PLAYNOTE 新春酔いどれ日記

2012年01月04日

新春酔いどれ日記

2012/01/04 02:01

初春の私は初めての新婚の正月を、離れ離れの妻の実家、這うようにして深夜バス乗り込み、吐くまで呑みつつ酔いどれて過ごしてきた。以下、眠れない帰りの深夜バスでの、ただの日記である。

まだ仕事が残っている。にも関わらず妻の実家へ帰郷など、取り方によっては背信行為だ。しかし大事な娘さんを貰い受けた手前、新婚旅行もクリスマスもすっぽかしている手前、お正月のご挨拶くらい行きたいと思う、それは人間だもの、抑え難い。

鳥取二泊、帰路に京都で一泊し、新婚旅行を分割払いしているような旅だ。まとまって休みをとってワイハへどーん、なんて到底ムリ、お芝居でおまんま食えてるだけ奇跡、俺は麦酒さえ呑めればいい、しかし妻には麦ばかり食わせていては悪いと思う。それも人間。妻の手が書斎を風呂を炊事場を、整えてくれるからこその、私の執筆、私の演出というわけなのだ。

鳥取ではお義母さまのこしらえた年越し蕎麦や叔父様の捌きおったブリ刺しなど頂き、いわゆる親戚同士の挨拶・愛嬌という時間である。あまり自分に向いていないのは確かだが、もう遠い昔、福島の実家、ひいばあちゃんが生きてた頃、一族郎党集まって30人も40人も、ただただ膝を寄せ酒を呑みして過ごしていた幼少期を思い出した。

料理も旨く笑顔も明るく、嘘のように家族らしい一日。ひねくれ者の俺に言わせれば、まぁ、嘘なのである。ただ別れ際にお義母さまの見せた小さな涙、あれこそが数少ない真実だろう。そういうものを積み重ねて、本物の家族になっていく。

なんて殊勝なことを書いてはいても、まぁ、飲んだ飲んだ。日本酒、焼酎、麦酒に酎ハイ。ほぼ酔いどれたままの年越し帰省。これも昔、大して強くもないくせに飲み明かして田舎のコタツで寝転げたまま除夜の鐘を聴いていた、父の姿を思い出した。血は争えない。俗物めいた部分はしっかり遺伝してやがる。

京都では少し豪勢な夕餉を頂いた。と言っても一泊二日で諭吉さん数枚が飛んだ程度だが、ふだん食にこだわりのない自分としては奮発した方である。カモだのハモだのユバだの何だの、2日でまぁいろいろ食い散らかしたものだが、何より野菜がうまかった。丁寧に育てて、丁寧に調理し、味を引き出してやると野菜でもこんなに美味いのだね。野菜なんて食えばいい、食えればいいと思っていたから、衝撃だった。甘いんだよ、本当に。死ね。

夕飯を食いに入った小料理屋の語主人。
「二十代でもうちょっと賢けりゃあ、こんな店なんかやらないで、ビルの一つ二つ持ててたんですけどねぇ」
「みんな、飲んじまいました」
などと冗談めかして笑ながら、丁寧に丁寧に「炊き合わせ」を作る。これでも手抜きだ、玄人さんには叱られる、と謙遜しつつも、俺の舌には味わったことないほど美味い。調理が終わるとカウンターに客と並んで腰掛けて、あそこで飲んだ、昨日も飲んだと常連たちと話に花を咲かせる。ああ、クズだ、こいつ鉄板のクズだ、だから俺はこんなに気持ちよく酔っ払い、だから料理も美味いのだろう。食べ切れなかった釜飯をおにぎりにしてくれて、「朝方なんか、お湯かけてお茶漬けにしてもいけますよ」なんて言ってくれる。いい店だった。

その翌日、昨年一度立ち寄った、京極スタンドなるしみったれた居酒屋、昼から酒飲むダメ人間どもの溜まり場、ダメ〜な空気の充満する人間のゴミ捨て場みたいな酒場に妻を連れ込み、「冷えるから」なんて言って熱燗2人で傾けてたら、バイセクシャルの白髪じじいと世界60ヶ国を股にかけたというプロカメラマンに話し掛けられ、2時間近く話し込んだ。「借金まみれ」というバイのじじいに生酒をビン2本もおごってもらい、インテリジェンスとユーモア溢れる世界派カメラマンのエピソードに酔い、俺もついつい呑み過ぎた。こんな時、苦笑の妻、と思いきや、むしろ楽しむ気丈な妻に安堵する。そのあと湯葉食いに行った。

そして他にもいろいろあったが、ただいま帰りのバス車中。少し眠って頭が晴れた。明日の仕事のことをかんがえよう。きちんと仕事して、またこの鳥取・京都のようなうまい酒を飲まなければならないし、待たせている人、控えている予定も忘れてはいないつもりだ。正月はもう結構。今すぐにでも机に向かいたい。