PLAYNOTE 朝焼け、ファイルのアップロード待ち、ぼやく俺

2011年11月23日

朝焼け、ファイルのアップロード待ち、ぼやく俺

[公演活動] 2011/11/23 07:09

日本の問題が公演間近、っつーか、明日には小屋入り。音響の再編集で徹夜して、現在朝日が眩しい午前7時。

先日はひょっとこ乱舞・広田淳一氏をお招きしてのワークショップなぞやっておった。作品に完全に寄与する、パーフェクトなワークショップであった。広田さんと僕とは基本的には些細なことでギャーギャー罵り合ってる仲ですが、こと演劇観に関しては大変周波数が合う。近くて遠い先輩として君臨しつつも、ある意味同世代の演劇仲間よりも友達みたいな感じもある。変な仲である。

この度の『ボレロ、あるいは明るい未来のためのエチュード』は、傍目には実験作と捕らえられるのかもしれないけれど、自分の意識としては正統進化形の一つである。稽古は遅々として進まない。何故ならば一つとして演出家的な決め打ち、フィックスができないからだ。演出家として大変楽しい稽古場であるし、仕上がりが楽しみな作品でもある。

仕上がりが楽しみ、というのは、場当たり・GPを終えてみるまで、いったいどういうミクスチャーになるのかわからんからだ。俺は作戦を伝えるだけで、あとは俳優の自律性にかかっている。最後の出演者である「劇場」がまだ稽古に加わっていないので、さすがに100%の想像はできていない。照明さんがどういう明かり炊いてくるか、ミックスした音響が果たしてどういう効果を持つか、それを確かめるまで作品作りは終わらない。

いつ振りだろうね。二年前の4.48サイコシス以来かもしれない。こんなに「やったことないことやる」という自分の鉄則に忠実である作品は。僕はまだ20代で、演出家としても作家としてもこれからの人間で、それこそ自分の人生に決め打ちしちゃならん時だから、果敢に、前のめりに生きていかねばならぬ。

俳優は大変だろう、オッケーが出ないんだから。「オッケー、今んとこよかった、本番もよろしく」、みたいな作り方が全くできない作品なので、ストレスも溜まるだろう。やりづらいだろう。難しいだろう。迷うだろう。不安に襲われるだろう。時々とても楽しくて、時々とても虚しいだろう。しかしそんな作品だからこそ、個々の俳優の本性がスケスケに見えてくる感じがする。問われているし、見られている。

やはり演劇を作るということと、日本の問題について議論をするということはまるで違う作業だ。こりゃあ公演やっただけじゃあかんぞ、という気がしている。政治活動をする気はさらさらない、あんな無意味なことをやるつもりはちっともないのだが、自分の意図と哲学と背景については、どこかで語る機会を作らねばならんだろう。

今週末から中野ポケットで。演出家として今、こういう作品に取り組めているということ、しかもその作品に必要なだけの堅実にして強力な俳優に囲まれているということ。すべてを嬉しく思う。公演全体のデキに関してはかなり不安もあるのだが、自分は自分の芸術を追求するだけ。自分のエゴと欲求、見たい画に食らいつき続けるだけである。隣人の顔色を気にして演劇をやる、そういう堕落をしないためにも、鉄の意志を持って取り組まねばならぬ。