PLAYNOTE 山田洋次監督『男はつらいよ15 寅次郎相合い傘』

2011年04月17日

山田洋次監督『男はつらいよ15 寅次郎相合い傘』

[映画・美術など] 2011/04/17 10:54

黒色綺譚カナリア派の参考映像として観た。山田洋次監督。

わざわざDVD借りて寅さん見るなんて日が来るとは思わなかったが、本当に見てよかった。作品に対する驚き、昭和という時代に対する驚き、俳優に対する驚き。

押しも押されもせぬ昭和世代の定番娯楽映画なわけだが、ご都合主義的な展開に一切ムカつかないこの雰囲気は何だろう。葛飾柴又にふらっと現れ、「北に行くの」「寅さんに会えるかもね」っつってぷらっと出てったリリーが、函館のラーメン屋で偶然ばったり寅さんの二つ隣の席に座る。

「寅さんじゃない!」

普通だったらあまりにもあり得ない展開なのだが、これくらいポンポン進んでくれた方が気持ちいいとさえ思う。作品や登場人物に親近感を感じていると、「ご都合主義的だな」って批判は浮かびもしないんだな。

くっだらねーギャグというかユーモアがすごい多い。最初は何故か寅さんが海賊の役を演じているシーンから始まる。シリーズの中ではストーリーの完成度がピカイチという作品らしいが、いやいやそれにしても物語上不要なプロットはいくらでもある。でも、邪魔とか無駄とかは思わない。ニコニコ見てられる。

家族・ご近所の絆がまだまだ強かった昭和という時代の人情や、フーテン暮らしのヤクザな兄貴が醸し出す哀愁のペーソス、胸キュンの恋とほろ苦い別れ。見所だらけであった。

俺は寅さんが嫌いだったはずだ

しかし俺は寅さんが嫌いだったはずだ。子供の頃、金曜ロードショーだか何だかでTVでやってて、ビールにゴロ寝で寅さんを観ている親父と、「お父さん、これもう観たでしょ!」と突っ込む母親。その傍らで俺は、つまらねぇなぁ、ダサいなぁ、マンネリズムもいいところじゃねぇか、と思っていたはずだ。小学生の頃の俺、そうだろう?

その頃はまだ、昭和という時代の残り香をリアルに鼻で嗅いでいた俺だから、寅さんのむさ苦しさが嫌いだったのだろうと思う。うっとうしい親戚もいたし、象印のマホービンも居間にあったし、古い扇風機、赤茶けた急須、タイル貼りのトイレの壁など、至る所に昭和の匂いが残っていて、寅さんはあくまでファンタジーではなく現実の延長であったように思う。寅さんみたいな、こういうおっさん、絶対いるよな。親戚にもいるわ。面倒くさいんだよなぁ。って。

しかし、昭和の残り香が霧消してしまった今、寅さんを見てみると、寅さんは生活の映画ではなくある種の時代劇になった。うっとうしい親戚はもういない。もういないから、うっとうしさに顔をしかめるよりも、その濃密な人付き合いに「昭和はよかったねぇ」と回想する。昭和の風景も、家具も電化製品も、もう消えた。もう消えたから、いろんな不便さ、使い勝手の悪さを忘れて、昭和の情景にノスタルジーを感じる。「昔はよかった」というノスタルジーは、大体すべてが勘違いで、悪いところをカラッと忘れて、いいとこだけを思い出すから生まれる、行き過ぎた美化に過ぎない。でもやっぱ、いいなぁ、と思う。

そして人は大人になるほどマンネリズムに慣れていくらしい。マンネリズムに関する考察はいろんな人がやってるから軽く絡むのは危険だけど、一言だけ書いておくと、すべての物語はマンネリズムなのだということを俺は今思っている。ギリシャ悲劇の時代に物語の類型は書き尽くされ、ハリウッド映画が育つにつれて脚本術の定石が出揃い、劇そのものの類型をぶっ壊そうとした不条理劇でさえ、今や「不条理劇」というジャンルに入った一種の定番だ。本当に新しい作品は、もう存在しない。小さい頃、若い頃は、見たこともない展開や考えもしなかった結末にぐいぐい引き付けられていろんな映画や演劇を見て、小説や漫画を読んだが、いわゆる物語を何万と読んでしまうと、もうすべてがマンネリズムである。

マンネリズムへの憎悪が消えてみると、寅さんは、よくできた映画であった。

約90分、観ている間は一瞬たりとも退屈せず、そして観終わって、何一つ人生について考えない。人間性に対する新たな疑問や発見が生まれる余地などどこにもない。「いやぁ、よかったねぇ」と言って、おしまい。こういうの、昔大嫌いで、それでラース・フォン・トリアーにシビれたりデヴィッド・リンチに震えたりしていたわけだが、「いやぁ、よかったねぇ」しか残さない物語を作ることの難しさを知った今では、やはり感想は変わるもので。

もうほとんど書きたいことも残っていないが、一番書きたいことを書いていなかった。昭和の俳優は素晴らしい。渥美清は怪物か。人物と完全に一体になっている。細かい所作や表情、目のやり方が「巧い」のに作為的に見えず、間の取り方から声のトーン、体の扱いに関しても仕事が繊細過ぎて目で追い切れない。これほどまでに俳優が役に近づくと、こんなことができるのか、と目を疑う瞬間が何度もあった。

勉強になった。