PLAYNOTE 型から入りて内実に迫る

2011年08月20日

型から入りて内実に迫る

[演劇メモ] 2011/08/20 00:16

今、ある俳優の稽古につきあっていて、改めて考えたこと。芸術は模倣から始まる。型から入って心、真理、内実に迫る。今、ある映像を見ながら物真似している俳優がそこにいるのだが、型から入ることで心を動かし、涙を流している。それは少しでも内実を共有したということなのだ。

Caesiumberry Jamが明日から本番という段階なので、いろいろと忙しい。ほとんど寝れてない。だからこそ、優先順位の高いところから手をつける。まずは幕を開ける準備。次に俳優だ。

今日の場当たりでミザンスも段取りもついたんだが、そんなものは演劇ではない。俳優が見えないものを見えるようにし、聴こえないものを聴こえるようにし、忘れかけたものを思い出させる、そこに演劇が生まれる。

っつーわけで、ある俳優と自主稽古をしており、じゃあ参考になる映画を見ろよということで一緒に観ていたんだが、そこで物真似をさせている。観てみて「なるほどー、うまいなー」では俳優が映画を観る意味は少ない。その役が自分に振られたら、同じことができるか。同じ演出をされたら、同じ演技を要求されたら、それがやれるか。そうでなければ、それ以上のことが自分にやれるか。そうやって観なければ、参考映画なんか観る意味ない。

僕も演劇を初めて15年になろうという人間なので、人生で数々の「たいしたもんだ」って俳優とご一緒してきた。友人付き合いがあったり、恋人付き合いがあったりして、一緒に映画を見たりビデオを見たり芝居を見たりしたことがある。で、「たいしたもんだ」って俳優は、映画や演劇を見ながら、その場で手先や表情を動かしている場合が多々あるんだな。それはつまり、観ながら、自分にそれがやれるだろうか、自分ならどうやるだろうか、そういう稽古をしているということなのだ。

こういう勉強方法を覚えた俳優は、そりゃあ強いよな。CM観てても、TVドラマ観てても、あるいは駅のホームの喧嘩を見てても、稽古になるんだから。

よく「人間観察」なんて言うけど、人間観察は作家には必要かもしれないけど、俳優に必要なのは人間模倣ではないだろうか。

型を真似る。真似ているうちに心や内実、真実に至る。歌舞伎でもダンスでも楽器でも同じ事を、俳優もやるべきなのだ。

なんて悠長なことを本番前日に考えているというのは、それはある意味では余裕なのだ。今回の芝居は、俳優の演技にさえ内実・中核があれば、必ず、必ず面白くなる。その準備は整ったので、あとはどれだけいいコンディションで俳優を板に乗せるか。そこが俺の仕事だ。

本当はアクティングコーチの仕事なんだけどね。いやもっと言えば、本当は俳優自身が、自分で自分に課すべき仕事なんだけどね。でも俺はいいもん作るためなら何でもやっから。今は映像より照明より美術より、そこが一番本番に影響すっから。

そんな稽古が、いい結果につながりますように。Caesiumberry Jam、2011/8/20(土)~8/28(日)@池袋シアターグリーンBox in Boxです。