PLAYNOTE イタリア、読書、観劇、日常の日記

2011年07月18日

イタリア、読書、観劇、日常の日記

[雑記・メモ] 2011/07/18 00:50

急激な気候の変化にくらくらしながら、待ち受けていた怪物や関門を一つ一つ切り抜けて、東京の焼けたアスファルトをとぼとぼ歩く毎日。今日は僕、明日は私、合間合間に俺、自分、こっち。分断されてしまった自分を一つ一つ繋げ合わせつつ、今年のビッグイベント、結婚式と活動再開公演について頭のフォーカスを合わせていく。

あんまり過去を振り返ることに意味を感じてはいないのだが、だがしかし日記を。

イタリア

イタリアには何もなかった。史跡と古い建築とうまいハムとチーズがあるだけで、僕に必要なものは何もなかった。

久々の海外に浮かれもしなければ落ち込みもしない。世田谷にいる、池袋にいる、杉並区にいる、それと大して変わらんかった。きゃいきゃいとはしゃいで生きる20代も終わりってことかな。

青年団の人々とほぼ初めての交流を結びつつ、しかし単独行動をすることに異常な意義を見出した12日間であった。演劇をやってると、どう人と出会うか、繋がるか、繋ぎ止めるか、それこそ正義とばかりにわいわい大騒ぎして生きてしまうが、作家にとって必要なのは、一人ぼっちになる時間なのだ。今は家にまだ入籍していないが妻がいて、家に帰っても寂しくもないし苦しくもない。むしろ家に帰ると、柔らかいクッションの上に座ったときのように心がほっとして、身体がへにゃへにゃになる。稽古場という戦闘領域と自宅という心くつろぐ場所、それ以外に、何もない場所というのが欲しい。作家が仕事部屋を持つ気持ちがよくわかった。それで今俺は、居心地のいい自室のデスクを抜け出して、ソファやカップやフライパンが置いてあるリビングでパソコンを叩いている。

イタリアについて話を戻そう。

サンタルカンジェロの国際演劇フェスティバルにリヴィング・シアターが来ていた。驚いた。

 サンタルカンジェロ・テアトロ・フェスティバルにて、リヴィング・シアター? の公演を観た。イタリア出身の座組で、普段はアメリカで公演をしてるんだが、今回はイタリアに戻ってきてやるんだとか。

 小さなオペラ座みたいな、可愛らしいんだけど豪奢な劇場。床が真っ白。何かと思ったら、床面全部が白いダンボールで覆われている。

 モヒカン頭で長身痩躯、体脂肪率推定2%くらいの女性がタンクトップ姿で出て来て、何やらイタリア語で話し始める。当然、全くわからない。やがて真っ黒い服を着た御年85歳という女性が出てきて、二人で話を始める。

 そっけない日常的な身体から劇的な身体への変化。想像力の飛躍。革命。現前生の軌跡。肉体という魔術的特殊効果。存在感。

当時の素っ気ない日記より。俺の演劇観を一つ引き上げる作品であった。詳しくは書けない。

Ulla von Brandenburg
http://www.youtube.com/watch?v=FworThFKgJI&feature=related
Hans Rosenström
http://hansrosenstrom.net/mikado-video/
Living Theatre/Judith Malina

読書

イタリアツアー中、待ち時間に辟易して、iPhoneや文庫本であれこれ読んだ。最初はDULL-COLORED POP次回公演『Caesiumberry Jam』の資料を読んでいたんだけど、持って行ける資料はすぐ読み終えてしまったし。

夏目漱石『行人』。俺の妻は弟に惚れているんじゃないか、と猜疑心に駆られた男が、妻と弟を試すために二人で旅行へ行って来いと差し向ける。なんて世話物な話から始まって、最後には「神とはなんぞや」という問い、孤独の極北、鋭敏過ぎた知性がもたらした娑婆苦的地獄の描写に終わる。昼ドラに始まって芥川龍之介に終わる、みたいな。芥川龍之介の『私は良心を持っていない、私の持っているのは神経ばかりだ』という言葉を強烈に思い出す。怜悧過ぎる知性がもたらす悲劇、なんてテーマは芥川の専売特許だと思っていたんだけど。相変わらず話の運び方といい描写力といい、うますぎる。本当に文章がうまい人って、俺はやっぱりこの人をおいていないんだなぁと思っちまう。

夏目漱石『坊っちゃん』。こんなん読んだのいつぶりだよ。そして一気読み。痛快痛快。長めの落語を聞いてるような感じでするする頭に入っていく。この主人公に改めて惚れた。今、こういう人間いないよな。親譲りの無鉄砲で……、の部分ではなく、損得考えず、義理人情道理道義で動く奴。どこだか忘れたが、そんな非道なことして金をもらうくらいならもらわん方がいい、牛乳配達でも何でもやって生きていける、その方がよほど清々しい、そんな感じの描写があって、はっとした。

アガサ・クリスティ『春にして君を離れ』。これも10年ぶりくらいの再読。一気読み。汽車旅行で足止めを食った初老の女性が人生を振り返ると、……ヘビやトカゲが出てくる。これ以上は、読んで把握して欲しいんだけど、名作はやはり色あせないのだな。感動しっぱなし。

『鴨川ホルモー』。なぜかオリザさんにもらった。あんまり面白くなかった。ラノベみたいだった。

日常や観劇

阿佐ヶ谷スパイダース『荒野に立つ』を観た。観終わった後の方がきちんと観れている感じのする、心地良い違和感の作品だった。演出、舞台美術、照明が俺にとって理想的過ぎて頭がくらくらした。

待ってましたの打ち合わせやらミーティングやら何やらかやら。俺の来年はどうなるのだろう。水面下での動きが多すぎてよくわからない。変な渦の中にいるのはよくわかっているし、慎重にもなっているけれど、あんまり危機感は感じていない。危機感を感じるところがあるとすれば、自分自身のことである。

11月に参加する『日本の問題』という企画公演のオーディションをやってきた。120名超がエントリーする異常なオーディションであった。120名を観た後に、8人の演出家が俳優の奪い合いをやっていて、面白かった。こんなこと書くと松枝さんにビンタされるかもしれないけど、俺はこれで日本を変えようとは思っていない。いい作品を作りたいだけだ。方法論の実験になると思うが、それは先立ってイタリアで出会ったリヴィング・シアターの強烈な印象によるものだ。

親父とお袋に会ってきた。親戚付合いは面倒くさい。顔を合わせて話せればすべてが解決するんだが、顔を合わせるというコストの高さ。分断されても生きていけるようにデザインされた現代において、出会うことのコストの高さを再認識する。

最大の関心事である自分の創作のことについては、また改めて書く。

コメント

投稿者:search engine optimization vancouver (2012年01月13日 07:49)

一緒にこの特定の主題の材料全体の開発しているように見えるどんな小さなことで、意見のかなりの割合が非常に刺激的であることが起こる。一方、私は申し訳ありませんが、私はあなたの全体の提案を購読することはできません、すべて以下に刺激noneです。それはあなたの意見は完全に正当化されないし、単純な事実で、アサーションの実際に完全に自信を持ってあなたの自己ではないことを私たちに表示されます。いずれの場合でも、私はそれを見て感謝でした。