PLAYNOTE とある哲学者についてのメモ

2012年05月01日

とある哲学者についてのメモ

[読書] 2012/05/01 03:06

最近、来年の芝居のための勉強として、移動時間なんかにとある哲学者についての書籍を読み漁っている。そのことについてメモ。

とある哲学者とは、××世紀最大の哲学者であり、その割にあんまり一般に理解されていない某××くんなのだが、それについて書くといきなりネタバレになるので書かないでおく。来年やるから観に来てね。

エピソードはふんだんにある。面白い芝居になるだろう。でも、それはどれも表層的なものだ。surface。夏目漱石がアイスクリームとおはぎが大好きだったとか、芥川龍之介が意外とスポーツマンだったとか、そういうのと同じくらい表層的なものだ。お客さんは喜ぶだろうし、プロット的には大変助かるが、そこから始めるんじゃなくて、まずは中核、中心、魂の根底から始めたたい。

しかし××世紀最大の知性の一人と戦うわけで、ちょっと俺は気持ちを入れなおさにゃならんのかもしれん。iPhoneのパズルゲームとかやってる場合じゃない。体力と気力もちょっとずつ回復してきた。やろう。やらねば。やりましょう。

その哲学者が、こんなことを書いていた。君はとある部屋の中にいる。外に出たいが、窓は鍵が掛かっているし、鉄格子がはまっていて抜けられそうにない。煙突もあるがあまりに狭くて体が通らない。出口なし! どうしたもんか! しかし落ち着け、振り返るとそこに玄関のドアがある。君はドアがあることを忘れていたんだ。そこを開けて、外に出ればいい。哲学もこれと同じだよ。

禅問答じゃねぇか、って感じもするが、今の僕はこの感じがすごくよくわかる。だって演劇も同じだから。

しかしこれも、あまりにキャッチーな表層である。もっと読もう。