PLAYNOTE ある平和な夜の心象風景

2011年10月15日

ある平和な夜の心象風景

[雑記・メモ] 2011/10/15 00:15

ポール・マッカートニー、再婚おめでとう。てめぇいつまで女の尻追いかけ続けやがるんだ。いいぞどんどんやれ。

目前に山積みの書類を見て、だがしかし心は折れず、ちゃらんぽらんに、奇跡と閃きを信じて地道な努力を重ねている。芋焼酎がうまいし今日は夕方に食べたハムカツが死ぬほどうまかった。

朝七時から仕事していたんだから、もう何もかも忘れて眠るべきなんだ。夢想する力、あるいは未来を描く力、それは前頭葉の発達した人間にだけ可能にされた天啓である。

シャンパンの栓が景気の良い Pong! の音を響かせる。銀色に輝く静かな部屋への憧れが頭の中をぶらぶら彷徨う。そのどちらもに、俺は筆舌し難い欲望を感じている。散歩をしていると俺の頭は麻痺してくる。目の前の風景に吸い込まれて稚児のように鈍くなる。ただただうっとりする、言葉を失う、冷たい朝の空気に痺れてしまう。

人間の進化の歴史を思い起こす。まずは地形変動があった。森林地帯が山脈隆起の影響で草原となり、サルは樹上生活から二足歩行へと淘汰された。結果として咽頭・喉頭が下に下がり、複雑怪奇な筋肉のコントロールをせねば咀嚼一つで窒息する不自由な身体を手に入れた。だがしかしそのおかげで脳は発達し、かつ呼気と響きを自由に扱う器用な喉を手に入れることができ、結果、人間は言語能力を得た。言語能力を得たということはすべての始まりである。ソシュールは、名付けという行為の中に、人間の抽象的思考の萌芽を見た。確かにその通りである。人間を人間たらしめたのは、二足歩行によって自由になった両手による道具の開発と、それによって引き起こされた脳地図の開拓ではない、それはむしろ傍流であり、本流は、言語能力の獲得により得られた抽象的思考脳力である。抽象思考は人間にしかできない芸当だ。チンパンジーは単純な言語を習得しうることが確認されているが、それはあくまで一対一の即応的なサインである。抽象と捨象、すなわちグルーピングによる概念的な思考が可能になったことこそ、人類文化の発展に最も寄与したところである。言語は二つの意味で偉大であった。人間の脳を拡張した。そして、遺伝子以外で、子々孫々に情報を伝える脳力を獲得した。言語、それが人間の歴史に、人間の本質に対しかように巨大な影響力を振るっていたということを知ることは、文筆家にとって凄まじい幸いである。

お前は死ね。

この酷い乱筆乱文にすら書き込めない暗い回想が俺の頭にぐるぐる回る。いつまでこれは続くのか? たぶん死ぬまで続くのだろう。それはそれで構わない。曇天の中に光彩を見出し、濁流の中に跳ねる魚の銀の色を見出すくらいには、俺の人生は回復した。失われた手足はいつまでの脳地図の中に痕跡を残す。しかし新たな可塑性の中に、俺は生存のきらめきを見出すこともできる。ざまあみろのせせら笑い、後ろ足で砂を引っ掛けるごとき惰弱な反抗、でも視界の端を飛び交う羽虫には気を取られる。それが二十代も後半を迎えた男の宿命ということだろう。

ただ芸術および文学およびロックンロールだけに価値がある。今日俺は一体何度寝返りを打つだろうか? しかしそれでも恒たるものがあるだろう。オレンジ色の輝きに疑いの余地を差し挟む必然がない。このまま死にたい。このまま順調に、愛と献身にこの身を捧げて、明日も原稿に向かいたい。金子きんすに救われる人生などないのだ。政治に救われる人間などいないのだ。経済に導かれる光などないのだ。

ガラス製のパソコンデスクの上には、乱雑に読みかけの本と書類が散逸している。これがつまり、今の俺の代数幾何学だ。