PLAYNOTE 仙台、福島、そして新潟

2011年10月08日

仙台、福島、そして新潟

[お出かけ・旅行] 2011/10/08 01:16
「私たちは負けない!」、仙台駅前、クリスロード商店街。

火水木→仙台、福島、そして新潟。強行スケジュールにて東北~北陸つらぬいて、それぞれ別の目的で行脚してきた。仙台では演劇人同士の交流を、福島では親戚詣で、新潟は来年の下見。

仙台 10/4

時は10月4日12時〜、場所は仙台。お招き頂くのは Art Revival Connection TOHOKU(通称ARC>T=あるくと)※東北復興に向けてネットワークされた舞台人達の集まりです。

「芋煮」を食しながら、酒を呑む。芝居の話もちょっとしつつ・・・。あれやこれやこんなご時世ですが、まずは会って話して呑んで仲良くなる。それが目的です。

ARC>T主催「芋煮会」at10-BOX・StageDoctor告知より

ゴーチ・ブラザーズ伊藤社長からのお招きもあり、ARC>Tの鈴木拓さんとは先月知己を頂いていたこともあり、ずけずけと参加してきた。ARC>Tや10-BOX関係者、仙台・東北演劇人や、東京からは長塚さんケラさん河原リーダー、ほかぞろぞろとビッグネームが参加して賑々しく芋煮会。

「まずは会って話して呑んで仲良くなる」、その通り、ちっとも堅苦しい会ではなかった。と言うよりは、「こんなにユルくていいの?」ってくらいへろへろとした会であった。おかげでとてもたくさん、いろんな人と話すことができた。

仙台は街並みや店々、演劇人たちの心持ちも含めて、誇り高き街だった。地方だから、と卑下することなく、震災があったから、と項垂れるわけでもなく、この街に生きることについてキワキワに前向きな街だった。東京とちょうどいい距離感を持っている都市だからこそ、文化的にも経済的にも何か独立した矜持を持ち続けることができれば、きらきら輝く街でい続けることができるんじゃないかしら。

いい思い出しか残っていない。飲み過ぎてきっと誰かに迷惑かけたな、記憶ねーけど、と、そこだけが悔やまれる。

福島 10/5

須賀川の老人ホームにいるばーちゃんと六年ぶりの再会。ばーちゃんは足が萎えちまってもう家にはいられない。だけどびっくりするほど元気だった。「みんな年とっちまって、困ったもんだ」。同じ台詞を何度も言っていた。俺は今年で29だし、お袋は今年で60だ。じーちゃんが亡くなったのはもう6年半前だ。

ばーちゃんは元気そうだった。俺がこうして無理矢理にも帰省を予定に繰り込んだのは、正直に書こう、ばーちゃんもいつ亡くなるかわからないぞ、またじーちゃんのときみたく、顔見る前に死んじゃうかもしれないぞ、と思ってのことだ。「この人もいつ死ぬかわからない」、そんな自覚を持ちながら、ばーちゃんと話をする。元気でよかった、また来っから、ばいばい。これからも会うたびにその言葉を繰り返していくのだろう。

じーさまが生きていたら、賢一の結婚も喜んだろうになぁ。そう言ってもらえて、とても嬉しかった。

くみこおばさんとえいたくん! 毎時0.3マイクロシーベルト!だそうです。けんちん汁うまい(>_<) ガイガーカウンターその2 えいたくんも一緒

その後、郡山市内に住む親戚の家へ。母の兄夫婦が住んでいる。久美子おばさんは放射能について在野の博士みたいになっていて、小一時間、放射能の性質と郡山市の現状、行政の不甲斐なさと腐敗について喋りまくっていた。

彼女の膝の上にはえいたくんという2歳にもならない子供がいた。久美子おばさんの孫息子だそうで、水道水を飲ませたり福島県産の野菜を食わせたりする保育所にはとても預けられないからと、娘夫婦から預っているらしい。

