PLAYNOTE 隙間に落っこちる

2010年09月13日

隙間に落っこちる

[雑記・メモ] 2010/09/13 04:29

今日は外出と言っても、演劇ぶっくの取材(11月発売の12月号に載ります)と旧友との語らいに赴いたくらいで、移動中も帰宅後もひたすら仕事のことばかり考えていたのだが、ちょっとした事から過去の隙間に落っこちそうになって冷や汗をかいた。マイナス一年エントリー。

というのも、ちょっと必要な写真が知人のmixiアルバムにあるというので珍しくmixiなんか開いてみたら、もう3年は会ってない友人が誕生日だとかで、思わずそこをクリック。さらに表示された名前を、まぁもう時効だよなとか思いつつ検索かけたら、過去の悩ましい思い出がぶわっと背筋に蘇ってきて一瞬で冷や汗をかき、なんつーかこれは一種のPTSDだなとか思ったついさっき。

何でも今日は満月らしいですけれど、そんなもの一つも堪能せず、ただ帰宅したら妻が買ってきたというコンビニのおだんごを見て「へぇ」と思ったくらいで、夜食にゆうべの鍋の残り汁で作った雑炊を食ったらこれがまたえらくおいしく、だがしかしPTSD的冷や汗をかきつつ過去と未来に思いを馳せている自分は、なんとまぁ醜悪で奇妙な生物なのだろうと思った次第だ。

今はざっと数えれば7本くらいのプロジェクトが頭の中でぐるぐるしていて、もちろん1つずつやっつけているから気が散っているわけではないのだけれど、つまり1ヶ月先の未来と2年先の未来と、もっと言えばさらにさらに先の未来と、ひたすら未来に生きながら、そんな最中に旧友のことやら旧知のことやら思い返して、人間の記憶の不可解さに思いを馳せたわけだ。わけである。

最近、今度やるお芝居のプロットを考えていて、脳科学の本を数冊読んだんだが、読めば読むほど話が脇道にそれていく。僕は今、とても曖昧な場所に立っている。立ち位置の問題ではなく、自分の存在の確かさについて、よくわからなくなっている。モリー・スウィーニーでもCaesiumberry Jamでも、ある意味では確かな現実と主観的な真実との間でふらふらしている自己、みたいなものを描こうとしていて、それは如実に自分の現在を反映しているのだろう。知るかボケ。自己分析とか気持ち悪いわ。

ほら見ろ話が脇道にそれた。つまり、脳について知見を蓄えれば蓄えるほど、

  • 自由意志は存在しない
  • 意識は随伴現象に過ぎず、とりたてて意味はない
  • 脳を決定論的に捉えることへの反論として、量子脳理論というもんがあるが、ピントがずれてて目下のところ反論になっていない

とまぁ、自由意志なんていう語りつくされた問題について考えてしまう。違う、違うんだな、そこじゃないんだ。今、ここで、呼吸をし、煙草の煙を吸い込み、まずいコーヒーを飲んでいる俺、その俺が感じているぼんやりとした不安について書きたい、現実における足場の不確かさについて考えたいのに、どんどん話が脇道にそれていく。

足場の不確かさ、と言ってもそれは、経済的、あるいは人生的な意味での不確かさではない。つい先日、親しい友人であるところの俳優K氏が逮捕されて大騒ぎになった。罪を憎んで人を憎まず。だから事件のことはどうでもいい。だがな、ガヤどもがな、「やっぱり俳優は大変なんだね」なんて書いてるのを見ると、それは違うだろと思うわけだ。K氏はいい俳優であったし、これからもっといい俳優になるだろう。だけどそこで一般論にしないで頂きたい。きちんと俳優業で自活できている若者だっている。演劇界の枠組みは、やはりどうしても不自然かつ不条理で、とても整備されているとは言い難いが、我々は自分でこの道を選びとったわけだからエクスキューズなんかカッコ悪い。そして、経済的な不確かさが彼をあの犯罪に導いたと考えるのは早計に過ぎる。もっとややこしい、水面下の物事がたくさんあって、それを俺は知らない。お前も知らないだろう。批判するなというのではなくて、いやどんどん批判してくれ、社会的制裁はやっぱり必要なんだ、でも違うのはつまり、わかった気がして上から偉そうに物を言うことの危なっかしさに俺はただ悲しくなる。

足場の不確かさの話だったはずなのに、ほら見ろ、話が脇道にそれていく。俺の話は最近ずっと脇道にそれてばかりだ。俺が思うに、きちんと吐き出していないからこういうことになるのだろう。作品でだけ吐き出していては、この不確かな霧は晴れないんだろう。

目の前に置いてあるこのまずいコーヒーカップの実在性、それは疑いようがないし、他も概ね見ている通りの世界なんだろうが、どっかに俺の盲点があって、あるいは錯視錯覚があって、あるいは人の誤解や嘘があって、俺は騙されながら生きているわけだ。もちろんもう騙されて泣くほど傷つく年でもないし、騙されて恨み節を唱えながら天に向かって唾を吐くような若さではない。俺は27歳を生き延びたのだから、これからは生き延びる苦役を十二分に味わいたいわけだ。

だから言いたいことは、ただ単に、もっと確かな真実という奴をこの目にしたいということだけだ。目玉は2つも要らないと思う。1つで十分だ。

この時点で俺はいくつか誤った記述をしている。俺はただ、冷や汗を止めたくて、何かを書き始めただけではなかったか。いろんな賭けに勝って今ここを生きていて、来年も再来年も楽しみで仕方がない。ただ、過去の隙間にだけは落っこちたくない、それだけだ。未来では勝ち続けるだろう。だが過去では負け続ける。