PLAYNOTE 夏を終わらせるための日記

2011年09月30日

夏を終わらせるための日記

[雑記・メモ] 2011/09/30 23:51

先週鳥取、今週京都、来週仙台・福島・新潟と、この数週間は旅また旅の繰り返しだ。

今日は京都に来た。体調最悪でなかなか無念な初日であったし、現場がハネてもこの年末や来年へ向けて宿題がたくさんあるから、京の都をぶらり探索とは行かず、パソコンばかり叩いている。

それでも悠久の古都は優しい。コンビニへ向かう曲がり角にも、うっすら気品の匂い立ち上る感じのすることのある。何かが住んでいる感じがするけど、たぶん何も住んでない。俺が勝手に妄想しているだけだ。でもだからこそ、妄想なり信仰なりというものは美しい。無意味に意味を与えることで、我々はニヒリズムの蛇をぎりぎり噛み殺して生きている。

四条烏丸におります。つい数時間前まで、「しじょうからすま」と読んでいました。その程度の京都好きです。

* * *

晩飯はホテルの近所で、何だっけ、つけそばというものを食った。つけ麺のそば版なのだろう。食べログで3.55点というハイスコア&ホテルから徒歩5分という距離だったので迷わず足を運び、ずるずると趣もなくつけそばくんをかっこんだが、実にうまかった。

せいぜい800円くらいのつけ麺を出してる店なのに、純和風の割烹みたいな店構えで雰囲気もよく、店員さんも気持ちのいい人たちばかりであった。

味も抜群。もつの入った、モツつけそば? みたいなのを食べたんだけど、並のモツ鍋屋で食うよりモツがうまく、しかもさっぱりした後味であった。東京にあったら通っちゃう。1,000円でも行くな。

さぁそれ以外はナッシングスペシャル起こってない。起こす気もない。五年前、京都に来たときには、朝の六時に清水寺の朝日を見て、それから一日で二十軒くらい寺社仏閣を回ったものだが、そんな元気もでないというわけでなく、一番面白いものは自分の内部、内側、奥深くに眠っていると、もうとっくにわかっているからだ。もっと奥深く掘り起こしたい。

* * *

気づけばもう9月が終わった。走り去るような9月であった。何もやった気がしないまま終わったが、眼に見えない形でいろんな物事が動いている。翻訳も一本仕上げたし、もう一本も完成間近だ。プロットも立った。後は書くだけ、という原稿も、机の上で俺を待っている。身の回りの整理もしたし、新しい冒険も始めている。出会いもあり別れもあり、めまぐるしい。まだ俺は夏を走っていた。夏の続きを走っていた。

車窓の外を見ないまま長く電車に乗っていると、例えば東京から京都、移動したのがわからないくらいの錯覚がある。だから時々、窓の外を見なくちゃいけない。気づいたら俺は夏だった、ならぬ、気づいたら俺は秋だった。時間なんてそれくらい曖昧でぐうたらなものだ。意識しなけりゃ流れてるかどうかさえわからない。

あと、転ぶのが上手くなったと思う。ざまぁみろ、これが経験という奴さ。自伝を書く日が楽しみだぜ。ただ、まだ踵の辺りがそわそわする、それだけは正直に告白する。

* * *

他には特に言いたいことはない。またね。

コメント

投稿者:kyoko (2011年10月01日 13:05)

歳を取るにつれ、時間の経過が速くなり
今は曜日感覚どころか、月感覚がなくなることがあります。

あれ?この夏私何したっけ?今年何したっけ?って思うことも
少なからずあります。

谷さんのように日々感じたことやこの夏の総括をブログに綴ることは、過ごした時間の意味を整理することにとても有効なのだな、と感じました。

投稿者:谷 (2011年10月01日 13:37)

いつもコメントありがとうございます。ブログは何より未来の自分に発信している、なんて言うくらいで、僕もほとんど自分の整理のために書いてますね。確かに有効!