PLAYNOTE 解放

2012年03月03日

解放

[公演活動] 2012/03/03 03:04

凄まじい解放感に浸っている。直し、直しの続いていたDCPOP11『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』の最終稿が、脱稿した。「え? まだ脱稿してなかったの?」って思ってた人は、まだまだ甘いな。俺がこんだけブログもTwitterもほったらかしにしていたのだから、脱稿しているわけがなかろう。あそこ書き換え、ここをボツにし、を繰り返してツギハギだらけになっていた台本が、今ようやくキレーに製本されて全部印刷にかかっているところだ。ざまぁみろ!!

今回わかったのは、台本を書くのには100時間では全然足りない、という、すげーシンプルな事実であった。これが一般的に言って遅筆に分類されるのかどうかもわからんが、公開執筆の100時間は無為に過ぎた。途中から中継もやめた。人に見られてる状態で台本書くのは無理だというすげーシンプルな事実がわかった。何の実験だこれ。

多分、超スムーズに行ったら100時間くらい、という読みだろう。『ヌード・マウス』は実際、取材と構想の時間は別にすれば、いざ執筆にかかってから100時間はかかってなかったように思う。取材と構想、ここが大事なんだな。へぇ。

この数日間、僕は全くの不具者であった。とか書くとすぐ言葉狩りにあってひええええってことになっちゃうんだが、いわゆる社会の身体障害者の皆さまが自分なりの生き方というのを見出し自分なりの生き方というのを実行しているのに比べたら、俺はまるで白痴のようであった。とか書くとすぐ言葉狩りにあってひええええってことになっちゃうんだが、もう頭なんかただついてるだけ、お飾りかそれは、という白痴なんて言葉が全く太刀打ちできない、ポンコツ野郎であった。だってみんな、チャーリー・ゴードンはいい奴だったろう。あいつはみんなに愛されてただろう。俺はただ七転八倒して酒をかっ喰らい、稽古場で煮え切らないぐずぐずを繰り返していただけなのだ。害悪である。罪悪である。

しかし執筆とは難しいもので、「みんなごめん」と思っていると全く進まないものである。「オレ天才だしヘイヘーイ」みたいな気持ちを手に入れないと、文字なんて一行も書けたもんじゃない。自己嫌悪や自責の念が同居していると、体はおろか、指が動かない。自分が生ゴミみたいに思えてくる。リサイクルのできない生ゴミに。おかげでここ二週間くらい、大変、社会的にも世間的にも倫理的にも道徳的にも「お前それはないだろう」という重罪を犯し続けていたのだが、ようやくまともに社会復帰できそうだ。

台本が仕上がってないのに俳優は台本の八割以上をもう覚えていて稽古も進んでいる、という謎の状況に戦慄しながら、しかし微調整の微調整が終わって、今俺はとても気持ちが晴れやかだ。台本の小さな直しがこれからもないとは限らないが、背骨が通っているのと、通っていないのとでは、全く意味合いが違う。背骨さえ通っていれば、小さな直しなど気にもならない。がんがんやる。

あぁ。みんなを好きになりたい。すべての人のしもべになりたい。これから先の俺は。こんな俺を見放さずに待ち、稽古し、支え、応援してくれた関与者一同、スペシャルサンクスだよ。全く。ももちゃんがこないだ「うん、面白い」と言ってくれたおかげで、僕は8割くらい立ち直ることができた。それも偶然にも俺が固まってるワンシーンをねちっこく稽古していたら聞けた一言で、あの偶然がなければ未だに文字の砂漠の上を彷徨っていたかもしれない。そう思うと、偶然という名の神様に、僕は死ぬまで感謝し続けなければならない。

そして久しぶりに、泥のような味のする酒ではなくて、まともに酒の味のする酒を飲んでいる。台本の直しが残っている中で飲む酒は、本当に不味い。小便とゲロのミックスジュースのような味がする。ただ酩酊したいがために飲んでいる、麻薬のような、いや麻薬はいいもんだしな、違うわ、あれだ、バリウムみたいな味がする。バリウムなんて飲みたくて飲む奴はいないが、でも患部に病巣があるときには飲まなければならぬ。書いているときの酒は、バリウムのような味がするのだ。

台本さえ俺の手を離れてしまえばこっちのものだ。溜まっているあれこれを、向こう三日ですべて片付けてやる。馬鹿野郎。

あぁ、あの人、この人、みんな元気かな。いろんな人に会いたいな。お芝居も観に行けず、飲みのお誘いなんかすべて断り、再会のチャンスもフイにして、ゲレゲレしていた最近の僕は、もう死んだ。よかった。あいつは死んだ方がいい。ひどい人格欠損者である。

早く寝よう。メールの返事が明日にはどんどん届くと思うよ、みんな! あなた! ××さま!