PLAYNOTE 犬花雑感日記

2011年04月23日

犬花雑感日記

[公演活動] 2011/04/23 02:35

カナリア派、二日目を終えた。強烈な個性を誇る演出家・赤澤ムックが引っ張ってきた団体を、別の演出家がやるというのだから、番外公演もいいとこである。しかも2人の演出家、2バージョンの演出によるものだ。必然的に、演出とは何か、という問いに行き着く公演である。まぁ両方見た人にとって、だけど。

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人生は砂糖菓子のようなものよ、とか、恋愛とは航海のようなものだ、とか、比喩はすべて強烈であればあるほど単純化が行き過ぎて、誤解や誤読を招くことになる。だから、「演出とは~~である」なんてひとつの言葉にすがって演出をしている限り、いい演出はできないだろう。

俺が今回やっているのは、エゴを全面にガリガリ押し出すもの、というよりは、状況や作品に奉仕しているような印象が強い。与えられた脚本と劇場、出演者、スタッフの組み合わせから、自分が愛せる最適解を目指してパズルを解き続ける。当然その中で、自分の志向性は出てくるけれど、神さまのような演出とはちょっと違っている。

しかし俺は台本を裏切る演出が正しいとは思わないし、自分のカラーを無理に出そうとも思っていない。でもでも、自分のカラーなんてものは、意識してないところにこそ一番強く出るものだ。ちょっとした間の取り方や、ちょっとした段取り、ちょっとした音や照明の使い方にこそ、自分でも気づいていない、自分らしさが出てくるものだ。

そういう意味では、中盤辺りの間の使い方は、自分らしくて好きである。女や犬といったキーワードに対するスタンスも自分らしい。女は嫌い。犬は素敵。しかし人間は女に憧れ、よだれを垂らし、犬を見下して、尻尾を切り落とそうとする。そこも含めて肯定したい。

結局、女に尻尾をふるような生き方こそ、一番素敵な生き方なのだ。わんわんわん!

逆説めいて聞こえるだろうけど、逆説として書いているのだから、仕方がない。冒頭に書いたように、「〇〇こそ××」なんて書き方もまた、単純化が過ぎて、危険なものなのだ。