出されたけんちん汁と焼き魚の昼餉をおいしく頂いた。俺はもう29歳だし大丈夫、そう思ったし、顔色一つ変えずに食べなければ失礼だとも思った。しかし後ほど、野菜や魚はすべて生協を通して買った県外産のもの、調理に使う水もすべてペットボトルに入った海外のミネラルウォーターだということを告げられた。

「次は除染ね」と言いつつも、「そうは言っても、こんなに広いとねぇ……」とその不可能性については周知し、だからこそ内部被曝に気をつけ、ガイガーカウンターを持ち歩き、夫婦ともに帰宅すると真っ先にシャワーを浴びる。えいたくんは絶対に表では遊ばせない。娘夫婦も転職と引越を考えてはいるようだが、もちろんすぐにとはいかない。郡山市は東電の補償区域内ではないし、転居に補助金が出るわけでもない。「ある意味では、郡山市は最悪」なのだという。「補償もないし、安全でもない。もうちょっと近くても遠くても、よかったんだけれど」。

先日、ベラルーシのサマショール(チェルノブイリ事故以降も放射能汚染地域に住み続ける人々)の芝居をやったばかりの俺である。ベラルーシのサマショールは、無知と頑固と郷愁にからめとられて、あの土地を離れずにいた。福島のサマショールは、知識もあり、柔軟さもあり、郷愁なんてとうに捨てた、しかしそれでも移住はしない。人は枠組みには逆らえないのだろうか。

2chなら「つーか早く移住しろよwww」なんて書き込まれてオシマイのケースだろうけど、眼前に実存する人に対して「一刻も早く移住を! 一刻も早く!」とは、言えない。転居転職書類手続きに関して、俺は何の責任もとれない。

新潟 10/6

信濃川! カラフルぞうさんとさおりん へぎそば!

一足先に新潟入りしていた妻と合流し、新潟視察。ついでに絵本の展覧会がやってる美術館なんかにも行った。

ホスト役の岡田さんはとにかくアツい男であり、新潟演劇よ盛り上がれと東奔西走・八面六臂に活動中で、実に信頼できる人であった。来年3月にりゅーとぴあ演劇祭に呼ばれているから下見に行ったというわけさ。去年は柿喰う客がスタジオBというところで公演をしたらしいが、今年のDULL-COLORED POPは主劇場へ誘われており、あまりのでかさ、資料に目を通していたとは言え、びびる。

ryu-topia-main-hall.jpg
ここでやる

さーてどうしたもんだろうか。

夜は地元演劇人たちとしこたま飲酒し、罵詈雑言を吐き続ける俺。どうしてああなったのか、細かな経緯は覚えてないけど、一つだけ言えるのは、俺は言い訳をすること自体が大嫌いなんだ。新潟の苦境もわかる。団体の難しさもわかる。だけど若手が言い訳をすることから始めちゃあ、どこにも行けないのは目に見えてる。

ホスト岡田さんの案内能力に舌を巻きつつ、下見の後は新潟料理に舌鼓を打ち、結局のところ「超いいとこじゃん」ってことで収束する。新潟市へ行く人は、この店、絶対行くといいよ。「なめろう! なめろう!」って、妻と二人で大はしゃぎであった。

その他

郡山市と新潟・新津地区で、シャッター街を目にして、胸がぐらぐらした。これについては、今は書かないでおく。

コメント

投稿者:kyoko (2011年10月10日 23:09)

チェルノブイリの事故が起こったとき、私は中学生で
「えらい事故が起こってしまったな・・・」とは思ったのですが
でも大丈夫、日本の原発はこんな事故起こさない、と
なんの根拠もない愚かな自信を持っていました。

でも今回のことで、やはり原発は安全ではないんだということがわかってしまい、なんの罪もない人々に悪影響が及んでいるこの状況では、脱原発に動き出すべきだと思います。

原発のおかげで潤っている町もあるし、原発があるからこそ生活できている人々もいるので、今すぐに、すべてを、というのは無理かもしれませんが・・・