PLAYNOTE noise #wes2011

2011年12月21日

noise #wes2011

[公演活動] 2011/12/21 01:45

若手演出家サミット2011、中屋敷→奥山→船岩→柴と終わった。あ、WS見学は売り止め出始めましたが、成果発表会はまだごろっと余ってます。クリスマスより演劇しようぜ。だから来て下さい。

雑感など。すげー雑だから細かいこと突っ込まないでね。

現代演劇の最前線、について

すべて管見浅学な僕の私見です。と書いたところで、これもまた要約され、断片化されてしまう運命を逃れ得ないわけだが(次節参照)

中屋敷WSは感覚と反応に関する、楽しくって的確、わかりやすいけど深いという、素晴らしくよくできたWSであった。奥山WSは短編を立ち上げることで奥山雄太という演出家の骨髄を見せる、実際的なプログラム。船岩WSは対話・存在・身体ということについて理論的に攻め個別にダメ出しを進める武闘派WS。そして柴WSは、逆算ではなく加算で「どこまで行けるか」という創作欲求ほとばしる野心的なWSであった。藤田WSは木金なのでまだ見てない。

確かにこれは現代演劇の最前線なのだろう。いろんな意味で。それぞれの「一流」加減を見せつけながら、それぞれのオリジナリティが独走しており、幅広い。しかし世間は広いわけで、若手演出家と目される一流の人間は、あと15人はいるだろう。俺が名前を挙げられるのは3~4人だけど。

それにしてもそれぞれがオリジナル過ぎるという点が、日本の小劇場の面白さでもあり、弱点でもある。独自の手法をそれぞれ磨き上げている、それは素晴らしい、だからこそ多様性が保たれてる。しかし裏を返せばそれぞれが孤軍奮闘であり、演出家同士、俳優同士のコモンセンスがないということでもある。

話が混みいるので、これ以上の切り込みは控えておく。おれ学者でも評論家でもないし。後は任せた!

高度情報化社会と演劇

今回、Twitterアカウント(@playnoteと@2011_wes)でWSの様子をつぶやいているのだが、その伝播のスピードが速過ぎて、逆に恐怖を感じ始めた。最初は「盛り上がってるじゃーん」なんて思ってホクホクしてたが、今はちょっと青ざめつつある。

すげー勢いでRTされていくわけだ。断片が。WSの断片、発言の断片が。今はもちろん、キャッチコピーひとつで、キャッチフレーズひとつで、映画でも音楽でも本でも何でも、売上が二倍も違う世の中であるから、140字のつぶやきが面白がられ、急速に広がるのもわかる。だけどこうして累計20時間もWSに付き合った人間から見ると、たった140字をTwitterで見たくらいで、何も、本当に何も、内容の1%も、伝わっていないということを恐れ出している。

まぁ、名言集とか、売れるんだよね。ジョブズが亡くなった後も、ジョブズ名言集とか飛ぶようにRTされまくったし、引用されまくる。シェイクスピア読んだことなくても、「あなたはどうしてロミオなの」とか「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」は広まっていく。そういう意味で、発言や文章は、発表された時点で断片化を間逃れ得ないのだし、情報が広まるということは誤解が広まるということとほぼ同義であるということも、自分くらいのチンピラ物書きでも理解しているつもりだ。

しかしだな、これはやはり、観に来るべきじゃないかと、観に来て欲しいんだよと、痛切に思うんだな。「新聞は嘘ばっかり書く!」「ワイドショーは上っ面ばっかり報じる!」、だけどTwitterもまた同様に、上っ面の上澄みだけが広く浅く伝播していく。

しかしこの、よく言えば高度情報化社会、悪く言えばペラペラ情報化社会において、このペラペラな器具であるTwitterやSNSを利用することが、どれだけ演劇あるいはアーティストの宣伝周知に影響するか、ということも痛感する。

とにかく断片しか読まれない、ということは悲しい。今回、若手演出家サミットやってみて理解したのは、この5人はどいつもこいつも、きちんと本を読んできた、浴びるほど芝居を観てきた、死ぬほど現場に携わってきた人間ばかりだ、ということだ。ほぼ全員高校演劇を経由していて、全員が中学生から演劇に携わっていて、小学生からって奴もいる。連中は一人として、ウワバミを吸って育ったわけじゃない。大量の影響と参照を経て、今このアトリエ春風舎に集まっている。そのくせオリジナリティというか自身の創作の信念は譲らず固く持っている。そりゃあこいつら、群を抜いて面白いはずだよ、と思う。

演劇って、割とぬるーく始められちゃうし、金さえ払えば劇場も借りれるし、ワークショップ・オーディションに一個でも引っ掛かれば明日から稽古場にも行けるし舞台にも立てる、そしてそういうぬるーい人々を腐るほど見てきたが、面白い人には面白いだけの理由があって、ダメな奴はダメなだけの理由がある、そういうすげー単純なことを、改めて思い直す2日間でもあった。

成果発表会予想

成果発表会は、名前を「成果発表会」としておいて、本当に良かったと思っている。実に混沌とした、動き続ける物に仕上がるだろう。完成品としてブレないもの、パッケージングされたものではなく、目の前で生きているもの、うごめいているもの、変わり続けるもの、成功もあれば失敗もあるもの、演劇作品としては未完成だが演劇体験としては一級のもの、になりそうだ。

疲れた。寝る。とにかく観に来て。