のなさということと、演劇の本当の楽しさだ。後者は本番の中で気づくだろうが、前者、いかに演劇が厳しいものかということは、なかなかどうして伝わらない。

すげー若い俳優志望のワークショップなんかやるときには、そしてそこに10人とか20人とかいるときには、俺がよく使う決まり文句がある。ここにいる15人のうち、10年後に演劇を続けている奴はよくて1人、悪けりゃ0。自分から諦める奴もいるし、辞めざるを得ない状況に追い込まれる奴もいるけど、でも何にせよ、みんなやめていく。そういう世界だ。だけど、10年続ければ、10年コンスタントに出演し続ければ、きっと何がしか、仕事になってるよ、と。

すげーすげー才能あってやめてった奴や、すげーすげーセンスあったのにやめちゃった奴や、すげーすげー天才だったのにもうやってない奴とか、いっぱいいるけど、一番の才能とは「何があっても10年続ける」ということだと思っている。どこから10年か? というのは基準がよくわからんが、金とって芝居を見せるようになってから、というのが一番妥当な気がしている。作・演出と俳優だと、またその辺は違うのかもだけどさ。

話が脱線気味だが、芸道の厳しさを痛感する毎日である。ひとの分まで、痛感している気がする。

今募集している夏のワークショップ・オーディションの書類なんか見てると、たまにとんでもなくひどい奴が混ざってたりする。詳細は伏せるが、誰が読んでもこの人と演劇したいとは思わないだろう、というような、適当さだったり、弱気さだったり。30人に1人くらい、書類を読んだだけで、はっきりと演劇に向いていないと思う人が混ざっている。それは演技力云々の問題じゃなくて、真摯さとか誠実さみたいなものだけれど。

僕は演劇の表現上で無茶をするために、なるべく普段の生活や人との応対では誠実にやっているつもりだ。それでも「お前殺す」「さっさと業界から出ていけ」みたいな奴に出くわすと、ギャーギャー言い出す時もあるけど。

もう少しゆっくり、本を読んでいたい。もっと無駄な時間を、過ごしていたい。無駄なこと、例えば旅とか、祈りとか、盲信とか、放蕩とか、そういうのって、すごく人間を成長させるよね。すげー必要不可欠なこと、例えば締め切りとか、そういうのも人間を成長させるけど。どっちもないとね。

忌野清志郎の歌声が聞こえてきた。もう寝よう。明日も明後日も、ハードだ。