PLAYNOTE ニワトリ小屋の中で

2011年10月25日

ニワトリ小屋の中で

[雑記・メモ] 2011/10/25 15:39
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ただのニワトリ

ネットで拾った文章が面白かった。ニワトリ小屋と、世界の不可知性、知識の不完全性についての短い寓話。

あるニワトリ小屋で、飼育員が毎日、エサを決まった時間に同じ量だけを与えていた。 飼育員は、非常に几帳面な性格だったらしく、何年間も正確に同じことをしていた。

さて、小屋の中のニワトリたちは、 なぜ、毎日 同じ時間に 同じ量のエサが放り込まれるのか、 その原理や仕組みをまったく想像しようもなかった。

が、とにかく、毎日、決まった時間に同じことがおきるのだ。 いつしか、ニワトリたちは、それが「確実に起きること」だと認識し、 物理法則として理論化しはじめた。

そして、その確実な理論から、関連する法則を次々と導き出していき、 重さや時間の単位も、エサの分配についての経済や政治の理論もすべて、 毎日放り込まれるエサを基準にして行われた。

それは妥当なモノの考え方だ。 だって、それは「確実に起きること」「絶対的な物理法則」なのだから。

しかし、ある日、ヒネクレモノのニワトリがこう言った。

「でも、そんなの、明日も同じことが起きるとは限らないんじゃないの?」

そんなことを言うニワトリは、他のニワトリたちから袋叩きにあう。

「ばぁーか、なに言ってんだよ。いいか? この現象はな、この世界ができてから、ずーっと続いているんだよ。何十代も前のじいさんが書いた歴史書を読んでみろよ。それからな、この現象をもとにして書かれた理論、学術論文をちゃんと読んでみろよ。みんな、矛盾なく成り立っているだろ? それに、実験による確認だって、きちんとされているんだよ! それを何の根拠もなく疑うなんてな。そういう無知から、擬似科学やオカルトが始まるんだ。おまえは、もっと勉強した方がいいぞ」

しかし、ある日、不況の煽りをうけ長年働いた飼育員がリストラとなり、ニワトリへのエサやりは、ズボラなアルバイトの役目となった。次の日、ニワトリたちが、何十代もかけて構築した科学のすべては吹っ飛んだ。

同じくニワトリ小屋の中に暮らしている身としても、この話をせせら笑うことはできない。神学論争に照らしあわせれば、これは神の存在証明に関する議論であるし、心の哲学で言えば、これは意識のハードプロブレムの問題と同じである。つまり、絶対に検証のしようも証明のしようもない。構造の中にいることを余儀なくされる以上、解明のしようがないのだ。

ニワトリ小屋の外から見れば一発じゃん、と、そんなはずがない。我々はこの3次元空間から抜け出すことはできない。3次元空間に寝起きしている我々は、4次元空間を辛うじて想像することはできるが、11次元空間ともなればもうもはやちんぷんかんぷん、推論の域を出ない。

あんまり壮大な話にしなくてもいい。俺はこのニワトリのような気分で生きている。今、遠く離れたあの場所で、例えば彼は一体何を考えているだろうか。米を研いでいるだろうか、誰かを殺しているだろうか、そもそも存在しているだろうか。フスマ一枚隔てた先で、一体何が起きているかわからない。いや、起きてないに決まってるじゃん、そんな簡単な反論をしないでくれ。可能性を考える力を失えば、人生、ちょっと、つまんないぜ。

ある日、我々の飼育係が、「やーめた」っつって物理学の四つの力のうち一個やめちゃった、というだけで、たぶん炊飯器どころか地球が爆発するレベルで大混乱が起きるだろうし、相対性理論どころかニュートン物理学も破綻する。飼育係はどこにいるんだ? 永遠に我々は檻の外に出られないのか?

ゲーデルの不完全性定理を持ち出すまでもなく、知や探求の限界はある。そこに何だか俺はずっともやもやしている。わからないことがあるまま死ぬのは嫌だな。