PLAYNOTE ねこを探す旅

2012年02月25日

ねこを探す旅

2012/02/25 10:59

東京に生きるのら猫であるびわくん七歳は、孤高の猫であるわけだが、彼の生活はいかようなものであるだろうか。

まず彼には朝も昼も、夜もちいとも関係ない。起きたい時に起き、寝たい時に眠り、一日の大半を思索と遊びに費やしている。最近の彼の関心は、現代詩の新たな方向性の模索であり、彼曰く、新形式の追求という二十世紀ポストモダニズムの潮流の先に待っていた袋小路、そこに追い込まれた表現を、再び主題への重心移動を目指すことで救わなければならない。そして彼曰く、この季節はくだものがあまりおいしくないので、ちょっと残念なのだ。

次に彼には、食事の心配というものがからきしない。東京の人間は大変ねこに親切だ。待ってると誰か何かくれるし、ゴミ箱と人間が呼んでいる宝箱があちこちに点在している。つまり彼はあらゆる労働から解放され、生に対する絶対的な自由を受け取ったのだ。

しかし彼が遊び呆けているばかりかと言えばそんなことはなく、彼には彼なりの使命というものがある。それはつまり一言で言えば、人間を見守るということ。人間には悪魔の姿が見えていないのだ、ということに、彼が早くに気づいたことは人類にとって僥倖であった。もちろん彼の有するねこパワーのすべてを持ってしても、悪魔をやっつけるのは並大抵のことではないから、彼はただ見守るだけ。びわくんは七歳になる。

パトロールはいつも夕方から始める。昼間は暑くて暑くてどうにもかなわない。昨日は功名心に追いかけられている若いサラリーマン風の男をずいぶん長く見守ってやった。二十分くらいは見守っていた。もちろん適切に休憩をとることも忘れない彼のことだから、無理をして体を壊すこともない。その若い男がどうなったかは、彼にはちょっとわからない。しかし彼は見守るという使命を果敢にも果たしたのだ。

日が暮れると大抵寝ているが、スーパーの閉店時にはなかなかやんちゃな一面を見せ、中年の女性従業員ににゃあにゃあとまとわりついてやることで、暇を潰すのが常だ。彼女はねこの友達ができたと言って大変に喜び自慢気にあちこち吹聴して回っているが、びわくんにとってはでっかい猫じゃらしと大して変わらない。

彼には友達という友達がいないのだ。それはつまり、生の鎖から自由であるために必要なことである。シンプルに生きること。それがつまり自由への道であると、びわくんは自覚的だ。