PLAYNOTE つられて稽古する

2011年04月21日

つられて稽古する

[公演活動] 2011/04/21 00:55

体がバキバキ悲鳴を上げており、精神も摩耗の限りを尽くしているのだが、ちょっくら追加稽古をして逆にさっぱりして帰宅する。焼酎を飲む。ビールよりウイスキーより身体に良いと信じて。

6時に場当たり終了して、7時から1時間、カナリア派花編の稽古を見る。目玉が洗われる感じ。牛嶋みさを氏の演出はキレキレであった。ヴィジョンが明確であるし、表現のエッジが立っている。これ初見でわかんの? という不安がよぎった瞬間、いやいや、わかんなくたっていいじゃない、演劇なんだから、スリリングで美しい時間が流れていれば、十分なんだ、そんなことを感じた。一年半前に上演した、4.48サイコシスの翻案、『心が目を覚ます瞬間』を強く思い出した。先輩俳優らの醸し出す色気のある居住まいにもうっとり。まるで別作品に仕上がっているというのは、ちっとも誇大広告ではなかった。

その後、井上みなみ嬢と追加稽古@カラオケ屋。この年になってカラオケ稽古か、とぼやく心は照れ隠しで、楽しい時間であった。

普段から自分は「稽古なんて全然好きじゃない」と言い続けているし、実際、稽古は手段であって目的ではないのだから、やらずに済むならやりたくないと思っている。とは言え、貪欲な視線を見つけたり、煮沸する魂を感じたときにやる稽古は、楽しくなってしまう。今日、カラオケ屋で過ごした一時間半は、密で真摯で実に楽しかった。当然のごとく、一曲も歌わず、90分ただずっと台詞とダメ出しを言い続けてカラオケ館を出た。

しかし人生に無尽蔵なものなどない。時間も金も物資も人材も、限られているのが人生だし、演劇だ。配られたカードで勝負するしかないのさ、と、スヌーピーが言っていたが、その通り。俺は、初日があけるまででの稽古・準備に使える十時間弱という時間と、今手のひらの上に乗っているカードとダイスで勝負をするしかない。ブレずに、淡々と、信念に沿って演出を続ける。

上を見たらキリがないし、諦めたらそこで試合終了だし、1秒でも多くセクシーな時間を作れるよう、やるしかない。自分から膝を折るようなのはプライドにもとるぜ。血の気の多いまま生きていく。

ところでどっこい、半年も前に、とある若い書き手が自殺していた、ということを、今日の今日、偶然に耳にして驚愕した。ちっとも意外じゃなかったけれど、どすんと胸の奥に何か思い固まりが落下したような衝撃を感じて、しばらく動けなかった。あれこれ調べてみると、要は人間関係に疲れた、ということらしいが、人の心に敏感であることは作家としての必須条件のようなものである。きっと彼女も、人の心に敏感に気づきながらも、何も言えずにただ足を止め、落ち葉の散る様でも見ていたのだろう。奇しくも昨年の秋、10月中旬のことだから、俺が同じく自殺した作家、太宰治の中編小説を、Project BUNGAKUなる公演にかけていた頃だった。

もう自分は自殺したいなんて思うことはなくなったが、しかしそれでも、敏感さは失わずにいると思っている。心の底に一塊の鉛を沈めながら、場当たりに向かう自分は、むしろちょっと滑稽な感じさえしたんだ。

半年前の死を悔やんでも仕方がない。むしろ、明日生まれるものに命を吹き込むことで、追悼に代えたい。彼女の本を買ったのも下北沢だったな。10年前の自分にとって、憧れであった街である。今、ここにいる、という感覚を、改めて噛み締め、また明日も劇場をウロウロするだけである。