PLAYNOTE 落書き

2012年05月03日

落書き

[雑記・メモ] 2012/05/03 02:17

ひどい落書きである。

私はと言えば、キャサリン・ハンター1人芝居の本番を終えて、あのキャサリンに褒めてもらったやったー! という思いと、でも**さんには**が早いと言われたし**さんには全部見抜かれてるし**さんには一つダメ出しもらったし明日頑張らねばねば、と思っているわけだが、しかし空気である、問題は空気なのである。私の身の回りには、いろんな空気がまとわりついている。わけがわからん。シンプルに生きるということは、どうにも難しいらしい。

戦前の特攻隊のことを今ふと思い出して、大変に哀れで無念で痛ましい歴史なのだが、それよりも、それをよしとする風潮に世間が流れていたということに、何やら恐ろしいものを感じる俺である。シンプルな物事は、常に訴求力と求心力を持つ。歳出削減! 聖域なき構造改革! 痛みなくして成長なし! そうやって、日本人はこの20年くらいの闇天を誤魔化してきた。

理解せねばならんだろう。日本がこの先、経済産業国として、工業国としてトップを独走するのは、土台ムリな話だ。人手もない、資源もない、土地は高いし景気は悪い。経済成長はとっくに終わった。これからやれることがあるとしたら、ソフト面での成長だけだろう。いかにユニークな、日本固有の文化産業を輸出するか。それはアニメでも漫画でもコンピューターでも音楽でも演劇でも絵画でも同じだが、人手も資源もない国が、この先国際競争力を保持するために必要なことって、文化的なリーダーシップとリスペクトを得ることだけなんじゃないだろうか。

この狭い国土に1億3000万人が住んでいるという時点で、そして高度経済成長が終わってしまったという時点で、アメリカや中国やロシアと対等になろうというのは、難しい相談である。ゆっくりと日本は、ごくゆっくりと、技術や思想、文化の輸出国にシフトするしかないんではないだろうか。それこそフランスやイギリスやドイツやイタリアがやっているように、経済のトップではないけれど、文化のトップである、という誇りを、持たなければならないのではないだろうか。

かつてイギリスに留学していた時に、大学の友人に歌舞伎の話をしたことがある。誰も知らなかった。知ってるのは、アニメのことだけだった。セイントセイヤ! イエー! ドラゴンボール! ワンダフル! と言われたのはたくさんあったが、カブキ! ノー! キョーゲン! ファンタスティック! なんてことは一度もなかった。アニメはすでに、発注先として韓国や中国が台頭して、いろいろ国内産業としてはどん詰まって居るというのは聞いている。歌舞伎や能狂言も、誇るべき、守るべき日本文化だが、死に絶えてしまったら絶対に復活できない大いなる遺産だが、金にもパンにもならないことは現状が語っている。誰か、バリ島の民族舞踊の素晴らしさについて、語れる日本人がいますか? それと同じだ。俺はアルトーの研究をしていた時に、バリの文化の凄まじさについて少しは知ったつもりだが、所詮は少し、知ってる程度のことである。歌舞伎も能狂言も、国際競争力はないのかもしれない。でも、野田秀樹も勘三郎も、日本という国を持ち上げている一人である。

結局のところ、人件費の安い土地に、生産実態は移ってしまう。日本が保有できる資産なり強みなりは、技術や発想、そして文化ではないだろうか。まぁ、誰も信じないだろうけど。

友人であり先輩である人に、こんなメールを送った。ここからは前段とは全然関係ない話である。

こんばんは**さん。例えばね、**さん。****と****の話ですが。僕も強烈な違和感と不信と怒りを感じており、知ってること全部ブログやTwitterで暴露してやろうか、それが文筆家たるものの勇敢さではなかろうか、と思ったりする夜ですが、それでも発言しない自分は臆病者なのでしょうか。

言い訳としては、****の口からしか事情を聞いていないので、フェアじゃない、というのがありますが、****が悪いというのは方々から聞いており、間違っちゃいないだろうと思うのです。しかし、****を潰したところで、それが解決になるのでしょうか。

****は一度、天罰の雷でも受けるべきですが、****と実績においては、稀有であるのも確かです(最近ニブいですが。****、あんなものは子供だましだ)。だどもだども、黙っている自分にどうしようもない不実を感じ、だどもだども、書いたところで事態は混乱し、誰かが収拾して、そして損を食うのは俺だけ、ということもわかっており、だどもだども、それでも発言するのが文筆家たるものの勇敢なのだろうか、なんてことを考える夜です。

井伏さんは悪人です、というあいつの遺書の一言は、一体何だったんでしょうかねぇ。生前にきちんと書かなかった太宰が悪いのでしょうか。しかし『桜桃』や『ヴィヨンの妻』の風景を見る限り、生活者・太宰の苦悩を、こきおろすつもりにもならない私です。

**さんはどんな夜をお過ごしでしょうか。僕はもう寝ます。明日現場なので。寝ますということ自体が、ひどく不実なことだと思われるのは、私だけでしょうか。

爆弾テロとか革命とかクーデターとか、そういうのはもう封殺されてしまったということは、昨年上演した日本の問題『ボレロ、あるいは明るい未来のためのエチュード』にて引用したフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』にある通り、明らかだ。日本ではこの先、鮮烈な転換点なんか起こらない。明治維新が起こったのは黒船がやってきたからであって、かつ埋めるべきギャップが誰の目にも明らかなまでに明らかだったからであって、一応、名目上は先進国の日本では、特にクーデターとか、起こるわけがない。

それは平和ということだ。僕は生まれてこの方、文化的には海外びいきだが、海外に永住したいと思ったことは一度もない。日本は本当にいい国である。まぁきちんと法律や条例を理解していれば、餓死することはないと言っていい。だけど、そういうことを言ってるんじゃない。平和であるし、文化の根があるし、良い国なんである。だけど俺たちの、この劣等感は何なんだ?

今日、キャサリン・ハンター1人芝居の初日が開けて、某イギリス人スタッフに大入り袋を渡したら、思いっきし「?」という顔をしていたが、それは日本における文化の根ざし方の深さを感じられた、いい瞬間であった。「お疲れ様」とか、すげぇいい日本語だけど、英語には絶対翻訳できない。「ご縁がありますように」(大入り袋には、五円玉を入れる)なんてのも、英語に翻訳しようとしたら、3~4行はくだらない。

日本には文化がある、ということを、決して忘れたくないものだ。ということを、キャサリン・ハンターの凄まじい1人芝居の現場に関与してみて、痛感する私である。あの1人芝居を作ったのは、イギリスである。