PLAYNOTE モーパッサン『女の一生』

2012年04月15日

モーパッサン『女の一生』

[読書] 2012/04/15 14:43

これもやはり『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』執筆のために読み返した一冊。『ソヴァージュばあさん』なんて特に世間的には知名度もない短編を演劇化しちまう俺なので、モーパッサンは大好きなんだが、こいつは特にお気に入り。短編の名手として知られるモーパッサンだが、『ベラミ』といいこいつといい、長編書かせても素晴らしい。

シンプルな内容である。修道院を出たばかりのある一人の少女が、結婚し、出産し、巨大な敵に苦しめられ続ける。巨大な敵とは、すなわち愛。なんて恥ずかしい言い回しをしても、作品を貶めることにならないと思えるほど、真っ直ぐ愛のど真ん中、愛の美点だけでなく愛の醜点も描き出した傑作である。

モーパッサンは19世紀末のフランスで活躍した作家である。ってことは選挙権だの女性解放運動だの雇用機会均等法だのとは一切関係ない時代に生きた作家である。当時の女は、ただただ女であった。母であり妻であり、それだけであった。そういう女の、哀しい一生、傍目に見てると「ダメダメ、そっち行っちゃダメ! ばか!」って言いたくなるような選択の数々の一生、でも彼女にとってはそうとしか生きられない、それしか考えられない、それくらい愛。

だがそれをどうして我々は哀れと思うのか。それは現代人が思い描く、女性は進出して当然、仕事もして趣味もして、それでこそ一人の人間として輝ける、という現代の価値観にパチリあてはめただけではないか。自分の価値観にパチリあてはめる、それはつまり新たな偏見、もう一つの押し付けに過ぎない。彼女が哀れなのは、女性だからでもないし、母だからでもないし、妻だからでもない。ただ出会った人間と巡る運命の偶然が、あんまり酷だったからである。

しかし少なくとも彼女は自分の意志で選択をし続けていた、というのがこの小説の恐ろしいところでもある。無理矢理結婚したわけでも、イヤイヤ離婚に反対されたわけでもなく、最後的には自分の意志で決断している。モーパッサンの筆致を見る限り、そこに彼は女性というか人間の不自由さへの同情・哀愁を感じていたようには読めるが、しかし彼女は選択したのだ。否応なく追い詰められた挙句の選択と言えども、彼女は奴隷ではなかったし、強制されたわけでもない。社会に、とか時代に、という要素を除けばね。

僕はジャンヌに同情する。まるで自分のことを読んでいるかのように同情する。「当時の女性は可哀想だったなぁ」なんてことも思わないでもないが、人間の本質はそう変わるもんじゃない。ジャンヌの弱さ、愚かさ、惨めさは、今も我々の中に、つーか俺の中には少なくとも生きている。愛、それは巨大な敵、そう書いたのは、そういうことだ。悪意は善意より遠くに行けない、なんて言葉があったと思うけど、人間を突き動かし、過ちを犯させ、罪や不徳に走らせるのは、悪意なんかじゃなくて、むしろ愛だ。

あとすごくえっちです。純文学小説読んで勃起するとは思わなかった。中盤あたり、主人公が性に目覚める辺りの描写は、もう勃起抜きにはページをめくれない。さすがモーパッサン大先生。